『雪夢往来』著者 木内 昇さんインタビュー「江戸の出版文化は当時すごくおもしろかった」
撮影・北尾 渉 文・中條裕子
「江戸の出版文化は当時すごくおもしろかった」
「当初は、作者の鈴木牧之のことだけを書こうと思っていたんです」と、木内昇さん。たまたま出合った『北越雪譜』という江戸時代に書かれた随筆がおもしろく、以前から好んで読んでいた。
「今の南魚沼、当時の塩沢の暮らしを調べるのも楽しかったので、牧之が本を世に出すまでの経緯をがっちりと書こうかな、と。その出版の経緯を調べていくと、関わっている人たちがすごく興味深い人たちだった。これはその人たちのことも書きたい! となって」
最終的には、『北越雪譜』が刊行されるまでに関わった面々、山東京伝、その弟である京山、曲亭馬琴と、当時の江戸で人気を博していた戯作者たちの生き様もしっかりと描き込まれることとなった。
その間、なんと40年。本が出版に向けて動こうとすると、なぜか関わる人が亡くなるなど不慮のことが起こり、そのたびに頓挫するということが続いたのだ。
「もしかして本が出せるかもしれないところまでいくと、関わっていた人が亡くなってしまう。それも一度ならず。自分が創作で描くとしたらこう何度も同じことは起こさない。書いてて逆に嘘っぽくて、どうしようかと悩みました」と、木内さんも苦笑するほど。だが、実際に残された資料を辿ってみると、今度こそうまく出版の運びとなりそうなときに、「えっ、また!?」といった展開となり、最終的には刊行まで40年という途方もない歳月がかかってしまったのだ。
「ただ原稿を読んだ当時の知識人たちからはきちんとリアクションがもらえていた。確かに読んでみると、当時の越後の風俗がおもしろく描かれている。それだけでなく、不思議話も。たとえば狐が青い火を吐く話は、天然ガスが青く見えたのに物語が付随して、地元で伝えられていったのではないかと」
『北越雪譜』に伝えられた、不思議譚が内包する豊かさ
伝わる不思議譚には、元となった自然現象などがわかるものもあれば、ただただ謎めいた話も。
「昔は照明で隅々まで明るかったわけではなく、家の中にも暗いところがあった。そこに何かいるのではないかなという発想から物語が出てきて、まことしやかに伝えられてきた。そうした豊かさもあるのではないかと思います」
この『北越雪譜』を巡る人々の関わりもまた、複雑にしてなかなか怪奇なものであった。戯作者として山東京伝と並び、当代きっての人気作家だった曲亭馬琴。彼の曲者ぶりもまた出色なのだ。牧之の随筆の出版に関わりながら、京伝の弟である京山との確執を繰り広げたり。これほど大人げない振る舞いをする大作家っていったいどんな人物だったんだ……と、思わずため息をつきたくなるエピソードも数々明かされていて興味深い。
「自分でおもしろがって描いてた」そう木内さんも語るように、それぞれ異なる個性、四者四様の生き様を読み手は共に辿ることができるのだ。そんな物語が、おもしろくなかろうはずがない。
『クロワッサン』1140号より
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