考察『光る君へ』24話 まひろ(吉高由里子)に忘れえぬ人がいても「まるごと引き受ける」宣孝(佐々木蔵之介)の大人の余裕と包容力!
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
それもお前の一部だ
宣孝(佐々木蔵之介)の言うとおり戯れではないのだろう。まひろ(吉高由里子)への思いは、これまでの長い時間で少しずつ育っていったものだ。かつては婿を世話しようとするなど、宣孝本人も己の思いに気づいていなかった。第13話(記事はこちら)で彼の息子に婿として通ってもらえまいかという提案を為時(岸谷五朗)から受けたとき、あれは駄目! ダメダメダメダーメ……とムキになって否定した。あのように返事してしまい、自分でも驚いたことだろう。
そして、まひろがいつまでも婿を取らず年齢を重ねた今、ふたりで過ごす機会を経て、求婚の覚悟を決めたように見える。周明(松下洸平)とふたりきりの現場を目にして、突然現れた得体の知れない若造に奪われるくらいならという思いが背中を押したのだ、きっと。
宣孝「ありのままのお前をまるごと引き受ける。それができるのはわしだけだ」
まひろ「忘れえぬ人がいてもよろしいのですか」
宣孝「よい。それもお前の一部だ。まるごと引き受けるとはそういうことだ」
くっそ、大人の余裕と包容力……!
紫式部の史実だけなぞると「父親ほど年上の男性の妾となった」のは強烈で、ともすれば悲劇的な印象を受ける。が、ドラマでは宣孝を第1話(記事はこちら)のまひろの少女時代から登場させることによって、一人の女性として彼女を愛するようになった経緯を見せた。
いくら佐々木蔵之介でも幼い頃から見知った親戚の娘を妾にするのは、ちょっと気持ち悪いぞ!という感情さえ「まるごと引き受ける」という器の大きい台詞と、1話から24話まで積み重ねた演技の前に、吹き飛んでしまった。
うまく誘惑できない周明
「わかってくれるのはまひろだけだ」
「望みを果たし、帰るときが来たら一緒に宋に行こう」
大人の貫禄を見せつけた宣孝のすぐ後に周明のへたくそな誘惑は、どうにも分が悪い。まひろもキュンとするどころか、どちらの台詞に対しても「ん?」という反応ではないか。
宋語を復習する合間にも思い浮かぶのは周明との宋行きではなく、宣孝に指摘された「忘れえぬ人」……道長(柄本佑)だ。
しかし、うまく誘惑できないということは、周明が根は善人である証明かもしれない。
大赦の勅命
女院・詮子(吉田羊)が倒れた。自分の寝所で伊周(三浦翔平)の幻を見て、恐ろしい顔で睨んでいると怯えている。本当に伊周の生霊が現れたとは思えない。たまたまなんらかの体調不良を起こしたところに、中関白家兄弟を仮病で陥れたという後ろめたさが強烈に働いたのではないか。
呪術や霊の力が信じられていた時代は、相手から恨みを買っている自覚が心身に影響を及ぼしたのかもしれない。
祭文を読み上げる安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の格好良いこと!そして声の良いこと。御簾の向こうから、この声が聞こえてくるだけでも快復すると思う。気の持ちようの病ならば尚更。
帝の母の病平癒を祈念して、大赦の勅命が下されることとなった。
大赦は律令制においては、恩赦よりも許される刑罰の範囲が広い。それもあって陣定でも「伊周、隆家(竜星涼)の罪は許すべきである」この点については意見が一致した。
ところで陣定はドラマレビュー第17回(記事はこちら)で書いたように私は毎度注目している大好きな場面なのだが、皆さんはいかがですか?
世代交代や権力の趨勢がひとめでわかる。パンデミックと政変を経て公任(町田啓太)と斉信(金田哲)は少しずつ位が上がってきていて、一方で最高権力者である左大臣・道長の一番近くに座る右大臣・顕光(あきみつ/宮川一朗太)と内大臣・公季(きんすえ/米村拓彰)は、一条帝に入内した女御・元子と義子、それぞれの父親だ。
今後も長くこの場に座ることになる実資(秋山竜次)の実直ぶりと、道綱(上地雄輔)の政治的人畜無害ぶりも毎回ここで伝わる。
道綱の連発する「だよね」「同じです」で学級会や会議をやりすごす人間、見たことあるぞ。
道長を責める一条帝
中関白家兄弟が失脚した長徳の変から約2年。状況が掴めてきた上に冷静になった一条帝(塩野瑛久)は道長を責める。
「あの時そなたに止めてほしかった」
それは俺のせいですか!?と言いたくなるような、この手の無茶な叱責は『鎌倉殿の13人』(2022年大河ドラマ)でも観た覚えがある。後白河法皇(西田敏行)が「なぜわしを止めなかったのか! 役立たず!」と側近を責めていた。ただまあ、同じ台詞でも後白河院は約60歳、一条帝は18歳。お若い。
そして、最愛の中宮・定子(高畑充希)とあの事件をきっかけに別れてしまったとなると、誰かを責めたくもなるだろう。
それにしても、長徳の変は道長が首謀者とする説が有力なのだが、この作品の道長は善い人として描かれている。この先どうなるのだろうと思って観ていたら、定子への愛ゆえに一条帝が「あれらは道長のせい」という認識となり、主従関係に亀裂が生じ始めているのが興味深い。
本人にそのつもりはないのに周りから悪者にされるパターンなのか、道長。
元気そうな隆家
出雲にいるはずの隆家が戻ってくるのが速すぎる。不可解なり!という実資。実際には大赦の勅許がおりるまで、病気を理由に但馬国(現在の兵庫県北部)にいたという説がある。
果たして、道長と対面した隆家はツヤッツヤの顔色で、とても元気そうだ。出雲だろうが但馬国だろうが、都から離れた場所でのびのびと楽しんでいたのではないだろうか。
「出雲の土産に、干しシジミをどっさり持って参りました!」
現代でも島根県宍道湖産シジミは有名だが、その干しシジミは但馬国産ではなく……? あくまでも自分は出雲にいましたよというアピール、この豪胆さ。宮廷以外の場所で活かされそうだ。
あなたは嘘をついている
「早くまひろと宋に行きたい」
「左大臣に手紙を書いてくれ、ふたりで宋に行くためだ」
からの、周明の抱擁! 拙速にもほどがある!
「あなたは嘘をついている。私を好いてなぞいない」
「抱きしめられるとわかる」
心から自分を愛する男に求められ、抱きしめられたことがあるのだものな……更に手紙を書かねば喉を切ると脅されても、まひろは動じない。周明が思っているような世間知らずのお姫様ではないのだ、修羅場を見てきた女なのだ。
「民に等しく機会を与える国など、この世のどこにもないのだ」
まひろの宋への憧れを打ち砕く言葉だが、その現実を告げること自体が苦しそうに見える。
乙丸の思い
乙丸「あの時……わたしは何もできませんでしたので」
ああ。第13回レビュー(記事はこちら)で乙丸の思いを想像して書いたが、やはりそうだった。まひろの母・ちやは(国仲涼子)が惨殺されたとき、その場にいたのに何もできなかったことを、ずっと悔やんでいた。それからは、まひろだけは守ろうと密かに誓ったのだ。
細身で非力でも姫様に危険が及べば、どんなに強い相手にでも立ち向かう彼の姿を見てきた。乙丸の思いに胸打たれる。
まひろ「こんなにずっと近くにいるのに、わからないことばかり」
大切に守られている人間は、そのことに気づけないものだ。
内親王を宣言した意味
体調回復した女院・詮子を見舞った一条帝がきっぱりと言う。
「(定子との間に生まれた)姫を内親王といたします」
親王は天皇の息子、内親王は天皇の娘が受ける称号だ。大化の改新を契機に律令制が整い、天皇の子女は王・女王(皇子・皇女)と表記されるようになった。その後、天皇の子が数多く生まれた平安時代初期に「親王宣下(しんのうせんげ)」という制度が生まれ、天皇の宣旨で親王・内親王の称号が授けられた(現代の皇室典範に親王宣下はなく、天皇の二世孫までは親王・内親王、三世孫からは王・女王)。
親王宣下を受けない子は姓を賜り臣籍降下したが、中には宣下も臣籍降下もなく、王・女王のままの子女もいた。後白河天皇の子である以仁王がそうした人物で、彼は過去の大河ドラマでたびたび登場している。『平清盛』(2012年)では柿澤勇人、『鎌倉殿の13人』では木村昴が演じたのが記憶に新しい。『平清盛』をご覧になっていた方は、以仁王の養母・八条院(佐藤仁美)が彼に親王宣下を賜るよう運動していたことをご記憶かと思う。
一条帝が娘の脩子(ながこ)を内親王とすると、女院・詮子と左大臣・道長に言い切ったのは、たとえ定子の実家・中関白家が没落しようとも、脩子の立場を宙ぶらりんにはしないという意志表示である。
職御曹司の場所
姫を内親王とするだけでなく、出家した中宮・定子を内裏に呼び戻すと決めた一条帝……
「波風など立っても構わぬ」という帝の言葉だが、朝廷の公卿たちの心が帝から離れ、政に支障が出て世が乱れることを道長は憂う。
蔵人頭である行成(渡辺大知)が、中宮・定子を迎え入れる場所として提案した職御曹司(しきみのぞうし)とは、内裏の東に隣接した中宮職の一局である。皇后・皇太后・太皇太后など「后」に関する事務を扱う所なので、中宮・定子とは無関係ではない上に、天皇が暮らす内裏の外側だ。定子が元々いた登華殿、現女御である義子と元子のいる弘徽殿、承香殿とは二重の壁と門を隔てた場所にある。
「それでしたら、他の女御様がたのお顔も立ちましょう」
という行成の言葉は、そういう意味だ。他の妻たちと帝が暮らす居住空間には戻らせず、あくまでも后関連の事務所的なところを提供するだけ……こんなイメージだろうか。
ちなみに『枕草子』第49段には、職御曹司での藤原行成と清少納言の交流が描かれる。職御曹司を提案するのが行成というドラマの流れに、古典文学ファンとしてニヤリとする。
定子のもとに通い詰める
定子に早く会いたくて小走りになる一条帝。第11話(記事はこちら)で詮子に、
「走ったりしてはいけません。いつも悠然としていなければ」
と教えられて以来、ずっと悠然、泰然と振舞ってきた帝が。愛が伝わる……。そして、ついに定子と再会、娘・脩子と初対面。一条帝からねぎらいの言葉をかけられた清少納言(ファーストサマーウイカ)も感無量だ。こちらも泣いてしまう。
ナレーション「一条天皇は政務もなおざりで連日定子のもとに通い詰めた」
こそこそ悪口をいう内裏の女房たち、「前代未聞・空前絶後・世にためしなし!」と憤る実資。
実資の日記『小右記』には「中宮が職御曹司に参られた。天下は感心しなかった」とあるので、やはり髪を下ろした中宮が帝のお傍近くに戻ってきたことに、非難の声が上がったのだろう。
「一条天皇は政務もなおざりで連日……」は『源氏物語』光源氏の父帝と、母・桐壺更衣のエピソードから着想したドラマ演出としてのナレーションと思われる。
親友への思い
まひろの親友・さわ(野村麻純)の死。
行きめぐりあふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るかとしる
(巡り巡って、また逢えることを待っているのです。松浦(まつら)の鏡の神様は誰のことを願いかけて祈るのか、ご存じなのでしょう。あなたとの再会です)
『紫式部集』では、さわのモデルと思われる筑紫の君から紫式部の歌への返歌として記されている歌である。
紫式部が筑紫の君に送った歌は、
あひみむと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ
(私があなたに逢いたいと思う心は、松浦の鏡の神様が空からご覧になっています)
松浦の鏡の神とは、肥前国松浦に鎮座した鏡神社のこと。現在も佐賀県唐津市鏡に地名と共に残り、尊崇を集める。
まひろの「この歌を大切にします」という台詞。
紫式部は、自選集である『紫式部集』に筑紫の君とやり取りした歌を記し、『源氏物語』には、都から筑紫にゆく姫・玉鬘を描いた。
娘時代を共に過ごした親友への、紫式部の思いを感じ取ることができる。
さすが未来の紫式部
さわの死に、まひろは人生の短さと虚しさを感じて真剣に宣孝との結婚を検討することになった。さりげなくそれを告げられて、驚きのあまり腰をいわしてしまう為時(岸谷五朗)。そりゃ驚くわ。
「宣孝殿なら嫉妬せずに楽に暮らせるし、子どもも産んでみとうございますし」
身を焦がす恋の苦しさを知り、それとは違う境地を求めるのは、さすが未来の紫式部……そして出産が好奇心からというのは、さすがまひろさんだぜ! という思いである。
失恋した若者
為時を……ひいては朝廷を脅す朱仁聡(浩歌)だが、「入り込めませんでした。あの女の心に」と言う周明には、
「お前の心からは消え去るとよいな」
任務を果たさねばという焦りが勝ってしまったが、周明のまひろへの恋心は確かにあった。それを見抜き、失恋した若者を労わる朱……複雑で、魅力的な男だ。
宣孝からのラブレター
「早く都に帰ってこい!」
宣孝からのラブレターに、まひろの「むふっ」。
『紫式部集』では藤原宣孝からの熱心な口説きと、それに対してツレなさを装った紫式部の味わい深いやり取りが読めるので、オススメしたい。
次回予告。「地震か疫病か火事か日食か嵐か」テンポ良すぎる台詞だが「それら全てにございます」だなんて怖すぎる。中宮・定子と一条帝の隣にチラッと伊周が映ってません? 生霊? 実資が日記に「非難すべし」。ヒロインと結ばれたのは謎めいた薬師でも最高権力者でもなく親戚のおじさん!「不実な女でございますが……」来週も道長は大変そう。
25話が楽しみですね。
*******************
NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
*******************