考察『光る君へ』6話「全てを越えてあなたがほしい」道長(柄本佑)からまひろ(吉高由里子)への歌よ!漢詩の会から読み解いてみた
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
願いがこめられたような台詞
我が家は右大臣家だけでなく左大臣家……源との繋がりを深めるべきだと、父・為時(岸谷五朗)に進言するまひろ(吉高由里子)。
『源氏物語』は恋愛物語というだけでなく、平安貴族の政治劇という側面もある。作者である紫式部に政治的な視線、感覚があってこそだろうから、まひろの言葉は『源氏物語』ファンとして頷く。
「お前が男であったら」
紫式部の父・藤原為時は、いつもこう言っていたと『紫式部日記』にある。しかし、その言葉を受けて具体的にどう返事をしたかは記述がない。
「女であってもお役に立てまする」
このドラマの中で生きる紫式部、まひろは父の目をまっすぐに見て言う。1000年前の彼女も、そう答えていたらいいという願いがこめられたような台詞だ。
兼家そっくりな詮子
婿入り先として左大臣家、妻に源倫子(黒木華)をと、父・兼家(段田安則)、姉・詮子(吉田羊)からダブルプッシュを受ける道長(柄本佑)。
第5話の猫の小麻呂ちゃんアクシデントで、兼家に倫子が印象づけられた。
この第6話では、まひろと廊下を歩く倫子の姿がある。手に檜扇を携え、しずしずと歩んでいる。自宅で友人と会話しながら歩むのでさえ作法を守っている彼女が、猫を追いかけて走る……? やはりあれは意図して姿を見せたのだと確信した。
そして、もうひとりのプッシュ役・詮子は気づいたのだ。東宮の母、未来の国母として自分が力を振るえることに。左大臣・雅信(益岡徹)への圧迫面接、圧のかけかたが兼家そっくりである。「父の娘ですゆえ、父に似ております」。憎い相手であっても、その技を覚えて身につけられるのは、強き政治家の資質ではないだろうか。
俺たちの影は……
道兼(玉置玲央)は右大臣家の汚れ役。それが右大臣家の男達の共通認識になってしまった。弟から父がそう言っていたのだと告げられ傷ついても、それを表に出すことはない道兼。
「俺たちの影はみな同じほうを向いている」。
雅だがなんと恐ろしく、哀しい台詞だろう。道隆・道兼・道長三兄弟の名前についた「道」は一族栄達の道具となる「道」なのか。道具を使う側も使われる側も、同じほうを向き、真っ黒だ。
今週の赤染衛門先生
今週の赤染衛門先生(凰稀かなめ)の授業は、前回第5話(記事はこちら)で登場した兼家の妾・藤原道綱母(寧子/ 財前直見)の「嘆きつつ…」の和歌。こちらの前回レビューでもご紹介した。
『蜻蛉日記』は、身分低い女が身分高い男の妻となった自慢話だというのは、自分も身分が低いまひろだから気づけた視点なのか。土御門殿サロンの高貴な姫君達にとっては、赤染衛門先生の「嘆きつつ」の歌が素晴らしいゆえに日記も悲嘆の印象が強くなってしまうのだという解説を聞いてもなお、あれが自慢だとはピンとこないだろう。
しかし『蜻蛉日記』作者の藤原道綱母にせよ、まひろ……紫式部にせよ、彼女たちの立場だからこそ書ける世界があるということでもある。
『蜻蛉日記』を貸すというまひろに、倫子の「いらないわ。書物を読むのが一番苦手なの」。
倫子は第3話(記事はこちら)の赤染衛門先生の授業で、先生に「衛門は古今和歌集を全て諳んじてるから。恋の歌三・小野小町の歌は?」と問うている。書物を読むのが苦手な姫君が、小野小町の歌が『古今和歌集』の恋三にあるとはさらっと出てこないだろう。本当に苦手……というか好きじゃないけど、頭にはしっかり入れているのか、周りのお友達に合わせているのか、まひろのオタクトークをうまいこと躱しただけなのか。今週も倫子は腹の内が計り知れず、魅力的である。
赤染衛門先生、姫君たちの「お勉強にがて♡」アピールを聞くたびに(ええっ?そんな!)という顔をなさるので、お気の毒に思っている。大変だな……。
花山帝の純粋
花山帝の女御、忯子(井上咲楽)が完全に寝こんでしまった。兄・斉信(金田哲)が焦って必死なのはわかる。一族の浮き沈みが帝の皇子をなせるか否かにかかっているのは、女御を出したならばどの家も同じだ。しかし、
体調不良で苦しんでる妹に頼み事をすんな。
「朕がついておるぞ」
忯子の手を握る花山帝(本郷奏多)。ああ……レビュー第4回(記事はこちら)で述べたがやはり、この帝はとことんピュア、純粋な御方なのだな。ただ、純粋すなわち正しいというわけではない。
漢詩の会を読み解く
次代を担う若手政治家たちを陣営に取り込むため、道隆(井浦新)の妻・貴子(板谷由香)提案の漢詩の会が開かれる。ついに、のちの清少納言……ききょう(ファーストサマーウイカ)が登場! なんと勝気そうな、そしてなんと快活そうな娘だろうか。見た目だけですでに満点である。それにしても、この場面は『小倉百人一首』の歌人が大渋滞だ。なにしろ画面の中に5人もいる……。紫式部、清少納言、藤原公任(町田啓太)。清少納言と藤原公任の歌についてはそれぞれ第2回 (記事はこちら)、第3回 (記事はこちら)のレビューで触れた。そして、あとの2人は貴子と、ききょうの父・清原元輔(大森博史)である。
儀同三司母(貴子)
忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな
(けして忘れないと、いつまでも私を思ってくださると、そうした約束は永遠ではないのですから。その言葉を聞いた今日幸せなまま死んでしまいたい)
『百人一首』のこの歌は、道隆と結ばれた頃に詠んだものだという。情熱的で気品溢れる歌だ。貴子は内侍として宮中に仕えていた。漢字を読み書きし、和歌にも漢詩にも才能を発揮した活躍が『栄花物語』『大鏡』などにある。内裏で貴族達と交流していたからこそ、道隆に漢詩の会を提案できる……ドラマ内の展開は納得であった。
清原元輔
ちぎりきな形見に袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
(お互いに涙を拭った袖を絞るくらい泣いて誓いましたよね。末の松山を波が越すことがありえないように、けして心変わりはしないと)
清少納言の父・清原元輔は歌人として名高い。『後撰和歌集』の編纂に携わった高名な人物では厳めしいかと思いきや、機転が利き、人を笑わせることを好む楽しい人物であったことが『今昔物語』などの逸話に伝わる。清少納言の頭の回転の早さ、機転は父譲りのものかもしれない。
さて、公達らの漢詩は白楽天(白居易)が主だった。公任だけがオリジナル作詩。
「詩にはその人の思いが表れる」と貴子は言った。ここで集った彼らがどんな思いを詩に託したのか、道隆の台詞と併せて考えてみた。
行成(渡辺大知)の気持ち→ここにいない君を思う(君=円融帝の治世を懐かしんでいる?)。
斉信の気持ち→今すぐ俺にふさわしい仕事をさせてくれ。
道長の気持ち→白楽天が友(元微之)に捧げた詩を、まひろにだけ伝わるラブレターとした。君を想う。君が傍にいない日々は虚しい。
公任の気持ち→帝の御世は泰平なのだから酒を呑んだ後に詩を楽しんでもいいじゃないですか(これは皮肉か。花山帝の政は不安定である。道隆の政敵陣営主催の酒宴に招かれた後ここに来たことを責めてくれるな、と言っているようにも聞こえる)。
道隆は、漢詩から若者たちの今の政に対する憂いと願いを受け取った、ともに手を携えてやっていこうと語りかけたのだ。彼らの教養と訴えを理解して汲み取り、実にスマート。そりゃ国を動かすために研鑽を積んできた若者の身になれば、呑みュニケーションよりも、こちらのほうが心に響く。ついていきたくなる。
風雅な遊びの会のようでいて、ガッツリ政治の場であった。
そう、平安貴族の遊びは政治と繋がっている。
貴公子それぞれの筆の運び方、漢詩を、キャストによる訳文ナレーションで語る演出、そして冬野ユミの音楽。みどころの多い場面だった。
清少納言「私はそうは思いません」
まひろの表情を追うと、思いがけず道長がこの会に出席した上に、彼の披露した漢詩に自分への恋情を読み取って、ひそやかな恋に打ち震える少女の胸の内が伝わってきた。しかしそのために、心ここにあらずとなってしまったように見える。
公達4人中3人の詩は白楽天で、公任だけがオリジナルなのだから、その感想が「公任さまのお作は白楽天のような歌いぶりで」は褒めているようでも、若干ズレている気がする。
そこに被せてきた、ききょうの「私はそうは思いません」。彼女は公任の漢詩が「元微之のような闊達な」歌いぶりだと言った。元微之は政への批判で知られた人物であったので、公任の漢詩は皮肉&現政権批判だと、アタシわかっちゃいましたわ! という発言ではないか。
「そうじゃございません?」
「まひろさまはお疲れだったのかしら(あなたの感想は的外れだったわ)」
ききょうに悪気はないのだろう。漢詩を語り合える同世代の女性が目の前にいて、嬉しくて仕方がないように見える。そもそも意見を述べて、いや議論をしようとして何かいけないことある? という子。
貴子はききょうを気に入ったようだ。内裏での勤務経験がある貴子としては、これくらい賢く自己主張できる女性でないと宮中ではやっていけない、いやむしろ見事に花開くであろうと見込んだのか。道隆、貴子夫妻は娘・定子が赤子の頃から、入内させるつもりで準備を進めてきた。脇を固める女房選びにも余念がないはずだ。
斉信は「鼻をへし折ってやりたくなる」と、おもしれー女認定したようだ。『枕草子』では斉信との逸話を読むことができる。ききょうが清少納言として宮仕えしたのち、彼のように興味を惹かれて彼女に挑んでゆく貴公子たちが数多くいたであろう。そして、逆に鼻をバッキバキに砕かれた人間もいただろう。
ファーストサマーウイカの好演が楽しみである。
直秀の運命が気になる
貴族の屋敷だけでなく、ついに内裏にまで侵入して盗みを働く直秀(毎熊克哉)ら盗賊の一味。内裏での盗賊事件は史料に残っていて『紫式部日記』にも宮中で同僚が強盗に遭ったことが記されている。帝のおわす場所なのに、セキュリティ緩すぎないか……とは思うが、外灯といえば松明くらいしかない都の夜。どんなに警備しても隙はいくらでもあっただろう。
ところで、直秀の「虐げられている者は人扱いされていない」「明日の命も知れぬ身だ」について。ずっと気になっていることがあるのだ。直秀たち散楽の座頭(すなわち盗賊団の長)の名前が当時に実在した盗賊・藤原保輔と似た名、輔保(すけやす/松本実)であること。藤原保輔は捕縛され、獄死した。第2話(記事はこちら)で検非違使の放免に盗賊の疑いで掴まった道長に兼家が「なぶり殺しにあっていたやもしれぬのだぞ」という言葉。
直秀、かっこいいけど縁起でもないこと言わないで……長生きしてと願っている。
悲しすぎる忯子
「忯子さまがおかくれ(お亡くなり)に」。ついに死んでしまった、可哀想に。
高貴な家に生まれ帝のご寵愛を一身に受け御子まで授かったという、当時であれば最高に幸せな女性と称されたであろう忯子。しかし、現代の我々から見ればむしろ薄幸だ。
このままでは悲しすぎるので、NHKは他のドラマで、井上咲楽をめいっぱい幸福な登場人物として生まれ変わらせてほしい。
訃報に冠がないのも構わず狼狽える花山帝。時の帝の最愛の妻の死、ここから大きな事件へと発展する。
結婚してしまえばいいのに!
漢詩の会場からの立ち去り際に、思いのこもった視線をまひろに投げた道長から、まひろへこっそり渡された文、その歌。
ちはやふる神の斎垣も越えぬべし恋しき人の見まくほしさに
(聖域とのへだてさえも越えてしまいそうだよ。恋しいあなたに会いたくて)
人目のあった漢詩の会とは違い、今度は直球で恋心を伝えてきた!五節の舞姫で神に捧げる舞を奉納したまひろを、聖域に存在する女性として歌っている。これは本歌取り。本歌取りとは、有名な歌を自作に取り入れる手法だ。当時よく読まれていた『伊勢物語』には、
ちはやふる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに
(神の社の垣根を越えてしまいそうです。宮中にお仕えする御方をひとめ見たいので)
この歌がある。ただ、更に古く、万葉集に柿本人麻呂と詠み人しらずとの2作があり、特に詠み人知らずの歌は
ちはやふる神の斎垣も越えぬべし今は我が名は惜しけくも無し
(神聖な垣根を越えてしまいそうだ。今は私の名前も名誉も惜しくはない)
並べると、まひろなら万葉集の歌まで、俺の気持ちまで辿り着くはず……という道長の信頼を感じる。家の名も身分差も、全てを越えてあなたがほしいと。
言ってもいいですか。もうこの時点で結婚してしまえばいいのに! 来週ふたりが結婚してめでたしめでたし、からの最終回だ!……取り乱して失礼しました。そういうわけにはいかない、それでは『源氏物語』は生まれない。
ついに打毬場面が!
次週予告。画像公開時から気になっていた打毬(だきゅう)場面がついに来る。が、姫君サロンの面々が観戦するとは予想してなかった。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)、宣孝(佐々木蔵之介)、実資(秋山竜次)の出番アリ。何に怯えるのか兼家。何で脱いでるのか公任。何があった散楽。
第7話が楽しみですね。
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。