作家の角田光代さんにとって唯一無二の存在、猫のトトちゃんとの暮らし。
撮影・青木和義 文・一澤ひらり
言葉によらないコミュニケーションがある。 猫はそれを教えてくれました。
角田光代さん
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トトちゃん(12歳)
2010年春、漫画家の西原理恵子さん宅からやってきた生後3カ月のアメリカンショートヘアの女の子がトトちゃん。角田光代さんにとって初体験の猫との暮らしは、やがて「世界観が大きく変わる」日常になった。
「初対面の西原さんと何人かでお酒を飲んだ時に、『猫ほしい?』と聞かれて、とっさに『ほしいです!』と答えたんです。
『じゃあ、7番目ね』って言われて、それから2年。西原さん家の猫が2回出産して最後の7番目に生まれた子、それがうちのトトなんです」
トトちゃんの成長は、そのまま自身の成長にもつながった。
「笑われるかもしれないけど、トトと暮らすようになって、猫の顔の違いがわかるようになりました。
養老孟司先生の本を読んでいたら、ゾウムシは一見同じように見えるけれど、ずっと見ていると違いがわかってくる。それは発見だというんですよね。
人間は発見があることで自分が生きていると実感すると書いてあって、猫の顔が全部違うと私にわかるようになったのは、そういうことなんだと気づきました」
自分の中で世界が拓けていく感じがした、と角田さん。生きている喜びは、トトがいてくれることとイコールなのだと笑顔が輝く。
トトはもはや唯一無二の存在。心のニュアンスがわかるんです。
角田さんは数年前に、マンションから一戸建てに引っ越した。
「マンションの10階にずっと暮らしていたので、トトはほとんど地上に降りたことがなかったんです。でもここに来てからは、虫や鳥とか、庭に来るほかの猫とか、雨とか雪とか、あまり見たことがなかったものを窓越しに見るようになって、びっくりすることだらけだったと思います」
まさに箱入り娘だったが、衝撃的な事件が起きた。自宅の庭に入ってきた2匹の猫が喧嘩になりそうで、角田さんが止めようと玄関のドアを開けた途端、その横をトトちゃんがすり抜けて、あっという間に消えてしまったのだ。
「それまで外に出たことがなかったし、アスファルトの上を歩いたこともない。なのに、トトがどうして? 慌てて近所を探し回ったものの見つからない。このまま帰ってこなかったらどうしようとパニックになっていた時に、かすかな猫の鳴き声がしたんです。トトが帰ってきた! 抱きかかえて家に入った後で、ホッとしたあまりへたり込みそうになりました」
猫と暮らして11年になるのに、まだまだ猫初心者です、と笑う角田さん。寝ていると脇の下に入ってきて、肩に頭を乗せて寝る姿も愛おしいという。
「トトと暮らして、言葉以外のコミュニケーションがすごく豊かなんだなって思うようになりました。それも私の中の変化ではありますね。お腹の上に乗せてっていうトトの言い方があって、それを聞くと私は自然に応じています。同じように、虫を獲ったとか、遊んでとか、ちょっとイライラするとか、トトの鳴き声と素振りのニュアンスでなんとなくわかるんですよね」
たとえば、真夜中まで原稿の校正をしなくてはいけない時、トトちゃんが書斎にきてじっと見ているという。
「トトの『もうやめたら? 一緒に寝ようよ』みたいな空気をもわーんと感じて、『そうだね、疲れたよ』って思っていると、トトがゴローンとお腹を見せてくるんです。それだけで心が休まる。大切なのは『お疲れさま』っていう言葉じゃなくて、猫がゴロンとしてきてその意味を感じること。言葉ではない応酬みたいなのがあれば、心が穏やかになってすごく楽になるんですよね」
トトは私にとっていなくてはならない唯一無二の存在、と角田さん。
「もともと私はネガティヴな人間なので、彼女と暮らさなければ心の余裕が生まれなかったし、仕事も苦しかったでしょうね。トトに救われています」
『クロワッサン』1056号より
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