同等の快楽。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
私はお酒を飲まない。タバコも吸わないし、もちろんドラッグもしない。昔は、お酒を飲んで騒ぐことに憧れ、飲む練習をしたこともある。でも体質に合わないらしく、楽しく飲めないので諦めた。お酒好きが楽しそうに飲んでる姿を見るのは好きなので、お酒の場には時々参加する。食事と共にお酒を楽しめる人は羨ましいとは思う。けれど、いつも二日酔いになるまで飲む人のことは全く理解できない。どれほど苦しんでも、また二日酔いになるまで飲む、その不思議。苦しみが待っていても、体に良くないとわかっていても、お金の浪費だという意識があってもなお、お酒をやめられないという不思議。それだけお酒は美味しく、楽しく、中毒性があるということか。この「それだけ」というのがどれだけなのか、いつも知りたくて仕方がなかった。私は一生、彼らが死ぬほど欲する快楽に到達することはないのか。自分にそこまでの楽しみがないことが、劣等感となっていき、その快楽に匹敵する楽しみを見つけたいと常々思っていた。
実は、私は多分、それに匹敵する快楽をすでに味わっていた。夕食後のソファでのうたた寝がそれだ。特にそばで誰かが喋っていて、楽しい食事は続いている中、その声を聞きながらのうたた寝は極上だ。でも風邪をひきやすい私にとって、それは確実に最高のリスクとなる。うたた寝をしながら「あ、今風邪を引いた」という明確な感覚さえある。それでもうたた寝はやめられない。きっと酒好きもこんな快楽を味わってるんだ、と理解した気持ちになる。これで私の変な劣等感は消え去ったけれど、これからは二日酔いの人に偉そうに説教することもできなくなった。
束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/ にて。
『クロワッサン』1021号より
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