第六感の変遷。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
小学生時代、体育の時間ドッジボールをするとき、私は殆どの場合、陣地に残る最後の一人となって、ボールから逃げることをしていた記憶がある。このことで、あの頃の私には第六感が備わっていたと確信している。
私が投げるボールはヘナチョコで、敵陣に球を当てて倒すことは殆ど出来なかった。出来ることは、敵陣に球を当てられないように、ボールから逃げること。それは私にとって、かなり簡単なことだった。ボールが自分の陣地から敵陣に向かって放たれたとき、そのボールを敵がキャッチする前に、次に飛んでくる球の方向がわかったのだ。これはボールの飛ぶ姿と、敵陣のフォーメーション、それにキャッチするだろう人間の体勢などを一瞬に把握し、次にボールが放たれる軌跡の可能性を予測したのだろうと思うのだけれど、それは誰かに教えられたものではなく、元々私が持っていたもので、その後、成長していく中で失っていくものだった。
私の姉は、幼少期、父が帰ってくる時間と方向を言い当てたり、水中にどれだけでも居られる感覚があったというし、友人の子供は大量のレコードを毎日シャッフルしても、ジャケットの見えない重ねられた状態で、一発で同じレコードを引き当てるという話も聞いた。幼い頃は皆、それぞれに様々な第六感を持ち合わせているけれど、それが特殊な能力に見えるのは、生きていく上でどうしても必要な本能的な能力と少しズレているからで、その能力が不必要なものだからこそ、必要な能力が、ある程度整理された大人の観点からすると、とても不思議に見えるのだろう。私がドッジボールの球の軌跡を予知できていた第六感は、その後、ただ失われただけではなく、私の人生におけるもっと重要な第六感にすり替わったのだと信じたい。
束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/にて。
『クロワッサン』1015号より
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