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作家・山口恵以子さんが密着地元・葛西の名店
「加藤仁と阿部守正の店」へ。

「加藤仁と阿部守正の店」。この一風変わった店名のパン屋が地元民に愛される理由を山口恵以子さんと探りました。

 
江戸川区・葛西の駅から大通りを5分くらい歩くと、一見どこにでもある町のパン屋さんが登場する。でもよく見てみれば、モンドリアン風のお洒落なロゴマークと、店主のフルネームを掲げたインパクトのある店名が、なにやらタダモノではないことをうかがわせている。
「作家になる前は食堂に勤めていて、毎日始発で通勤していたんです。寒い冬の朝、出勤のためにまだ暗い道をとぼとぼ歩いていると、開店前のこのパン屋さんから焼きたてパンの良い香りがふわーっとしてきて、それだけでとても元気付けられました」。と話すのは、葛西在住の山口恵以子さん。
「加藤仁」という自分のフルネームを店名に。

「加藤仁」という自分のフルネームを店名に。


家から駅に行く途中にあるこの店に、いつしか通うようになったのだという。

「おかずパン、甘いパン、サンドイッチなどなどたくさん種類があってどれも美味しいけれど、一番素晴らしいのはプルマンブレッドという名前の食パン。基本的に食パンが美味しい店は何を食べても美味しいけれど、ここは別格です」

焼きたてのアンファンを頬張る山口さん。「なんという贅沢! 焼きたてのこのパンは人生最高のパンですね」

焼きたてのアンファンを頬張る山口さん。「なんという贅沢! 焼きたてのこのパンは人生最高のパンですね」

その別格の食パンをはじめ、毎日50種類以上のパンを焼いているのが、店主の加藤仁さん。朝3時には仕込みを始め、常に焼きたてを提供したいからと、1日何回もこまめにパンを焼き続ける。

そのストイックなスタイルは、ここに店を開店した18年前から少しも変わらない。

それにしても、カタカナの小洒落たものではなく、「加藤仁」という自分のフルネームを店名にしたのはなぜ?

「自分が作っているものに責任を持ちたかったんです。誰がどういうふうにパンを焼いているのか、買った人がきちんとわかると安心だと思って、自分の名前を店名にしちゃいました。いろいろな人に広く知ってもらうためにも、覚えにくい欧米風の店名は避けたかったというのもありますね」と、加藤さん。店名に併記された阿部守正さんは、8年前に独立して今はいないけれど、町の人たちにすっかり認知された店名だから、今もそのままにしているのだそう。

朝7時の開店と同時に、絶え間なく訪れる客。それを見ていると、特に朝早い時間は、一般のパン屋さんよりも随分と男性客が多いことに気がつく。

好みのパンとコーヒーを買って、イートインコーナーで朝食を食べている人も、ランチ用にちょっと多めに買っていく人も、朝は圧倒的に男性が多い。

職人技のスピードで、焼き上がったプルマンブレッドを型から出していく加藤さん。

職人技のスピードで、焼き上がったプルマンブレッドを型から出していく加藤さん。

その味わいと食感から、奇跡の食パンといわれるプルマンブレッド。この型のサイズを毎日60本くらい焼くという。

その味わいと食感から、奇跡の食パンといわれるプルマンブレッド。この型のサイズを毎日60本くらい焼くという。


厚みがありジューシーなカツサンドは大人気。これで310円という値段なのが素晴らしい。

厚みがありジューシーなカツサンドは大人気。これで310円という値段なのが素晴らしい。

右・タマゴサンド190円、左・ハム野菜サンド220円。どのサンドイッチも端から端まで具材が詰まっている。

右・タマゴサンド190円、左・ハム野菜サンド220円。どのサンドイッチも端から端まで具材が詰まっている。


それは実は、ここでパン屋を始めるにあたっての加藤さんの目標のひとつでもあった。

「男の人って、なかなか自分ではパンを買わないじゃないですか。だから、男性にも満足してもらえて、自分で買いにきたくなるようなパンを作りたかったんです。今は出勤前に立ち寄ってくれる男性がすごく増えて、自分の思いがちょっと実現できたのかなって思っています」

加藤さんの焼く食パンは、冷めてもその柔らかさと美味しさが焼きたてとまったく変わらないことから、奇跡の食パンとよばれている。小麦粉は何種類かを厳選して、加藤さんが一番美味しいと思った配合でブレンド。

自分はその持ち味を最大限引き出しているけだと謙遜するけれど、季節や気温、湿度によって状態が変わる小麦粉に合わせて発酵時間を調節したり、水の量を微調整したり。毎日同じ味のパンを焼くために、舞台裏では絶え間ない努力が積み重ねられている。

そして加藤さんがこだわるのが、イタリア製のパン焼き窯。日本のパン屋の多くはドイツ製を使っているがパンはこれじゃないと美味しく焼けないと、開店時にイタリアから特別に取り寄せたのだそう。パンが焼き上がり、大きな窯のとびらを開けた瞬間に立ち上るなんともいえない芳ばしい香りは、無条件で人を幸せな気持ちにする。

「加藤さんの食パンは、パン好きなら一度食べればこれはちょっと違うぞって感じるはず。毎日食べても全然飽きないし、むしろ食べるたびに感動するんです。柔らかくて味わい深くて、サンドイッチにもすごく合う食パンなの。私はいつも4枚切りを買うんですけど、これをシンプルにトーストしてバターをたっぷり塗り、カフェオレと一緒に食べるのが好きです。いろいろな調理パンもものすごく美味しいけれど、最後はいつもシンプルな食パンに戻るんです」と山口さん。食堂勤務の頃は、甘いパン、おかずパン、サンドイッチなどをいろいろととりまぜた5種類くらいのセットを人数分買って差し入れたこともあるという。

「その中でも、特にサンドイッチの人気は高かったですね。1回食べるとハマっちゃう人が多くて、また買ってきてねってよく頼まれました」

そのサンドイッチをはじめとする調理系のパンは、近くの工房で加藤さんのお母さんとその仲間が毎日作っている。どれも、とても中身が充実していてボリュームがあり、満足度が高いものばかり。人気のカツサンドやハムカツサンドは、工房で揚げたてをサンドイッチに。カツサンドはひとつ1 7 0ℊという驚きのサイズだし、ハムカツの厚さだって2㎝はありそうだ。タマゴサンドも、隅から隅までタマゴがぎっしり。しかも、サンドイッチはからし抜きも用意しているという細やかさ。

パンが焼けたら、加藤さん自ら売り場に並べることも。昼前には特に多種多様な調理パンや菓子パンが並ぶ。

パンが焼けたら、加藤さん自ら売り場に並べることも。昼前には特に多種多様な調理パンや菓子パンが並ぶ。

毎日買いにくる地元の人が多いから、飽きのこない味を心がけていると加藤さん。食パン以外のパンも、粉を8〜9種類くらい使い分けて、味わいを変える工夫を怠らない。

山口さんは、近所に美味しいパン屋さんがあれば、生活がちょっぴり楽しくなると言う。

「加藤さんのお店はこんなにちゃんと作っているパン屋さんなのに、お値段は驚くほど庶民的で良心的なんです都心によくあるお洒落なパン屋さんって、パンとは思えないような値段がするじゃないですか。わざわざ電車に乗ってパンを買いに行くっていうのもなんだか悲しいし。それに比べたら、ここは質も味も一流なのに、どのパンもコンビニで買うより安いくらい。毎日パンを食べたい人間にとってはとてもありがたい店です。近所にこういうパン屋さんがあるって本当に幸せなことですね」


ウインナーロール160円。ボリュームしっかり

ウインナーロール160円。ボリュームしっかり

ビーフカレーパン130円。お母さん手作りカレーが美味。

ビーフカレーパン130円。お母さん手作りカレーが美味。


◎山口恵以子さん 作家 ●作家。2013年、松本清張賞受賞。『食堂のおばちゃん』(角川春樹事務所)など著書多数。TVコメンテーターとしても活躍中。取材のときはいつも素敵な着物姿。江戸川区出身で、葛西には28年間住んでいる。

『クロワッサン』918号(2016年2月10日号)より

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