長きにわたって謎に包まれていたフェルメール。さまざまな研究者の手によって、現在ではその生涯の歩みが明らかにされつつある。
この世に生を受けたのは1632年、場所はオランダのデルフト。16歳で画家修業を始め、20歳でプロの画家に。宗教画家として出発するが、時代の流れの中で風俗画家に転身。29歳で画家の同業者組合の理事となり、作品を自由に売買する権利を得る。その後は自らの絵画スタイルを模索する人生を送った。
「フェルメールは非常に凝り性だったと僕は思います。43年の生涯で35点(37点など諸説あり)しか作品を残していないのがその表れ。理由については専門家でも納得のいく説明をつけられていませんが、僕に言わせれば彼は凝り性。商売本意ではなく、自分が納得できるまで作品を手元に置いて描いていたんじゃないかと。高価なラピスラズリの絵の具を風俗画に使ったというのも、それが理由だと思います。フェルメール自身、請け負った値段では合わないなと思っていたかもしれません(笑)」
画家としての評価は高まりつつはあるものの、すぐに収入に結びつくわけではなく、常に借金を抱え込んでいたという。私生活では11人の子どもをもうけ、義母の援助を受けながらも莫大な借金を残し、デルフトで43年の生涯を終えた。フェルメールの名声が轟くのは、その200年後のこととなる。