『芥川賞の偏差値』小谷野 敦さん|本を読んで、会いたくなって。
本当の名作は芥川賞を受賞していません。
撮影・三東サイ
芥川賞受賞作を読んで偏差値をつけた画期的な本である。
「文学にしても他の芸術にしても、普遍的で科学的なよしあしの判断はできません。国内外の多くの作品に触れて古典にも親しんだ自分の責任で判断しました」
第33回芥川賞の遠藤周作「白い人」(1955年上期)は偏差値38、第34回の石原慎太郎「太陽の季節」(同年下期)も38と、小谷野敦さんの評価は甘くない。
「なるべく評価を下げないようにしているんですよ。ただ “第三の新人” のあたりから、あらためて考えるとダメな受賞作が多い」
第1回の石川達三「蒼氓」(’35年上期)偏差値42から、第156回の山下澄人「しんせかい」(2016年下期)偏差値48まで全146作(受賞作がない回もある)を偏差値と寸評でたどる楽しみがある。
「名作という評判を聞くと面白くなくても何とか名作と思い込もうと無理しがち。虚心になって無理を外していくと、よい作品はよいし、ダメな作品はダメです。賞というのは不思議なもので、よい作品が必ず受賞するとはかぎりません」
偏差値72が3作ある。新しい順に第155回の村田沙耶香「コンビニ人間」(’16年上期)、第100回の李良枝「由熙」(’88年下期)、第79回の高橋揆一郎「伸予」(’78年上期)。総じて辛口だから、評価の高い作品が未読だと読んでみたくなる。いいブックガイドだ。
「過去の受賞作は『芥川賞全集』に掲載されているので、公共図書館で読めます。ただ芥川賞の受賞作というのは、その年の文学の最高傑作ではありません。もともとは新人賞ですが、他に優れた作品のある作家に功労賞のように与えられて、受賞作が凡作というケースも多い。そうした背景についてもこの本に詳しく書きました」
小谷野さん自身、「母子寮前」(第144回・’10年下期)と「ヌエのいた家」(第152回・’14年下期)で芥川賞候補になっている。
「筋があまりはっきりせず、文体が凝っていて、面白くない。そういう小説のほうが受賞しやすい。実際に作家と文芸誌の編集者は候補になるように作品をチューニングしていますね。純文学は現代音楽みたいなもので、19世紀に小説が隆盛してから、その技法が娯楽小説のほうへ流れていって、残ったのが純文学なんですよ。だから、面白くないのは当然といえば当然。もうちょっと私小説を書いてほしいと思います。あったことを、そのまま書けばいいのにと思うことがよくあります」
二見書房 1,500円
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