『不時着する流星たち』小川洋子さん|本を読んで、会いたくなって。
偶然の祝福がなければ書けないな、と思う。
撮影・森山祐子
ていねいに用心深く選びとられた言葉が紡ぐ10篇。物語を読むうちに突然のようにして現れる現実の数行を認めて、読者は本書の企みに気づくことになる。ヘンリー・ダーガー、グレン・グールド、牧野富太郎……内側に物語を抱えた人物や事柄に着想を得、奇妙で美しい小説世界が構築されていく。
「なにか統一した一本の筋があればいいと考えまして。もしかしたら読者よりももっと書き手側のほうが現実と空想が親密に結びつき合っていることを感じているんじゃないかなと。それをわかりやすい形で。一切の断絶がなく、現実から小説へ、小説から現実へと循環する。言い換えれば、実は小説というものは現実から離れては存在できないんだということでもある」
各章ごとに現実のモチーフと小説の関わり方が異なるのも印象的。
「一瞬擦れ違うだけのこともあれば、小説の底辺をずーっとヘンリー・ダーガーが流れているだけのような関わり方もあった。それもまた意外と言えば意外でしたね」
自ら書いていて意外、と?
「ええ、結果的にこうなったっていうだけで……予め私の中にある主張とか表現したい欲望とか、そういうものはたいした問題じゃないんです。偶然出会ったなにかの力が作用して小説になる。私はその観察者であり、書記、記録係であり。そんな感触で書いています」
若い頃は無我夢中で書いていたという小川さんだが、『博士の愛した数式』の執筆時、数学者に取材してから世界の捉え方が変わった。数学というこれまでまったく物語的ではないと思っていた世界に深い情緒が隠れていると知ったから。
「ああ、外の世界ってなんて広いんだろう。自分の知らない世界のことこそ書くべきなんだ、と。ただ、やっぱり小説を書くには体力がいるんですね。書くことを頭で考えているうちはおもしろくない。なぜこんなふうになったんだ!って自分でもわけのわからない、本能的な部分に働きかけてくるような展開になったときが本当に書けるときです。書くという作業には言葉という道具があり、それは音や絵とは違って人間が理屈で作り上げたもの。ですからやはりどこか制御されてしまう。本能でつかんだものを理屈の言葉に置き換えるというのがいつもうまくいかない。だからこそ、読者の手に届いたときには、ただ、言葉の意味が通じるということだけではなくて、本能的なひらめきや爆発が起こって、言葉以上のものが届いてほしい。そう思っています」
広告