『料理通異聞』松井今朝子さん|本を読んで、会いたくなって。
当時、江戸の料理は最高峰でした。
撮影・岩本慶三
日向を思わせるという干瓢の出汁で煮た油揚げ、背開きにした鯛の中骨を除いて木耳と銀杏を詰めて蒸したけんちん鯛……松井今朝子さんの新刊を読むと、知らぬ味を想像して口中に唾が湧いてくる。
江戸時代、名料亭として名を馳せた『八百善』の主、福田屋善四郎の生涯を描いた『料理通異聞』。「料理通」とは全4巻から成る、善四郎が著した江戸料理の本だ。
「日本の歴史上、プロの料理人が書いた初の料理本だとされています。八百善は小説や歌舞伎に登場しますが、料理屋としてどんな存在だったのか書かれたものはなかったから、ずっと気になってはいたんですが……」
数年前、ある雑誌からの依頼で、八百善の現当主の全面協力のもと、残された資料を読み解きながらのエッセイ連載が始まった。
「もうほんとうに気前のいいご主人で、なんでも使ってくださいと。例えば将軍が使ったお成り屏風とか文人墨客が残した絵画や善四郎の旅日記や売上帳なども惜しみなく見せてくださり。すごく珍しいパターンですけど、小説より先にメイキングを発表したようで(笑)」
深川洲崎の升屋を走りとした料亭文化は八百善においても引き継がれ、当時一流の文化人とのしみじみとしながらも濃い交流が描かれる。実際、『料理通』は序文が蜀山人、挿絵が酒井抱一や谷文晁といった人気絵師が担当、豪華極まりない。そして、本書で描かれる酒井抱一のなんと魅力的なこと!
「なかなか洒落た、かっこいい人ですよね。もとは大名家の次男で後に出家しますが、芸術家というよりもその鑑賞眼に自信を持っていたのではないかと、そんな気がします。尾形光琳を見いだし、作品を集め100年忌を催して、江戸琳派の祖に。美を発見する文化を体現した人かもしれません」
善四郎もまた幾度となく抱一の薫陶を受けながら、料理人としての腕、心構えを磨いていく。その料理の見事さ、魅惑の献立に、江戸料理の充実ぶりがうかがえる。
「関東大震災以降は関西割烹の時代となりますが、この時代の料理は江戸がいちばんだと言われていました。やはり、江戸前の海の存在は大きいと思います」。
ところで、小説を書くときに松井さんは、実際の料理をどれくらい思い浮かべているのだろうか。
「味、色味も見えてますね。もちろん昔はこういう料理があったと知って書いていますが、それぞれの場面にふさわしい献立を自分で考えるのは楽しかった。……まあ、実際は鶴肉のお吸い物なんて現代では作れませんけどね(笑)」
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