「一本草 花が教える生きる力」珠寳さん|本を読んで、会いたくなって。
花の命と向き合い、謙虚になることが大切。
撮影・森山祐子
「20代後半で阪神淡路大震災に遭い、神戸にあった家は全壊。しばらく現実を受け止めることができず、心の隙間を埋めるかのようにいけ花に没頭していきました」
約10年間にわたり、京都・慈照寺(通称・銀閣寺)の初代花方として、日々の献花や「花道場」での指導に携わってきた珠寳さん。母方の曾祖父が慈照寺住職だった縁で入門したのが無雙眞古流。自然な姿の草木花を活かし、禅の精神が宿る簡素ないけ花だ。
「初代花方として仕事を進める中で、“ほんとうにこの方向でいいのだろうか”と不安になることも度々ありました。ある日、当時の坂根執事長に泣き言をこぼしたところ、“お前は一度死んでこい”と……。それは、今の自分を脱皮して一心に目の前のことに向き合いなさいという大きな励ましでした。慈照寺は東山文化を継承し、日本人の美意識にとって大事な場所。いけ花が成立するまでの背景を知ることも大切なのだと気づきました」
珠寳さんの稽古では、教科書もお手本も免許も存在しない。
——お手本通りにきれいな花を使って、同じ形にいけることが目的ではなく、花の命と向き合い、そこに発見、感動があり、そして謙虚になること——(本文中より)
坐禅をするのと同じように、素直に向き合ってほしい、と花と己との一期一会を説いている。
「“私の作品です”と気張らず、一日その花の前にいられるくらいの空気感がちょうどいい。それには自分の主張を“十”出してしまわずに“七”でとどめる。あとの“三”は十人十色、花を観てもらえる人に残し委ねることが大切だとも、今は亡き師に教えられました」
慈照寺を離れてから約1年半。「花方」から「花士」へと肩書を変え、「草木花に仕える者」「自然の運行に従う者」という意味を込めた。
「花方をやめてしばらくは心の拠り所を失っていたかもしれません。一度すべてを手放してみようと思ったとき、福島第一原発を望む断崖絶壁での献花の機会がありました。断崖絶壁に立つことの恐怖心さえ捨てたと同時に、すべてのことから解放された気持ちになりました。花との向き合い方は以前とまったく変わっていませんが、人間関係の輪も広がり、表現方法や可能性が広がったと実感できる今がとても楽しいのです」
すらりと長身の珠寳さん。いけ花をする所作は、凛とした「一本草」のように華麗なことだろう。いつか間近で観てみたいものだ。
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