『世界にノイズと美意識を』児玉秀明 著──見る人の感情を動かす“ノイズ”の存在
文・小林キユウ
この本の存在を知ったのは偶然だった。カーラジオからナビゲーターが最近読んだ本の感想を話していた。チャンネルを変えたタイミングだったので話はすでに後半。どんなジャンルの本なのかわからないまま聞き流していた。最後にこんな言葉が紹介されて番組は終わった。
「『コンセプトが曖昧で素晴らしい写真』ほど悪いものはない」
写真家アンセル・アダムスの残した言葉だという。20世紀を代表する写真家が、そんな言葉を残しているとは知らなかった。
いったい、どんな内容なのだろう、素晴らしい写真って何? そんな興味から本書を手にとった。著者は広告写真会社の役員なども経験しており、写真表現の引用も多いが、本作は写真入門書のたぐいではない。
「ノイズ」とは一般にネガティブな意味で使われることが多い。だが、デジタル化に包囲されつつあるような現在、逆にノイズは人間的であり、アナログ的要素を補完する役目を担う存在。現代人はその重要性に気づくべきだと本書は指摘する。
音楽界ではアルバムをレコードで出すのが最近の流行り。写真界でも昔ながらのフィルムカメラや銀塩プリントが見直されている。皆がノイズを求めている。僕個人もデジタル写真にパソコン処理でわずかにノイズを加えている。昔の銀塩写真のような「粒子感」を疑似的に加える。フィルム時代を知る者のささやかな抵抗かもしれないが、ノイズは見る人の感情をどこかで動かす存在ではないかと思っている。
冒頭のアンセル・アダムスの言葉だが、写真界では昔から「シャッター以前」という言葉がよく使われる。いい写真か否かはシャッターを押す以前に決着がついているという意味。カメラマンの中に明確な表現の方向性や思考力(美意識)がないままシャッターを押すと、「何かは写っている」写真の域をどうしても超えることはできない。とりわけ同氏は求道的な写真家だったのでそんな究極の言葉になったらしい。
対立的なデジタルとアナログを「共存させる二項動態」こそが新たな創造の源だとする著者。デジタルという存在に人間的不完全さ(ノイズ)を取り込めるか否かは、個々の「美意識」のありかが鍵になると言う。
茶道で言われる「侘び寂び」という美意識。茶碗は完全さを拒むかのように歪み、予定調和を壊している。一番大切なことは「創造的思考力」を持って、どうノイズと対峙するか。アートに限らず、ビジネス、研究開発などあらゆる分野で成果を上げるには、「ノイズを価値に変える美意識」が必要だと指摘。美意識こそがその「羅針盤」になるとする。
とは言っても「美意識」は見ることも触ることもできないし、個個さまざまだ。ただ、洪水のように迫るAI時代の中で、「ノイズ」に眼を向けるか向けないかは生き方の上で大きな違いを生む。本書を読みながら、何を美しいと思うのか、という感性が今問われていると感じた。
『クロワッサン』1158号より
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