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10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)

10月の東京・歌舞伎座は『通し狂言・義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』(21日まで)。三部制で通し上演されます。世代を超えたダブルキャストで行われることでも大きな話題。主要な人物のひとり、佐藤忠信/忠信実は源九郎狐を演じるのは、佇まいも華やかな踊りの名手・尾上右近さん(33)と、澤瀉屋(おもだかや)の若きプリンス・市川團子さん(21)。ふたりが役に込める思い、歌舞伎に向き合う志を熱量高く、また和やかに語ってくれました。

文・クロワッサン編集部

右・尾上右近さん、左・市川團子さん。揃っての狐手(きつねで)がキュート!
右・尾上右近さん、左・市川團子さん。揃っての狐手(きつねで)がキュート!
佐藤忠信実は源九郎狐(尾上右近)
佐藤忠信実は源九郎狐(尾上右近)
佐藤忠信実は源九郎狐(市川團子)
佐藤忠信実は源九郎狐(市川團子)

『義経千本桜』は、『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』と並ぶ歌舞伎の三大名作のひとつ。兄の頼朝に追われる源義経を軸に、平知盛・いがみの権太・狐忠信という3人の運命が大きく動く壮大な歴史ロマン。義経の忠臣・佐藤忠信とそれに化ける狐忠信が活躍する「川連法眼館」は通称「四の切」。静に付き添ってきた忠信が狐の本性をあらわし、狐親子の情愛が胸を打つ、人気が高い演目となっている。演出方法の違いで音羽屋型と澤瀉屋型がある。

――まずは意気込みからお願いします。

尾上右近さん(以下、右近) これぞ歌舞伎、という三大名作の一つ『義経千本桜』、源義経を背骨として描いた超大作です。これがあるから歌舞伎があって、歌舞伎があるからこれがあるという思いがある。豊かなエンタメ性に富んだこの作品の素晴らしさを、僕らの世代でなおかつ歌舞伎座で、歌舞伎の真っ向勝負の力というものを、自分の型を通じて心を通じて、魂を通じてお届けできたらと思っています。

市川團子さん(以下、團子) まさかこの年で勤めさせていただくとは思いませんでした。本当に身に余る大役で、未熟ですが、とにかく一生懸命にこの作品と、お役に向き合い、勤めさせていただきたいです。「鳥居前」から忠信を通しでさせていただきますが、特に「四の切」は、古典においては祖父(二世市川猿翁)にとってライフワークのような作品。情熱と覚悟を持って勤めたいと思います。

――團子さんに伺います。8月の第二部(坂東玉三郎さん演出・補綴の『火の鳥』)を拝見したところ、兄を喪って咽び泣く姿が、お祖父さまの面影に似ておられると思いました。
今回の忠信もそうですし、『ヤマトタケル』など、お祖父さまがなさった大役を次々と勤められるなかで<ここが似ている>というように言われたことはありますか?

團子 その人の持っている人間性が舞台に出るから、芸だけでなく、普段から自分の人間性も磨かなければいけないという意味で、よく祖父は「芸は人なり」と言っていたと聞きます。楽屋にいるときや普段の姿も真似したいと思い、祖父のお弟子さんに「どういうことをしていましたか?」などと聞くことがあります。自分はわりと突発的に動いてしまうタイプなのですが、祖父は計画的で、逆算して動く人だったそうです。それを聞いて自分も計画的でありたいなと思いました。小さいことから大きなことまで、日常でも逆算をするということを学びたいです。


――「四の切」について伺います。この演目は音羽屋さんの型と澤瀉屋さんの型がありますが、それぞれの特徴、見どころを教えてください。

右近 音羽屋型はまず、江戸っ子の感性を強く感じられると思います。洗練された型。総括して申し上げると、音羽屋は五代目と六代目菊五郎が、自分たちの時代のお客様のニーズにあった形を追求して、江戸っ子の感性、自分たちがしっくりくる感覚を突き詰めた上で取捨選択した粋な「四の切」。対して澤瀉屋は本当にケレン味。両者の型の違いがダブルキャストの醍醐味、旨みだと思っています。
僕の個人の話で言えば、やはりお客様に喜んでいただく、歌舞伎のエンタメ性を存分に発揮することで、熱い情熱をストレートに表現したいと思っています。あと、澤瀉屋の精神はケレン味やエンタメ性を自分のものにして発散するというところにあると思うので、僕もそれに憧れと尊敬を感じている。今回團子さんが澤瀉屋型でやるので、僕は音羽屋らしく演ろう、と。例えば同じ音羽屋の尾上松也さんとダブルキャストだったら逆に僕はもうちょっと違う形で作ろうとすると思う。澤瀉屋の精神も僕の中にはあるし、猿翁のおじさんにも何度かお目にかかった中で、精神としていただいたものもある。その上で今回は、音羽屋型をきちんとお見せすることが、尾上右近としての役割だと思っています。

團子 祖父は、音羽屋型は特に情愛に重きを置く型であり、澤瀉屋は情愛とケレンを半々に取り入れた型で、どちらが優れているという話ではなく情愛とケレンの割合の取捨選択の違いだと申しておりました。
まずは祖父を「学ぶは真似る」ということで、とにかく真似から入り、祖父が「四の切」にかけていた精神を少しでも学べるよう取り組みたいと思っています。

右近 團子が初役で「四の切」を勤めるという神秘的な瞬間に自分もダブルキャストで立ち会えるということを、すごく光栄に思っています。

――狐忠信の情愛の話が出ましたが、お2人で演じられる狐忠信の人物像、どういう人物だということを描きたいとか、どこの表現に重きを置きたいということはありますか?

右近 洗練された、トライアンドエラーによって作られた江戸っ子の「四の切」、江戸っ子の狐忠信ですね。人間に例えると、人生経験を積んだ中から割り出した、削ぎ落とされたものが音羽屋型の「四の切」だと思います。対して若くて勢いがあって純粋で清潔な、そしてがむしゃらに突き進むのが澤瀉屋の「四の切」。

逆に、共通する部分を見つけていただくというのも面白い。親子の情を動物の狐が持っていて、そういうものを忘れかけた時代に生きる人間の義経が、目の当たりにして感じるものがある。義経目線でお客さんも見る。だから『義経千本桜』という名前なんだと思うんですよ。

「吉野山」も全然違います。違いを楽しんでいただきたいと思うのはむしろ「吉野山」の方。「四の切」は皆さん宙乗りがあるとか無いとか、忠信がどこから出てくるかというところで違うのはご存知なので。「吉野山」に関してはニュアンスの違いだったり、曲は同じなのに雰囲気が違う。衣裳やカツラにも違いがあって、それらの積み重ねでかなり違うものに出来上がっていると感じていただけるんじゃないかな。
あとはそれぞれの配役。僕は同世代についてもらっていて、團子さんは澤瀉屋のみなさんがつく。本当に澤瀉屋当主になっていくことを感じさせる配役だと思います。僕に関しては、この世代の一枚岩の美しさを感じていただければ嬉しいな、というふうに思っています。本当にありがたいことです。

役者の成長、経験、道の歩み方っていうのもこの配役にあらわれていると思います。そこをお楽しみいただくのも歌舞伎のエンタメ性だと感じているので、是非両方見ていただきたいです。

團子 「四の切」に関して、祖父の映像を見るととても「純粋性」を大切にしていると感じます。その「純粋性」の表現のために、「仔狐」という要素を強調しています。本当は、狐忠信は妻も子もいて立派な大人の狐なのですが、そんな大人も親の前に来ると子供に戻ってしまう。そういう役の作り方をしています。

右近 型としての年齢も違うし、僕ら役者の年齢も違う。そこは重なっている。

祖父は二代目猿翁(三代目猿之助)、父は二代目中車。まばゆいばかりの清廉さが魅力の團子さん
祖父は二代目猿翁(三代目猿之助)、父は二代目中車。まばゆいばかりの清廉さが魅力の團子さん
父方の曽祖父は六代目菊五郎、母方の祖父は鶴田浩二の右近さん。歌舞伎界と映画界のスターの遺伝子を継いでいます
父方の曽祖父は六代目菊五郎、母方の祖父は鶴田浩二の右近さん。歌舞伎界と映画界のスターの遺伝子を継いでいます

「もう会えないおじいちゃんも、心ではずっと一緒にいるんだよ」

――右近さんは、このところ歌舞伎座で大役が続いておられて、改めてご自身の位置づけについてお気持ちを伺いたいです。また團子さんも、立川立飛歌舞伎での『新説 小栗判官』を控えている中で、「四の切」という澤瀉屋の芸を受け継いでいく状況にあります。自分の成長度合いなど、どういう心持ちでしょうか?

右近 途方もない太陽に向かって走っている感覚がずっとあって、少しずつ近づいているようにも思います。おのれの影が、前とは違う感じに伸びてきていると思う。その影は結構人に影響を与えるものだから、その影の扱いについて考える時間が増えてきて…って、ちょっとかっこいいですね(笑)。

簡単に言えば責任がある。昔は歌舞伎に触れることで自分が喜んでいたのが、歌舞伎を喜んでいただく感覚になっていく感じ。歌舞伎の子だったところから、歌舞伎の兄弟になってきて。これから歌舞伎のお父さんになっていかなきゃいけないかなっていう。歌舞伎は本当に自分にとっては家族。自分を育てる家族でもあり自分が育てる家族にもなっていくものだと思う。


團子 自分はもちろんまだ子どもの状態で。ありがたいことに今頂けているお役に、覚悟を持って挑まないといけないです。とにかく「覚悟」という文字が自分の中にあります。『小栗判官』も祖父が復活させたいくつかの狂言のなかで三本の指に入るもの。祖父が大切にしていたお役に、本当にがむしゃらに、全身全霊で突き進もうと思っています。


――右近さんに伺います。右近さんの踊りの上手さの要素のひとつに、卓越した身体能力があるのではと思います。以前『三社祭』を拝見して、こんなに滞空時間の長い三社祭があるのか、と思いました。何か特別にしていることはありますか?

右近 例えばすごく跳ぶと「めちゃくちゃ跳ぶな!」って印象に残ると思うんですけど、高跳びの選手に比べたら跳べないので、誰よりも跳ぶとかはあまり考えていなくて。トータルでその作品のメリハリというか旨みを出すことを意識しています。旨みとは、技術というより情熱だったり、がむしゃらさというものもあったりすると思うんですよ。旨みに感動するということがありますから。観る方に<身体能力の高い役者>という風に見えることは、非常にありがたいことです。でもいずれは跳べなくなっていくので、そこにどう折り合いをつけていくのかということになる。跳べなくなったら跳べなくなったなりの表現をしたいと思います。まさに「芸は人なり」ということで。自分に対して嘘がなく、やりたいようにやってる状態、ずっと青春をしてて楽しくてワクワクしているという気持ちをずっと維持することが、自分の中ではテーマです。

――團子さんに。舞台で右近さんの清元(歌舞伎の伴奏で浄瑠璃の一種。三味線に合わせて物語に節をつけて語る)との共演があります。先輩に対してではありますが、どういうふうに作っていきたいという希望はありますか?

右近 あ、それ聞いておきたいな。いつごろの猿翁さんのを演りたいの? 平成に入ったあたりの貫禄ある感じ?

團子 (熟考して)平成4年ごろですかね。

右近 印象としてはパンチの速度がさ…。

團子 昭和54年くらいが早いですよね。

右近 平成に入ってからだと、パンチの速度は若干落ちてるけどパンチ力は上がってる。

團子 どの時代も大好きですが特に好きな時代が2つあって、平成4年前後と昭和55から58年前後が好きなんです。

右近 <年齢が違うんだからそれを今やっても合わない>といわれることもあるかもしれないけど、それは気にしなくていい。そこを目指す気持ちをお客さんも見たいし。仮にそれがモノマネであっても自分自身じゃない、なんていう感覚ないじゃん。完全にモノマネで舞台に立とうと思っても1時間ないし2時間の長い時間、成立しない。先人通りにやろうと思っても結局自分が出てくるので、その出てくるところをお客さんは見るからね。勝手に自然と團子さんのものになるんだよ。


――おふたりは年齢も芸風も違いますが、お互いにこういうところを取り入れたいなとか、こういうところを羨ましいと思うものはありますか?

右近 羨ましいということで言えば、僕は六代目菊五郎という人に憧れがあって、その気持ちはすなわち團子の“じいじ”(二世市川猿翁)っていうことと同じだと思うんですけど、やっぱり生きてた時代が違うので、六代目がどうだったかっていうことを目の当たりにした人の話を聞ける機会っていうのはどんどん減っていって。
間接的に曽祖父に会える感覚を抱けることってやっぱり菊十郎さんが亡くなって以来はすごく減ったなと思っていて、自分の想像の中だったりとか残っている資料の中から自分なりに解釈していくことしか術がないんですよ。團子さんの場合は、やっぱりそばにいた人たちが今いるから直に手に取るように感じられる機会が多いだろうな、憧れに触れる時間が多いだろうなということが一つ羨ましいです。

團子 今言っていただき、とてもハッとしました。


右近 でもこれがすなわち歌舞伎だなって思うのは、昔教わった、目の当たりにしたことを人から聞いて、自分がそれを演って、それをまた人が観て伝えて…。循環だよね。本当に歌舞伎って循環の中にあるっていうこと。それが温かくもあり、厳しくもあり、何とも言えない神秘の組織だなって思って。
だから團子さんも直接は会えなくても、おじいちゃんはずっと一緒にいるわけで。

團子 本当に、ありがたいです。

右近 でもそれは世間の皆さまにもお伝えしたいことだよね。「あの人ってこういう人だったな」とか、「この人はこんなこと言ってたな」とか。人の心の中に生きてるから、亡くなって会えなくなっても、気持ちで会える。それが形になってるのが歌舞伎なんだよね。

――そこには普遍性がありますね。

右近 普遍性がある。めちゃくちゃある。

團子 そうですね。

右近 ずっと一緒にいるんだよ。

――團子さんは右近さんについてどうですか。

團子 今の取材を横で聞いていても先ほどのような、自分の情熱を届ける言葉をスッと出せるのが本当にすごいです。

右近 それは徐々にできるようになるよ。

團子 自分はすごく不器用なので毎回自分と戦っております(笑)

右近 【自分、不器用なんで】ってワード、久しぶりに聞いたな!

團子 右近さんも絶対に準備をされていると思うんですけど、パッとその場でしっかりと準備したものを出せるということに、とても憧れます。

右近 それは、今こうしたいっていう気持ちが強いからだよ、團子。ずっと思っていれば、思いや考えのストックがあるじゃない? 僕だって別に今日の取材のために準備したことは特にないよ。いつでも思っていることだから。それを、今最もこれを言いたいってことを選択する。手前にあるものを取るか、奥にあるものを取るかというだけ。手前にあるものを揃えたいという團子さんの若さと意志があるから準備ができてないように思えるけど、ずっと考えてるってことは、もう自然と準備はいつでもできてるんだと思うよ。

10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)
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10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)
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「錦秋十月大歌舞伎」10月21日(火)まで。現在はBプロでの上演。

10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)
10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)
10月の歌舞伎座『義経千本桜』注目は2人の狐忠信。「洗練された江戸っ子の芝居を情熱こめて」(尾上右近)「覚悟を持って臨みます」(市川團子)
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「立川立飛歌舞伎特別公演」10月23日(木)~26日(日)
https://tachihi100.jp/kabuki2025/

尾上右近出演
「花形歌舞伎 特別公演」2026年3月
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kyoto/play/952

市川團子出演
「第二回 市川團子 新翔春秋会」11月1日(土)~3日(月・祝)
https://k-pac.org/events/14828/

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