考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』36話 恋川春町(岡山天音)最期のうがちを笑え!歌麿(染谷将太)「なんで、本を書いただけでこんな…」追い詰めた松平定信(井上祐貴)は独り慟哭
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
差し出したのは『鸚鵡返文武二道』
天明9年(1789年)1月。松平定信(井上祐貴)の政を思い切りからかった黄表紙、恋川春町(岡山天音)作『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』は売れに売れた。
版元の蔦重(横浜流星)は有頂天だ。なにしろ、定信は黄表紙好きらしいという情報を得た。
蔦重「ここから先、私たち(黄表紙を扱う地本問屋)やりたい放題やらせてもらえるかもしれませんよ?」
「生意気だぞ、蔦屋のくせに!」と奥村屋源六(関智一)から茶々を入れられるほどのお調子乗りっぷりである。
だが定信は蔦重にやりたい放題させていたわけではなかった。老中首座として多忙を極め、毎年楽しみにしている正月出版の新作黄表紙を読めていないだけだった。
老中の責務に邁進する定信は、衝撃の報告を受ける。
政の右腕である本多忠籌(ただかず/矢島健一)の家老が賄賂を受け取ったのだ。
田沼意次(渡辺謙)の賄賂政治からの脱却を目指す今、あってはならないことだと定信は忠籌を叱責する。恐縮する忠籌だが、これを進言の機会として述べた。
忠籌「しかしながら。当家の家老が何故に賄賂に手を出したかは一考に値しますかと」
幕閣の仕事上の経費は家禄(幕府から支給される俸禄)から出す仕組みである。重い役目に就けばその分経費がかさむ。自腹を切ることもある。その赤字を補填するために、本多家の家老は賄賂を受け取らざるを得なかったというのだ。
実は、定信の領地・白河藩でも、定信が老中に就任した天明7年(1787年)6月から8月末までに2332両(現代の円に換算して4億円以上)の出費があり、トラブルになりかけたと『よしの冊子』(定信の家臣・水野為長が記録した風文書)に記されている。突然多額の持ち出しが経費計上された白河藩は仰天。これは江戸で定信に仕える誰かが不正を働いているのでは? と大至急監査を送ったところ、不正はゼロ、2332両は老中としての仕事を果たす上で必要な金だったという。
歴代の老中は賄賂込みでやり繰りしていたのだろう。定信はそうした類を一切受け取らないので、白河藩の財政担当職員は悲鳴を上げたと思われる。
忠籌は、定信に評価され、天明7年(1787年)に若年寄、天明8年(1788年)に側用人にまで出世する。だが、領地は1万5千石のままであった。台所事情の苦しさは想像に難くない。
本多忠籌という人は自分の領地・陸奥国泉藩(現在の福島県いわき市泉)で倹約を奨励し、藩の財政を立て直した実績の持ち主である。それが若年寄就任後は、あっという間に赤字に転落したと『よしの冊子』は伝える。
家禄は上がらないのに責任は重く、経費は自腹。田沼時代は出世すれば賄賂がもらえたから重い役目を目指したが、
「今、役目を辞退する者が多いのはそれが理由と存じます」
改革に軋みが生じている現状を必死に訴える忠籌だが、耳を貸さない定信。
「わたくしの言う通りにすれば上手く回るよう、わたくしは取り計らっておるのだ!」
これはもう致し方ない、とでも言いたげに小さく溜息をつく忠籌。
「越中守様でも思うがままに動きませぬもの。それが世というものにございます」
そう言って差し出したのは『鸚鵡返文武二道』。あらすじは前回(35話)レビューで述べたとおり(記事はこちら)、寛政の改革を思い切りからかった黄表紙である。忠籌は恋川春町の黄表紙をもって、定信の改革が民の目にはどう映っているのか伝えたのだった。
定信と黄表紙との幸せな関係は、『鸚鵡返文武二道』からガラガラと崩れていく。
黄表紙三作を絶版処分
「これはもはや謀反も同じである!」
その内容に激怒した定信は『鸚鵡返文武二道』のみならず、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』、唐来三和(とうらいさんな/山口森広)作『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』の黄表紙三作を絶版処分とする。
また、朋誠堂喜三二と恋川春町が武士であることを突き止め、それぞれの主を呼び出して審問した。
主家に迷惑をかけてしまった──。
揃って耕書堂を訪れ、蔦重に今後の執筆活動について話す喜三二と春町。
喜三二は心ならずも断筆宣言。蔦重は筆名を変えて執筆を続けてほしいと請うが、喜三二は秋田藩主・佐竹義和(二宮慶多)から涙ながらの叱責を受けたことを明かし、
「まあ……遊びってのは誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしな」
と苦笑いする。もともと、蔦重に「(黄表紙執筆は)楽しけりゃそれでいいのよ。誰と組むのが楽しいかといえばお前さんとだ」と言っていた(15話/記事はこちら)。遊びで誰かが泣くのは不本意、楽しくなくなったら退く。粋人の喜三二らしい言葉だ。
いっぽう春町と言えば、主である小島藩主・松平信義(のぶのり/林家正蔵)が作家活動に理解を示していることもあり、隠居するという比較的穏便な処分を受けた。
戯作の執筆は続けるという春町の言葉に安堵する蔦重。
春町「俺たちは直参(幕府直属の武士)ではないからこれ以上のお咎めはあるまい」
絶版騒動はこれで収まるかと思われた。
しかし予想外の方向から、定信の怒りに燃料が再投下されてしまう。
倉橋格なる者を呼び出せ
江戸城に急報が入った。松前藩が支配している蝦夷(現在の北海道)でアイヌ民族の蜂起──クナシリ・メナシの戦いが勃発したのだ。松前道廣(えなりかずき)率いる松前藩鎮圧部隊が鎮めたものの、そもそも、松前家と請負商人たちの非道な振舞いが蜂起の原因であることが幕閣で問題視される。
蝦夷を幕府直轄領とすべきではないかという案が浮上した。
定信は、徳川御三家と一橋治済(生田斗真)に、蝦夷を直轄領とする必要性を説く。
直轄領維持費は蝦夷地の農地開拓と資源開発で賄うと述べる定信を、治済がチクリと刺した。
「それでよいのか。儂はそなたこそが田沼病と笑われはせぬかと案じておる」
幕府財政を潤すために蝦夷地を松前から上知(領地を没収)しようとするのは、意次の政策そのままだ、民もそう見ているぞと揶揄したのだ。
治済が懐から取り出し投げ渡したのは、恋川春町作『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』。前年(35話)、春町が大衆にウケなかったと拗ねていた黄表紙である。
治済は道廣から頼まれ、上知を阻止するために黄表紙を使ったのだった。
クリエイターが心血注いだ作品を嫌がらせの道具にするな、この陰険野郎!
策にはまった定信は、恋川春町への怒りを再燃させてしまう。
「倉橋格(くらはしいたる)なる者を呼び出せ!」
35話で信義が春町を気遣って言った「皮肉が通じすぎてもお咎めを受けようし」。
この言葉が現実のものとなる危機だ。
話が横道に逸れるが、江戸城内大奥で見事な香炉を手に、高価そうな品だ、賄賂か? というように見定めている定信に、大崎(映美くらら)が羊羹とお茶を出している場面。定信はそっけなく「いらぬ。もっと倹約せよ」と拒絶し、大崎が微笑んでうつむくのだが、これ、もしかしたら大崎の必殺技・毒が通じないという描写だろうか。
定信、知らず知らずのうちに毒殺ルート回避。よかったね。
頼もしすぎる松平信義
呼び出しに応じるべきか否か。懊悩する恋川春町は蔦重に相談する。
今まで春町や朋喜二、大田南畝(桐谷健太)、ひいては意次という「話せばわかる」系武士と交流してきた蔦重である。呼び出しに応じて定信と腹を割って話してみてはと提案する。
雲の上の存在である老中と小藩のイチ家臣に過ぎないこの自分が? 春町は話し合うどころか御手討、最悪小島藩取り潰しがあり得ると危惧していた。
じゃあ、と蔦重のもう一つの策は、なりかわり狂言作戦。
病を理由に隠居したのだから、そのまま病死したことにして、別人になりかわり戯作者として生きてゆくプランだ。
大胆な策だが春町は「それが最善かもしれん!」と乗った。
作戦実行には主の協力が必要だ。春町はなりかわりプランを信義に打ち明けた。
信義「恋川春町は当家唯一の自慢。私の秘かな誇りであった」「そなたの筆が生き延びるのであれば、頭なぞいくらでも下げようぞ」
クリエイターの庇護者であることを誇る信義。春町が身分を捨てたとしても、戯作者として生きてくれるのならと、力強く後押しを請け合ってくれた。
殿、頼もしすぎる。こんな殿様ならば誠心誠意お仕えしたくなるだろう。
倉橋格は麻疹(はしか)に罹ってしまった、治ったら必ず呼び出しに応じる──プランに乗った信義の釈明ははたして通用しなかった。仮病であろうと断じた定信が、「明日小島藩邸を訪れる」ということになってしまった。
万事休す!
信義「倉橋! 今すぐ逐電せよ。後のことは私がなんとかする」
窮地に在っても変わらぬ信義の頼もしさだが、己が逃げた後、敬愛する殿がお咎めを受けたら──。言葉を失う恋川春町。
豆腐でも買って戻るとする
逐電せよと命じられたものの、己はどうするべきなのか。
迷いながら外に出た春町は、いつの間にか耕書堂の前まで来ていた。
ここで会ったのがてい(橋本愛)ではなく蔦重だったら、結果は変わっていたのか。いや、そうではないだろう。豆腐の売り声が聞こえてきた時に、春町は戯作者として閃いてしまったのだ。
その閃きを止める術は、きっと誰も持たない。
「豆腐でも買って戻るとする」
ていに見送られて、春町は歩み去った。
その頃、吉原では朋誠堂喜三二の送別会が盛大に開かれていた。
秋田に居を移すという喜三二との名残を惜しみ、久しぶりに揃う吉原の面々。
視聴者としてはたまらなく懐かしい顔ばかりだ。
中でも再登場に驚いたのは、松の井(久保田紗友)! 無事に年季明けまで勤め上げ、手習いの師匠の妻となり、自らも手習い師匠として働いている。名前も、本名である千代となって。
大金持ちに身請けされるのではなく、足抜けするのでもなく。病に斃れることもなく。27歳の年季まで勤めて借金を返し切り、それを待っていてくれた男と所帯を持つ。吉原で身につけた教養を活かして手に職を持ち、経済的な自立も果たす。
吉原の女郎たちの中でほんの一握りが辿り着く、レアケースの幸せを勝ち取った千代。
おめでとう。どうか幸せに、長生きしてほしい。
サインをと千代が差し出したのは、喜三二が松葉屋に居続け泊まり込みで書いた『見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』(安永10年/1781年)(18話/記事はこちら)。
先代譲りの雀踊りを披露し「親父、最期までこの時の話をしてましたよ」と大文字屋市兵衛(伊藤淳史)がサインを書いてもらうのは、俄祭の『明月余情』(安永6年/1777年)(12話/記事はこちら)。
「こんな見事な吉原案内はなかった!」と扇屋宇右衛門(山路和弘)が持ってきたのは吉原ガイド本『娼妃地理記』(安永6年/1777年)(13話/記事はこちら)。
大田南畝が差し出したのは『見徳一炊夢』を極上々吉と南畝が評価した黄表紙年間ランキング本『菊寿草』(安永10年)(18話/記事はこちら)。
喜三二「あの時は大変だったね」
歌麿(染谷将太)「けど、楽しかったですね」
ふたりが春町説得に苦心した『廓〇費自盡(さとのばかむらむだじづくし/○=たけかんむりに愚)』(天明3年/1783年)(22話/記事はこちら)。
賑やかな宴席の、窓の外に迫る夕暮れ。
それは武士と町民という身分の隔てなく、書物を愛する皆で力を合わせて本を作ることができた、豊かな時代に別れを告げる黄昏でもあった。
豆腐の意味
「蔦重! 蔦重!」
宴会の翌朝。耕書堂の戸を叩く喜三二の、悲鳴のような声が響く。
蔦重が戸を開けてみれば、震えながら入ってきたその顔は涙に濡れている。
「春町が……腹、切ったって……」
言葉の意味が咄嗟に飲み込めない蔦重とてい。
狂言ではない。恋川春町は自害してしまった。
死を受けとめきれないままに喜三二と弔問に訪れた蔦重は、冷たくなった春町のこめかみについた豆腐の屑と、屑籠に破り捨てられた遺書を見つける。
遺書は、
「殿は逃げよと言ってくださったが」「小島松平、倉橋はもちろん、蔦屋にも皆にも累が及ぶかもしれん。それはできぬと思った」
「もうすべてを円くおさむるには、このオチしかないかと」
と読めた。主家と倉橋の家だけでなく、仲間を守るための自害だと記した遺書を、春町は「恩着せがましいか……」と破って捨ててしまったのだ。遺書をしたためたのは、かつて断筆宣言をしたときに折った筆ではないか(22話)。修理して使っていたのか。なにからなにまで、生真面目で義理堅い春町らし過ぎる。
蔦重は、耕書堂で絵師・戯作者仲間に春町の遺書と辞世の句を伝えた。
歌麿「なんで、本を書いただけでこんな……」。
今回の悲劇はこれに尽きるだろう。春町の辞世は、
我もまた身はなきものとおもいしが今はの際は寂しかり鳬(けり)
(私も他の人々と同じく、大したことのない人生だと思っていた。だがいざ最期の時を迎えるとなると、寂しくなるものだ)
鳬(けり)は鴨(かも)の仲間を指す。黄表紙『鸚鵡返文武二道』のケリを鴨でつけると、さりげなく洒落を利かせたものか。そこに唐来三和が狂歌を書き添えた。
我もまだ実は出ぬものと思いしが今はおかはが恋しかりけり
(まだ大きいのは出ないだろうと思ったのだが。今は厠に行きたくてたまらない)
辞世に下ネタの狂歌をつけるなんてとたしなめる山東京伝(古川雄大)に、唐来三和は、
「こんなの、やってられねえじゃねえか! ふざけねえとよ」
理不尽な死に対して憤る。
ふざけないとやってられないという言葉に、ふと蔦重が思い出した。春町のこめかみについていた豆腐の屑だ。
京伝「豆腐の角に頭ぶつけて死んだってことにしたかったってことですかい」
喜三二「戯作者だから…ふざけるにも、真面目な男だったじゃない」「恋川春町は最後まで戯けねえとって考えたんじゃねえかな!」
命懸けのおふざけ、体を張った「うがち」に皆で涙を流して笑う。笑うことが、黄表紙作家・恋川春町への供養だ。
こんなことする人は他にいない。べらぼうに面白いよ、春町先生。
面白いけど、上手いけど、こんなオチは嫌だ。
定信の慟哭
「亡くなった……?」
信義から倉橋格が死亡したと知らされ、茫然となった定信が呟いた。
この場面の信義の言葉は心に響く。
「腹を切り、且つ……ワッハッハッハ! 豆腐の角に頭をぶつけて」
「倉橋格としては腹を切って詫びるべきと。恋川春町としては死してなお、世を笑わせるべきと考えたのではないかと、蔦屋重三郎は申しておりました」
「戯ければ腹を切らねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか」「そう申しておりました」
途中でこらえ切れずに笑いだす信義に、蔦重らと同じ、春町への供養を感じる。
ことを穏便に済ませるのならば、恋川春町は病死したと届け出ることもできた。それなのに包み隠さず自害だと明かし、老中には直接会えぬ身分である蔦重の言葉を伝えたのだ。
倉橋格の主として、戯作者・恋川春町を愛する読者として。気骨溢れる藩主・松平信義、お咎め覚悟の抗議であった。
定信の傍には『悦贔屓蝦夷押領』と、皺を伸ばした跡のある『鸚鵡返文武二道』。定信の行動について考えてみる。激怒したとはいえ、老中首座が一万石の大名の家臣に、直接会うため赴くと宣言するのも不思議な話だ。仮病か否かの確認だけなら、使いの者を寄越せば済む。
「亡くなった?」と、つい漏れた敬語といい、定信は本心では尊敬する作家・恋川春町に一目会いたかったのではないだろうか。
もしかしたら、蔦重の言う通り腹を割って話せば、春町の考えも定信に通じたのか。
いや、無理だったろう。政争で勝ち取った老中首座という地位、名君・徳川吉宗公の孫という血筋がその道を阻んだ。
武士・倉橋格は、定信の地位と血筋が振るう力の前に命を絶った。
定信は、自分を支え続けてくれた作家を死に追いやった、地獄の記憶を抱いて生きてゆくことになったのだ。
布団部屋に隠れ、布団に顔をうずめて泣き叫ぶ松平定信。
その慟哭は誰にも届かない。
次週予告。倹約、倹約、倹約地獄。あーやだやだ。治済が手にしているのは「平太(へいた)」の面。能楽『屋島』『田村』などに用いる。喜三二と春町不在の耕書堂。蔦重の期待を背負う山東京伝。 プレッシャーかける蔦重! 逃げる京伝! 山東京伝先生の次回作にご期待ください!
37話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、岡山天音、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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