考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』35話 歌麿(染谷将太)「きよが何を考えているのか考えるのが楽しくて、それを絵にするのも楽しくて」言葉がなくとも伝わる心、その美しさ
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
喜三二の神、蔦重大明神
蔦重(横浜流星)の耕書堂が寛政の改革に抗うべく出版した最新黄表紙3作の反響は、狙い通りとはいかなかった。
売上面は問題ない。それどころか飛ぶように売れた。
だが、蔦重は渋い顔である。松平定信(井上祐貴)への皮肉が全く通じず、逆に田沼意次(渡辺謙)の政治を貶め、定信をヨイショしている内容だと受け止められたのだ。
うまく行かなかったのは黄表紙だけではない。喜多川歌麿(染谷将太)の絵による超豪華狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』は倹約令に歯向かったものだ。それなのに、江戸城の御用絵師に引けを取らないような素晴らしい絵本が入手できるのなら安いものだ、倹約令のおかげだとおかしな評判を呼んでしまった。
人というものは思いがけない方向に受け取るものだ。どうすれば皮肉が伝わるのかと、蔦重は頭を捻る。
いっぽう、蔦重の知らないところで定信が大喜びしていた。黄表紙3作のうち、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし)』を読み、
定信「喜三二の神がわたくしをうがってくださったのか!」
登場人物である畠山重忠の着物に梅鉢の紋があしらわれていることに着目し、久松松平家(徳川家康の異父兄弟を祖とする松平家)の家紋である星梅鉢、つまりこれは自分──松平定信をあらわしているのだと考察したのだった。鎌倉時代の武将・畠山重忠は、軍記物語、浄瑠璃・歌舞伎などで知勇兼備の武士の鑑として描かれ、江戸の大衆の間では人気者だった。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で中川大志が演じた人物だ。
神と呼ぶほど大好きな作家が、自分をヒーローとして描いてくれた。ファンにとっては夢のような話だ。
腹心の家臣・水野為長(園田祥太)は「殿の政をバカにしておるのでは」と遠慮がちに申し述べるが、定信は「黄表紙なのだから面白くせねばなるまい」と、気にも留めない。
「蔦重大明神がわたくしを励ましてくださっている!」
盛大な勘違いをした定信は、張り切って改革を加速させるのだった。
足軽上がりでもできたのだから
政治家としての定信は壁にぶつかり続けていた。
とりわけ、11代将軍・家斉(いえなり/城桧吏)が手をつけた大奥女中に子ができたこと。それを大奥は、定信に隠していたのである。
将軍の子は徳川政権の今後に大きく関わる。老中首座、将軍補佐である定信が把握できていないのは由々しき事態だ。水野為長から報告を受けた定信がショックで言葉を失うのは当然であった。
事情を鑑みれば、推し活で気力を奮い立たせないとやってられないであろうなと想像してしまう。
振り返れば、意次は大奥総取締・高岳(たかおか/冨永愛)とよく話し合っていた。カタブツの白眉毛・松平武元(たけちか/石坂浩二)でさえ、高岳と交渉する際には翡翠の香炉という高価な贈り物をしていた(4話/記事はこちら)。歴代の老中たちは時に便宜をはかり、時には進物をしながら、大奥と緊密に関係を結んでいたのだ。
早急に大奥とコンタクトを取るべきだが、家斉と直接話し合おうとする定信。
大奥に入り浸り、学問に身が入っていないのはいかがなものかとの諫言に、家斉は「それぞれ秀でたことをすればよいと思うのだ。余は子作りに秀でておる。そなたは政に秀でておる。それぞれにつとめればよいではないか」とシレッと応えた。
江戸幕府において、将軍がその血を絶やさぬよう努めるのは大切だ。政の実務は幕閣が行っているのだから、言ってることは間違いではないが、なんだろうこの嫌な感じは。
なんか腹立つ物言いは、父・治済(生田斗真)にそっくりではないか。
天明8年、家斉16歳。立派なクソガキにお育ちである。
家斉には、島津重豪(田中幸太朗)の娘・茂姫が御台所(将軍の正室)となることが決まっているが、婚儀が済んでいない。定信は、隠し子について将軍の実父である治済、岳父である重豪に意見した。正室より先に側室に子ができるのはよいのかと問うたのだが、将軍実父と岳父は揃って問題視していない。
治済「政など誰にでもできる。お世継ぎを作るのは上様にしかできない」
「足軽上がりでもできたのだから」と続けた言葉は、意次を貶めているようで、その実、定信をも侮辱している。
能楽の稽古を楽しむ治済と重豪。
「なかんづく鸚鵡返しということ。もろこしに一つの鳥あり……」
重豪が謡い、治済が舞う稽古をしているのは『鸚鵡小町(おうむこまち)』だ。老いた小野小町が、和歌の技法「鸚鵡返し」で帝に返歌をする場面である。
一橋徳川家の屋敷内に治済が作らせた能舞台には、ずらりと豪華な装束が並ぶ。定信が指摘すると、すべて島津家からの贈り物だと治済はうそぶいた。
定信は「天下に質素倹約と賄賂禁止を号令している最中に将軍の父がこれでは示しがつかぬ」と憤るが、治済は平然と「ではこれでひとつ、よしなに」と能面を定信に差し出す。
「わしはそなたから10万石も貰うたゆえ、少しでも返そうと思うた」
松平定信の実家である田安徳川家は、治済の五男・斉匡(なりまさ)が養子となり、田安屋敷と10万石を相続した。わしの血筋がそなたの血筋から10万石の家を貰い受けたぞという煽りである。定信は悔しくてならない。
さらに、武士たちへの文武奨励が上手くいっていないという報告が上がってきた。
生半可な知識に則り、付け焼刃の武芸をひけらかして市中で乱暴を働く者、初歩の漢文すらろくに読めぬ者の存在が珍しくなくなってきたというのだ。
意次を追い落として勝ち取った老中首座の席に座ってみれば、あちらもこちらも思う通りにゆかぬことだらけ。松平定信のストレスが募ってゆく。
すねる恋川春町
戯作者・恋川春町もまた、ストレスを抱えていた。耕書堂黄表紙3作の中では、春町の『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』だけ、売れ行きがイマイチだったのだ。
耕書堂での次回作を練る会議で、一人すねる姿が、めんどくさいが可愛かった。
落ち込む春町は、勤務先である小島藩の江戸屋敷でも仕事に身が入らない。そんな春町を、主君である小島松平家当主・松平信義(のぶのり/林家正蔵)は『悦贔屓蝦夷押領』を手に「とびきり面白かったぞ! 実に皮肉でな」と評価し励ましてくれた。
「世の中には皮肉が伝わらなかった」としょげる春町に、信義は微笑む。
「伝わりすぎても(幕府から)お咎めを受けようし。難しいところじゃな」
林家正蔵の演じる松平信義からは、温厚で親しみやすく見識深いさまが伝わる。この殿様だから、春町は信頼して仕えることができるのだろう。
春町は、信義に老中・松平定信の政治をどう考えるのかと意見を求めた。少し考えて信義、
「志はご立派だが……はたして、しかと伝わるものなのか」
若き老中が掲げた高い理想、その実現の難しさを語るのだった。
はたして町を歩いてみると、弓矢で町民を脅す侍に出くわした。心得違いの武士が文武文武と幅を利かせている。
春町は町で見かけた侍たちのことを、耕書堂で蔦重と喜三二に話してみた。
喜三二は「弱い者に威張り散らすのが武家らしいと思ってんじゃねえかな」と呆れ顔だ。
春町は主君・信義の見解をもって返す。
「元から文武に励んでいた者は、いまさら道場に通いはせぬし『論語』を買ったりせぬ。今、文武だと騒いでいるのはニワカ仕込みの新参者だと、殿は仰せであった」
ニワカはいずれみんな飽きて、大勢のトンチキ侍が生まれるのではないか。これ以上ない皮肉だ、これは面白い──意を通じた蔦重と春町は、ニワカ文武のトンチキ武士が生む現象をテーマに、新たな作品を生むと決めた。
定信の著作『鸚鵡言』
文武奨励政策の一貫として定信は、儒学者・柴野栗山(しばのりつざん/嶋田久作)を招く。栗山は、幕府直轄の学問所・湯島聖堂で、直参(将軍直属の武士)旗本・御家人に向けて朱子学の講義を始めた。
そこで教材として使われる定信の著作『鸚鵡言(おうむのことば)』を書き写すのが直参の間で流行していることを春町に伝えたのは大田南畝(桐谷健太)。
『鸚鵡言』とは、儒学の経書『礼記(らいき)』の一節「鸚鵡能く言えども飛鳥を離れず(オウムは人の言葉を話すが鳥でしかない。人も礼節を学ばねば禽獣と変わらない)」から取った題名だ。『鸚鵡言』にある、
その術様々なれど紙鳶(たこ)を上ぐるに外ならぬ
治国の術はもとあるを知るべし
(凧を上げるには、天候や時期、環境を見ねばならない。政治も同じことだ。時期や環境を鑑みるべきなのだ)
この一文から春町は創作のヒントを得る。
歌麿ときよの再会
蔦重の出版する黄表紙と松平定信の政策を通して、言葉で考えを伝える難しさが描かれた。その一方で、言葉がなくとも伝わる心、その美しさも描かれた。
歌麿ときよ(藤間爽子)ふたりの再会である。
蔦重に鳥山石燕(片岡鶴太郎)が亡くなったことを報告した歌麿は、きよと所帯を持ちたいと告げる。結婚報告を受けて、我が子のことのように喜ぶつよ(高岡早紀)と「やはり、そういうことにございますよねっ」と頷くてい(橋本愛)。
きよとの偶然の再会は、歌麿に新たな人生をもたらした。
洗濯を生業とするきよは、当時の洗濯女の多くがそうであったように、身を売って糊口を凌いでいた。
きよは聾啞者である。歌麿に話しかけられ、自分の名前と値段を書いた紙を見せる仕草が、これまでの人生を思わせて悲しい。そんなきよの目は澄み、洗濯に勤しむ所作は軽やかで明るいのだ。きよの豊かな表情を見つめる歌麿は、
「きよが何を考えているのか考えるのが楽しくて、それを絵にするのも楽しくて」。
モデルの内面を描き出した歌麿の人物画の起点が、きよとの出会いであるという物語だ。
性虐待のサバイバーである歌麿が、同じく不幸な人生を歩んできたであろうきよと幸せになりたい、「ちゃんと幸せにしてえ」と晴れやかな表情で語る姿に、蔦重でなくとも涙が出る。
きよとの新居に石燕の家を借りるために、耕書堂で買い取ってほしいと出した絵は、かつてどうしても描けなかった笑い絵(春画)だ。
「おきよがいたから幸せって何かってわかって、幸せじゃなかったことも絵にすることができた」
歌麿はきよのおかげで、これまでの経験と向き合い、絵に込めることができたのだった。
これこそ、歌麿にしか描けない絵。当代イチの絵師に押し上げる絵だ。100両でも安い。
歌麿、おきよさん、結婚おめでとう。ずっとずっと、ずーーっと幸せでいてほしい。
石燕先生、歌麿とおきよさんをどうかお守りください。
ていの感覚を信じてくれ
恋川春町は『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』を書き上げた。
世相を映し皮肉が効いた内容に、蔦重も戯作者たちも大笑いするが、ていだけは青ざめる。
てい「これは、あまりにもからかいが過ぎるのでは」
どんな物語かといえば──。
「『礼記』にはこう書かれている。鸚鵡能く言えども飛鳥とはなれない。傾城(女郎)もありんす言葉を使うが実際は田舎娘である。私、恋川春町も黄表紙を書くが人真似から離れられない、鸚鵡に似た九官鳥だ」。こんな調子の序文で始まる。
醍醐帝の御代、菅秀才という人物が帝から世直しを命じられた。菅秀才は武士たちに武芸を習わせたが、トンチキな武士たちはニワカ仕込みの武芸を振るい、町で大暴れ。
武芸だけでは駄目だ、学問を学ばせようと、菅秀才は学者・大江匡房を招いて学問所を開いた。その学問所での教科書は菅秀才の著作『九官鳥言』だ。
『九官鳥言』はわかりやすいとトンチキ武士たちに大好評。凧を揚げれば良い国になると書いてあるのだと、武士たちは揃って凧揚げを始めた。
凧を仲間だと勘違いした鳳凰が舞い降りてきたので、鳳凰に惹かれてやってきた麒麟と一緒に捕まえて、茶屋の見世物にした。
茶屋は大繁盛、鳳凰と麒麟が揃い踏みで天下泰平になったとさ。めでたしめでたし。
題名といい序文といい『九官鳥言』といい、松平定信をからかいまくっているのは明らかだ。ていが幕府からのお咎めを危惧するのも無理はなかった。
春町は、これはからかうというよりも諫める意味合いが強いと語る。
てい「それはからかいよりも更に不遜、無礼とはなりませんでしょうか」
「一体何様だという怒りを買うのでは」と、ていは主張する。
だが蔦重は「そもそも不遜で無礼なことをしようとしているのだから」と反論した。
そこに、吉原から次郎兵衛(中村蒼)が情報を持ってやってくる。
松平定信は大の黄表紙好きで、恋川春町贔屓、蔦屋耕書堂も贔屓という話だ。
喜ぶ戯作者たちと蔦重。それならば定信は確実に『鸚鵡返文武二道』を読んでしまう! と緊張の面持ちのてい。
頼む、蔦重。ていの感覚を信じてくれ。耕書堂の女将として、常に江戸の町で世間の流れと大衆の気持ちを掴もうとしているんだ。
だが、ていの心配をよそに寛政元年(1789年)『鸚鵡返文武二道』は出版される。
それが蔦屋の運命の分かれ目となった──。
次回予告。耕書堂が家宅捜索を受ける。平秩東作(木村了)生きていたのか!須原屋さん(里見浩太朗)ご健勝のご様子なによりです。春町先生! 待って、早まらないで。吉原の女将たちと現れたこの女性!どうしているのだろうとずっと気になっていたから、再登場が嬉しい。すずめ踊り、懐かしいね。喜三二先生の涙の理由は。怒りに震える松平定信
「倉橋格(くらはしいたる)なる人物を呼び出せ」。
春町先生はどうなるのか。36話が気になりますね
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、渡辺謙、染谷将太、橋本愛、岡山天音 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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