考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』34話 蔦重(横浜流星)「ありがた山の寒烏でございます」意次(渡辺謙)「こちらこそ、かたじけ茄子だ」 通う心には源内(安田顕)がいる
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
老中首座・松平定信
天明7年6月19日(1787年8月2日)。松平定信(井上祐貴)は老中首座となった。
バッキバキに張り切った定信は、幕閣を前に演説する。
「今この国は田沼病にかかっておる。田沼病とは奢侈(しゃし/ぜいたく)に憧れる病である」「これを治すための薬はただひとつ。万民が質素倹約を旨とした享保の世(8代将軍・吉宗の治世)に倣うことである」「それぞれの分(身分)を全うすべく努めるべし。武士は文武に努め世を守り、百姓は耕作に努め世を支え、そのほかの者は世に尽くすべし!」
意気軒高の所信表明演説であるが、11代将軍・家斉(いえなり/城桧吏)は退屈して羽織紐を弄っているし、将軍父・治済(生田斗真)はあくびをかみ殺している。父子そろって政治に興味がない。田沼意次(渡辺謙)は既にこの場にいない。
定信へのツッコミ役不在の江戸幕府で、世にいう寛政の改革がスタートしたのだ。
市中には名君・吉宗の孫であること、米不足の江戸に白河藩産の米を持ち込んだことを報じる読売が大々的にばら撒かれた。数えで30歳という若きリーダーの登場に熱狂する江戸の民。読売には凛々しい少年姿の定信が、田沼家の家紋である七曜をつけた獣を懲らしめる絵が描かれている。定信を持ち上げつつ、田沼意次のネガティブキャンペーンにも余念がないようだ。
エピソード満載、熊を倒した、生まれてすぐ論語をそらんじた……定信人気はまたたくまに上昇し、はやくも神格化の域まで達している。
「読売に提灯持ちをさせたのは大当たりでございましたね!」
世論誘導が上手くいったと、定信の家臣・水野為長(園田祥太)は喜んで報告する。
この家臣は、11話(記事はこちら)で定信(少年時代は寺田心)に黄表紙『金々先生栄花夢』を取り上げられて畏まっていた男だ。12話(記事はこちら)では鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)の地本問屋に現れ、「今年出た黄表紙をすべて。2冊ずつ頼む」と注文していたのだ。あれは定信に命じられてのお使いで、2冊ずつということは「そなたの分も買うがよい」という温情だったのか、あるいは2冊とも定信自身の、読む用と保存用だったのかもしれない。なんとオタクらしい行動。
水野為長が、定信が黄表紙ファンとなるきっかけを作っていたという筋立てが、実に面白い。
水野為長とは、実在した松平定信腹心の家臣である。隠密を使い、江戸城内外の噂をまとめて定信に報告していたという。この報告書は後世に『よしの冊子(ぞうし)』として伝わることとなる。噂を中心に集めている『よしの冊子』は、ことの真偽よりも、人の評判、世情を掴むことに重きを置いている。特に報告が始まった当初は、隠密たちが定信の顔色を窺ったのか、松平定信の良い評判を粉飾した──今風に言えば「盛った」フシがあるとも言われる。
池波正太郎の人気時代小説『鬼平犯科帳』には、この『よしの冊子』に取材したエピソードが複数見られる。
ていはスチャッと眼鏡を外し
松平越中守定信の評判はうなぎ上りで、世間から田沼びいきの本屋と目されている耕書堂には分が悪い。
蔦重につよ(高岡早紀)が「あんたも越中守様の錦絵でも出しちゃどうだい?」と勧め、手代・みの吉(中川翼)も「黄表紙はどうです? 素性を隠した越中守様が大暴れ!」と暴れん坊将軍ならぬ「暴れん坊老中」の出版まで提案する。
蔦重は不機嫌に、定信は打ちこわしを収めた意次の手柄をかすめ取った、人のふんどしで相撲を取るふんどし野郎だとこき下ろす。蔦重の定信評は、妻・てい(橋本愛)と対立した。ていは定信の所信表明演説をそのまま引き写した読売を見せ、
てい「倹約に励み身分をわきまえ働く、至極真っ当なことを言っているように思えますが」
蔦重「そいつは世のため死ぬまで働け、贅沢すんなって言ってんだよ。正気の沙汰じゃねえだろ」
てい「派手に遊び回る方を通だの粋だのともてはやす。今までの世がとち狂っていた!」
と言い募ったところで、自分の夫が通と粋をもてはやしてナンボの吉原出身であることを思い出し、言い過ぎたと思ったのか「……と、皆様が言っております」と付け足した。
皆様ってどこの誰様だよと言い返す蔦重にていはスチャッと眼鏡を外し、
「世間様にございますっ!!」
と、すごんだ。ていが己の目力の強さを自覚していたことに笑ってしまう。
ていの主張は的外れではない。
江戸幕府は封建支配を敷くために儒学を採用した。特に「君臣父子の別(身分と父子の上下関係は絶対)」を説く儒教の学問体系・朱子学は、国を統治する上で必須の学問として広められ、江戸社会の基盤となったのである。定信の打ち出した改革案は儒学、朱子学に則ったもので、もともとその考え方に慣れ親しんでいた江戸の民からは「至極真っ当」と受け入れられたのだ。
大衆向けの書籍を扱う地本問屋として、世間の傾向、流れを読むことは必須である。世間様に逆らって耕書堂の屋台骨を揺るがすわけにはいかないと、ていは言ったのだった。
つよから夫婦喧嘩の顛末を聞く次郎兵衛(中村蒼)が、『論語』(儒学の創始者・孔子の言葉をまとめたもの)をめくる姿は、今回の定信の改革案が儒学を基にしたものであることを示すものか。
余談だが、次郎兵衛もこの頃は髪に白いものが混じり、着物も落ち着いた色目だ。でも、羽織紐がピンク色! お茶目な次郎兵衛の人柄がファッションに現れている。
ぶんぶというて夜も寝られず
定信「田沼の者を叩けば叩くほど、民は喜ぶ。私の評判は上がる」
悪徳政治家・田沼意次とその一派をやっつけろ──民衆の喝采に呼応するように、定信は田沼派粛清を激化させていった。
越中守が田沼派役人を一斉処罰したと報じる読売には、土山宗次郎(桝俊太郎)の名前が連なる。土山は富士見御宝蔵番頭に異動となっていたが、勘定組頭時代の横領の罪に問われた。
土山をスポンサーとしていた狂歌師・大田南畝(桐谷健太)が震えあがるのも当然だ。
果たして、大田南畝は幕府から呼び出しを受ける。
南畝を尋問するのは、若年寄・本多忠籌(ただかず/矢島健一)と奏者番・松平信明(福山翔大)のふたり。本多忠籌は、初代将軍家康に仕え「徳川四天王」の一人と称せられた本多忠勝の直系子孫であり、松平信明も3代・4代将軍を支えた「知恵伊豆」と名高い松平信綱を先祖に持つ。血筋の上では徳川家臣団エリート組で、意次を成り上がりと見ていたであろう側の人物だ。
本多「そなたの作る歌・文・詩は、ふざけてはおるが深い学識に裏打ちされたものだと、越中守様も仰せじゃ」
定信はさすがのサブカル好きだけあって、よく研究している。老中筆頭からの評価を伝えた上で本多は南畝に一首の狂歌を見せた。
世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず
(世の中にこれほどうるさいものはないよ。文武と言って夜もおちおち眠れない)
「蚊ほど」と「かほど(これほど)」。ブンブという蚊の羽音と、定信が奨励する文武をかけている。「なかなかに御上手にございますな」と褒める南畝に、本多は「これはそなたの作だと噂になっている」と横槍を入れる。真っ青になって自作ではないと否定する南畝だが、松平信明は、
「だが、その歌を上手いと申した。それは越中守様を文武とうるさい蚊と思ってはおるということであろう!」
と責める。思うことすらダメなのか。表現規制と思想弾圧が江戸城内で始まったのだ。
南畝は幕臣だから真っ先に問い詰められているのだが、この追及が江戸城の外にも及んだら、どうなるのだろう。
「我が心のままに」じゃ
南畝から、もう狂歌はやめると告げられた蔦重は思案する。民衆へのみせしめとしての田沼派処罰と表現規制。地本問屋としてこれから自分はどうするべきか。
そんなときに蔦重の背中を押すのはやはり、平賀源内(安田顕)の「我が心のままに生きる」という言葉だ。なにごとか決意した蔦重は、意次の屋敷を訪ねた。
突然の訪問に、田沼派弾圧が町民である蔦重にまで及んだのかと心配する意次。源内の死が頭をよぎったのだろうが、とことん仲間思いである。
そういうわけではないという蔦重の言葉に安心し、老中であった時とは違い、蔦重のすぐ傍に腰を下ろす意次。
蔦重は田沼の作った世の中──誰もが身分を越えて親しみ、心のままに生きられる余裕があった社会を愛していると伝え、
蔦重「私は最後の田沼様の一派として、田沼様の世の風を守りたいと思います。そのために田沼様の名を貶めます。そこはお許しいただけますでしょうか」
意次「許さんなどと申せるわけはなかろう」「好きにするがいい。自らに由として『我が心のままに』じゃ」
蔦重と意次、どちらの心にも平賀源内がいる。体は滅んでも志は死なない。
「ありがた山の寒烏でございます」「こちらこそ、かたじけ茄子だ」と笑い合い、手をつなぐ。ふたりとも初めて出会った時(1話/記事はこちら)のことが胸に去来しているに違いない。
意次に見送られる縁側で蔦重は、屋敷の家臣たちが投票で役割を決めているのを目撃する。常に新しい政を探求した田沼家らしい場面だ。「これを国をあげてやったら世がひっくり返るかもしれん」と悪戯っぽく笑う意次。
蔦重の「田沼様ってなあ……」に「べらぼうでござろう?」と後ろから声をかけたのは三浦庄司(原田泰造)だ。
そう、三浦庄司! これまでずっと、彼は治済の陰謀に取り込まれているのではと疑っていたのだ。だがこの「べらぼうでござろう?」の笑顔一発で、彼は潔白だとわかった。お仕えしている我が殿様を心の底から誇り、自慢している顔だ。今までごめんね三浦さんと謝る。そして、原田泰造に心よりの拍手を贈りたい。
三浦に促され、幕府よりの使い・本多忠籌の前に平伏する意次。
既に相良藩の2万石を召し上げられていたが、さらに2万7千石の没収、相良城の取り壊し。2度目の蟄居という厳しい処分を受ける。だが、その顔には、悔しさも憤怒もない。志を後の世に続く者に託しての、静かな表情だった。
さらば、七ツ星の龍・田沼意次。
この翌年、天明8年(1788年)に意次は70歳で世を去った。
皆様、力をお貸しくだせえ
蔦重は耕書堂に狂歌師、戯作者、絵師を集めた。相変わらずふざけて大笑いする一同に語りかける。
蔦重「楽しいですよねえ、ふざけるってなあ。けど、これから先、ふざけりゃお縄になる世が来ると思ってます」松平定信の政策を批判し、これから先は息が詰まるような世が来ると予見してみせた。
この場面、蔦重の顔は映らない。その背から少しずつ反骨の炎立つのが見えるようだ。
蔦重「俺はこの流れに、書を以て抗いてえと思います。皆様、力をお貸しくだせえ」
どんな書を以て抗うというのだと問う恋川春町(岡山天音)に応えて蔦重、ひとつは松平定信の政治をからかう黄表紙によって。もうひとつは、歌麿(染谷将太)の虫と花の絵を思いっきり贅沢な狂歌絵本に仕立てることによって。
「ご公儀(幕府)をからかうなど首が飛ぶ」と慄く南畝と、そもそも政治をネタにするのは禁じられているのではと危ぶむ、唐来三和(とうらいさんな/山口森広)。
そこに蔦重は、松平定信が読売に書かせた提灯記事を読んでみせた。幕府によって世論が操作されていた──この事実に、反骨の炎が作家たちにめらめらと燃え広がってゆく。
耕書堂作戦その1。
松平定信を持ち上げ田沼意次をバッシングすると見せかけて、実は定信の政治をからかう内容の黄表紙の刊行だ。なるほど面白いと身を乗り出す戯作者と絵師ら。
耕書堂作戦その2。
超豪華狂歌絵本には、どうしても大田南畝の狂歌がほしいと説く蔦重。
意味のない、くだらない、面白いだけの狂歌。これぞ無駄。何もなくとも頭をひねって生み出す贅沢。身分を越えて、皆で笑いあえる遊び。天明狂歌は、南畝が生み出した偉大なムーブメントだと賞賛した。
南畝は歌麿の絵を手に取る。蜜を守る蜂に毛虫が這い寄っている絵を見て一首、
毛をふいて傷や求めんさしつけて君があたりに這いかかりなば
(毛虫がわざわざ蜂に這い寄っている。夜這いをかけて刺されたいのかね)
毛虫の叶わぬ恋を歌っているようで、中国の思想書『韓非子』由来のことわざ「毛を吹いて疵を求む」を下敷きにしての「取るに足らない傷を悪事として暴こうとすると、暴こうとする側の欠点が露になるものだよ」という幕政への皮肉とも取れる。大田南畝の教養と機知が活かされた狂歌である。
蔦重の言と歌麿の絵が、委縮していた南畝を動かした。
南畝「屁だ。戯歌ひとつ詠めぬ世など、屁だ!」
屁! 屁! 屁! 三度目の屁の宴。とことんバカバカしい、屁を連呼してのくだらない輪踊が、寛政の改革への抵抗の狼煙、クリエイターたちの鬨の声となる。
そこに不器用ながらも、屁! 屁! と加わる、てい。
蔦重は「世間様」の流れを読めないのではない。この先を読んでいるから戦うのだ。本屋として、この世での使命を全うする──ていは蔦重の矜持に打たれ、共鳴したのだった。
耕書堂に響く屁踊りの声。書による戦いが始まった。
硯の魂に相談
虫と花の絵に、金銀雲英(きら)が施されて輝く。鳥山石燕(片岡鶴太郎)は、愛弟子・歌麿の絵が贅沢な狂歌絵本となることに大喜びだ。蔦重と歌麿は石燕に序文を依頼した。
実際、この狂歌絵本に寄せられた鳥山石燕の序文は、子ども時代の歌麿について語っている。トンボと戯れ、バッタやコオロギを掌に乗せて遊んでいた少年・歌麿を知る石燕の、師匠としての愛情溢れる文章だ。ドラマ中、依頼を受けた石燕は「硯の魂に相談してみねえとな」と笑っていたが、どうやら硯の魂は快く賛成してくれたらしい。
蔦重の本作りが進む一方で、天明7年12月、逃亡していた土山宗次郎は捕らえられた。武士としての切腹は許されず斬首。妾として囲われていた誰袖(福原遥)も押込の刑(自宅で20日以上100日以下の幽閉)に処された。その後の彼女がどうなったか……。誰袖はたくましく生き抜ける気がする。
天明8年の正月。田沼派への追罰が容赦なく執行されてゆくなか、耕書堂から新刊が発売された。
黄表紙三作
朋誠堂喜三二『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』
恋川春町『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』
山東京伝『時代世話二挺鼓(じだいせわにちょうつづみ)』
超豪華狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』
松平定信の寛政の改革に一戦を仕掛けた、黄表紙と絵本だ。神棚に勝利を祈る蔦重。
だが、蔦重はまだ知らない。松平定信が大の黄表紙好き、しかも考察大好き系オタクだということを。天明8年正月出版の黄表紙を取り寄せ、ワクワクして手に取る定信。
さあ! 耕書堂最新刊、吉と出るか凶と出るか!
次回予告。「私はこれは出せば危ないと存じます」ていの危惧。馬鹿にされることにピリつく定信。命懸けの皮肉でお上に立ち向かう。暇をもてあます治済、能装束ファッションショー開催。「所帯を持とうと思って」。歌麿が結婚って!
その河童と女の絵は、例のアレ……!
35話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、渡辺謙、染谷将太、橋本愛、岡山天音 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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