考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』蔦重(横浜流星)の仇討ち『江戸生艶気樺焼』爆誕29話「来いっ!」京伝(古川雄大)を抱きしめる春町(岡山天音)が象徴するものとは
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
田沼意次と一橋治済の対立
蔦重(横浜流星)が仕掛けるあざやかな仇討ちが描かれた29話だった。
思いを交わした田沼意知(宮沢氷魚)の命を佐野政言(矢本悠馬)に突然奪われ、絶望したかをり(福原遥)は、佐野への呪詛で心身をすり減らす。
蔦重は、かをりの笑顔を取り戻すために、本屋としての仇討ちに乗り出したのだ。
その痛快なる経緯を追う前に、田沼意次(渡辺謙)と一橋治済(生田斗真)、対立するふたりの動向に触れておきたい。
28話(記事はこちら)でチラリと映った、道端の桶の水をすすっていた僧侶。顔がよく見えず、誰だろうと思ったら平秩東作(木村了)だった。襲撃を受け、身を守るために僧侶に変装して逃げていたのだ。東作は命からがら、松前藩密貿易の証拠である裏帳簿を、意次のもとに持ち込んだ。これならば松前藩を追い込むことができる。
この裏帳簿は、亡き意知の指示で探して入手したもの。東作は、湊源左衛門(信太昌之)、善吉(ガリベンズ矢野)、そして意知の犠牲の上に成り立った蝦夷上知計画を成し遂げてくれと意次に懇願する。
平秩東作は治済と繋がっているのではと疑っていましたが、これは誤解だったようだ。
ごめんね、東作!
松前藩の密貿易による蓄財は徳川幕府への背信行為、つまりは謀反の疑い。ひそかに松前道廣(えなりかずき)の後ろ盾となっている治済をも追い込み、力を削ぐことができるかもしれない。一気に攻め込むぞ! と決意を固める意次。しかし治済は将軍・家治(眞島秀和)に蝦夷上知の御礼を申し上げるという意外な行動で、意次に肩透かしを食らわせた。
治済にばっさり切り捨てられた松前道廣が、このままおとなしくはなるまい。
だが「俺はなすべきことをなすだけだ」と前進する意次。くれぐれも油断しないでほしい。
一般読者代表はてい、新之助、次郎兵衛
その頃、かをりの願いである仇討ち方法を思いついた蔦重は、行動に移していた。
蔦重が想を得たのは、山東京伝(古川雄大)・絵師名・北尾政演(まさのぶ)の企画した『手拭合(たなぐいあわせ)』に登場する、暖簾からひょっこり顔を出す男。この男を主人公に大笑いできる黄表紙を作りたい──蔦重は戯作者を集めてネタを募った。そこに、鶴屋喜右衛門(風間俊介)からの指名が入る。不況にあえぐ出版界全体のため、恋川春町(岡山天音)作『金々先生栄花夢』(安永4年/1775年)級の大ヒット作品を出してほしいという期待を背負わされて京伝が担当作家となった。
この場面の鶴屋喜右衛門の台詞がちょっと面白い。
「大当たりが一作出れば、その年の新作は売れ、その作者の前の作も売れ出すのが常」。
現代でも、文学賞受賞作家、映画化作品の原作者の作品は当該本と併せて書店で平積みされる。こうした売り方は、江戸の大衆向け出版物でも同じなのだろう。
『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』(天明2年/1782年)など山東京伝作品の版権を持っている鶴屋としては、協力を惜しまないというわけだ。
蔦重と鶴屋の期待にプレッシャーを感じながらも、京伝は新作のラフ案を出してきた。それをたたき台にしての会議が行われた。
蔦重がこの場に呼んだメンバーは、ネタ出し会議参加のいつもの戯作者のほか、妻のてい(橋本愛)と筆耕(ひっこう)の新之助(井之脇海)、吉原から義兄の次郎兵衛(中村蒼)が加わった。兄さん久しぶり! のんびりした次郎兵衛がいるとホッとする。
さて、新作ラフ案に対する評価は。
朋誠堂喜三二(尾美としのり)と春町の戯作者ふたりは、それほど否定的ではなかった。「第二の『金々先生』を生んでくれ」という鶴屋からのリクエスト通り「金々先生』をベースにしてるんだねと理解を示す。ただ、狂言師・大田南畝(桐谷健太)の評は「『上々吉』。『極上々吉』ではない」つまり「まあまあ」。そして戯作者以外の一般読者代表──てい、新之助、次郎兵衛たちの声は更に芳しくない。
次郎兵衛は新作を『金々先生』だと勘違いして興味を失い、ていは「田舎から出てきた若者が、世慣れていないが故に騙されることの面白さがわからない。主人公が気の毒になってしまう」と言い、新之助は「今は田舎から出てくるのは飢えた流民ばかりで、この作品のように一攫千金を夢見る若者はいない」と指摘した。
9年前とは社会が変化しているのだ。バブル経済時代と不況下では、ウケるテーマが変わるのと同じ。この会議に編集者、作家以外の人間を加えて意見を聞いたのは蔦重の慧眼であった。「素人の意見だ」と不満顔の京伝に、
蔦重「世の殆どは素人だろう。素人も面白れえ。けど、通もうなる。そういうもんにしねえと、大当たりは無理だ」
現在公開中の映画『国宝』を思い浮かべた。横浜流星が出演しているこの映画は歌舞伎界の物語であり、歌舞伎を観たことのない人も歌舞伎ファン、演劇評論家も賞賛の嵐である。興行収入、観客動員数が伸び続けており、まさに大当たりだ。
狙うは大ヒット。それを目指して最初から練り直しだと告げる蔦重に、京伝はへそを曲げて席を立ってしまった。後を追おうとする蔦重に、春町が「ここは俺にまかせてくれんか」。
はたして、春町の説得法はいかに。
貴様は俺の仲間だ
春町と喜三二は、京伝のもとを訪ねた。
22話(記事はこちら)で歌麿(染谷将太)が春町の説得に赴いた時も喜三二が同行していたが、この人が場にいる安心感よ。
京伝、さすが自他ともに認める色男だ。粋な年増、三味線師匠・つや(国分佐智子)の家に身を置いている。涼しい顔をして、絵や戯作は女にモテる手段だから、いいものを作るとか大当たりとかはどうでもいいとうそぶき、必死になるのは野暮なことだと笑って見せた。
京伝の様子をじっと観察していた春町が隣室の襖を開け放つと、山と積まれた資料と何枚も何枚も書き直した原稿があった。それは、びっしり付箋だらけに分析され尽くした『金々先生栄花夢』。
京伝の必死と苦労の痕跡である。慌てて取り繕おうとする京伝に春町は、
「見栄をはるな、貴様は俺の仲間だ。机にかじりつき 人から見たらどうでもよい些末なことにこだわり、迷い、唸り。夜を明かしてしまう手合いであろう」
違う、俺は喜三二先生側の人間だと否定する京伝。
だが、名作を軽々と書いているように見える喜三二も『見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』(安永10年/1779年)完成までは苦しみ抜いていたのを、京伝は知らない。10作もの新作執筆という重責に耐えかね、男性特有の症状を発症した18話(記事はこちら)の大蛇の夢をこちらは覚えている。
春町の京伝への「仲間だ」という呼びかけに、これまでの作家としての苦闘を思い出した。『金々先生栄花夢』と『辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)』(安永7年/1778年)で人気を博した後、時流に乗れない、自分は古いとたびたび悩みながら『無益委記(むだいき)』(安永8年/1779年)を書き上げた。
絵師であり戯作者でもある京伝に激しく嫉妬した末に己の殻を破り『廓〇(竹冠に愚)費字尽(さとのばかむらむだじづくし)』を生んだ22話(記事はこちら)。『さとのばかむら』を読んだ京伝が嫉妬する姿に、こいつも俺と同じなのか……と驚いた。
一同の批評を聞いて傷つく京伝の様子に春町は、かつての自分を見る思いだったのだろう。
「来いっ!」
京伝を抱きしめる春町。
一体なにを見せられているのだ……と思わないでもないが、春町先生の力強い抱擁は文章を書く人、絵を描く人。ものを作る全ての人間への慰撫と激励であった。
一字一句を、一筋の線を、書いては消し描いては破り。頭を抱え髪をかきむしり部屋をうろうろと歩き回る。評価に一喜一憂する創作者は皆、春町先生の仲間である。
これは大河『べらぼう』の象徴的なシーンとなった。厳格な身分制度に基づいた社会構成の江戸時代において、武士である恋川春町が、町人の山東京伝を同じ人間だと言い切ったのだ。
創作を介して誰もが等しく、笑い、泣き、喜びあえることを伝える。身分制度社会へのアンチテーゼだ。しかもコメディタッチを取ったことで、より実感に訴える効果があったのではないか。
気の毒な人物は笑えねえ
「京伝先生と喧嘩したそうじゃないですか。なにかお手伝いできることはありますか?」
京伝の離脱で暗礁に乗り上げた新作出版。さてどうしたものかと思案する蔦重に鶴屋喜右衛門が手を差し伸べた。
蔦重は、佐野政言という人物像の解釈を求めた。喜右衛門の「貧乏旗本で苦労続き、真面目な人柄だけにお気の毒でした」という言葉を聞き、「気の毒な人物は笑えねえですね」と頷き、そこから「じゃあ、気の毒じゃなきゃ笑えるってことか」とアイデアを得た。
蔦重と京伝、春町らは鰻屋で偶然顔を合わせ、蒲焼をつつきながらネタを練ることに。
鰻の蒲焼の発祥は、いつとははっきりしていないようだ。江戸時代以前は、鰻を丸ごと、あるいはブツ切りにして串に刺して焼く食べ方だったという。湾の干拓を繰り返して都市開発された江戸では、湿地帯で鰻が豊富に採れた。江戸湾で採れる魚介類は「江戸前」と呼ばれる。江戸初期は屋台で売られる安価な串焼き料理だった江戸前鰻は、江戸中期以降は濃口醤油と酒、また、みりんなどの甘味調味料の普及と、調理法の進化により現代の味に近い蒲焼が人気を得て、江戸っ子の大好物となったのである。
蒲焼をつつきながらの話は弾む。
江戸の今一番の流行りは佐野政言。気の毒な境遇でとても笑えない佐野のすべてを裏返し、とことんくだらない大笑い新作を作り上げようと、喜右衛門の解釈から思いついた構想が、創作者たちのアイデアを得て具体的に広がっていく。
貧しい旗本の嫡男で命がけの凶行に及んだ佐野政言とは正反対の男の話はどうだろうか……蔦重が皆と語る主人公の設定案を聞くうち、柄に似合わず黙りこんでいた京伝たまらず、うずうずして口を出し始める。結果、京伝と蔦重の掛け合いで誕生したのは、大金持ちの若旦那で、浮名を流すことに命をかけるすがすがしいほどのバカ主人公。
次々湧くアイデアに興奮して気まずさをすっかり忘れた様子の京伝に、蔦重の殺し文句が出た。
蔦重「読みてえよ。それ俺、とんでもなく読みてえ!」
京伝「俺、めっぽう書きてえです!」
山東京伝、完全復活。もう大丈夫だと安堵する春町と喜三二の笑みが染みる。
蔦重が周囲からネタを集め、京伝がそこから創作する──二人三脚が始まった。
浮名を流すなら読売(江戸時代の報道。瓦版、瓦版を読むひとなどを指す)で展開を見せる案、女の気を引こうとわざわざ殴られにゆく男、吉原で間夫(まぶ/女郎の情夫)ではないのに大金払って間夫気分だけ味わう客。京伝自身も、元カノの名前を灸で焼き消した上から今カノ「つや」の名を彫った自分の入れ墨経験を作品に取り入れる。
バカの具体例が集まり、物語が書き進められていった。
張り切って執筆する京伝を見ていた蔦重、ふとその背に頬を寄せる。
えっ。艶っぽい仕草と美貌、表情から放たれる色香に、京伝と同様に固まってしまった。一体なにを見せられているのだ……(2回目)。つい見惚れてしまったが、すぐに作った蔦重の変顔に笑い、平賀源内(安田顕)を思い出した。頬を寄せて顎をしゃくった変顔は源内だ。いつでも蔦重の胸の内にいて「書を以て世を耕す」様を見守っているのだな。いや、一緒に世を耕しているのか。
志は死なない。
大河ドラマキャストと制作班で映像化
こうして、新作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』が完成した。
タイトルは「江戸前鰻蒲焼(えどまえうなぎのかばやき)」をもじっている。
早速、蔦重はかをりに読んで聞かせる。ゆっくりと読む声は、1話(記事はこちら)で病床の朝顔姐さん(愛希れいか)にも同じようにしていたことを思い出させる。食事が喉を通らなくとも、せめて心には栄養を。
ここから繰り広げられる劇中劇は、もうバカバカしさの極み。くだらなさを追及した江戸大衆文学の傑作を大河ドラマキャストと制作班が渾身の力で映像化した。
一体なにを見せられているのだ(3回目)と呆れつつも力技で大笑いしてしまう。
最初は無反応だったかをりだが、場面が遊郭に移ってからは熱心に耳を傾け始めた。大金をはたいて花魁を身請けするのに、なぜか駆け落ちをするという謎展開。浮名を流すため、大袈裟な芝居仕立てで野次馬に紙花撒きながら花魁を連れ出すというトンチキ駆け落ちだ。
これぞバカ展開。
そこに至ってついにかをりが笑い出した。
楽しそうに笑うかをりを、蔦重が目に嬉し涙を浮かべて見つめる。
「俺ができる仇討ちは、佐野が奪ったお前の笑顔を取り戻すことなんだよ」
横浜流星演じる蔦屋重三郎は大河ドラマでは数少ない、武士ではない男性主人公だ。
庶民であり、本屋である主人公だからこその仇の討ち方を見せてくれた。
理不尽に日常を奪われた人に対して、エンターテイメントはなにができるのか。
奪われたものは取り戻せない。ならば、心に糧を。未来へと歩き出すための力を。
『江戸生艶気樺焼』は、かをりと同じく突然意知を奪われた意次の元にも届けられた。意次も笑っている! よかった!
天明5年(1785年)世の話題は、『江戸生艶気樺焼』の主人公・仇気屋艶二郎の登場で佐野大明神から艶二郎に取って変わられた。田沼の息子ざまあみろという世間の声が収まり一安心。ではあるが、佐野世直大明神をあっさり忘れる江戸の町衆……痛快ではあるが、右に左にと揺れ動く大衆の気まぐれには苦味を感じる。
ナレーション「そして、この方の手元に届くこととなりました」
この方ってだれ? 『江戸生艶樺焼』を読む若い殿様、その傍には表紙が擦り切れ、くたびれるほど読み込まれた『金々先生栄花夢』がある。
……あっ、松平定信か! 寺田心が成長して井上祐貴になってる。
天明5年に耕書堂から出版された唐来三和(山口森広)の『頼光邪魔入』もあるから、新作を取り寄せているのか。黄表紙本好きは変わらないのだろうか。
ただ、艶二郎の名を見て「仇……」と反応する。いやな予感がするぞ。
次週予告。歌麿(染谷将太)に時が来た? 超売れっ子絵師になる時が来たというならめでたいが「時が来た」と治済が喜ぶのは不穏しかない。雨の中くるくる踊るんじゃないよ!
松平定信、田沼意次を追い落とす宣言。石燕先生(片岡鶴太郎)再登場。 どんな展開でもいい、報われてくれ歌麿。
30話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、高橋克実、渡辺謙、染谷将太、橋本愛 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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