考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』意次(渡辺謙)が凄い28話「もう二度と毒にも、刃にも倒せぬ者になったのでございます」殺気に治済(生田斗真)も生唾を飲む
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
覚えがあろう!
江戸城での抜刀は御法度である。
幕末までに江戸城殿中で起こった刃傷事件の加害者への処分は、その多くが即日切腹、改易だ。世間は「自分の命をかけてまでの刃傷、よほどのことがあったのだろう。斬られた者はそんな恨みを買うくらい悪い奴なのでは」と想像しがちだ。
真実がわからなくとも。
天明4年(1784年)3月24日。
「覚えがあろう!」の叫びと共に、佐野政言(矢本悠馬)が振り下ろした脇差が田沼意知(宮沢氷魚)を襲った。意知には全く覚えがない。自分を呼び止めた男が政言だとわかり顔をほころばせる瞬間までは、好感を抱いてさえいたのではないか。
抜刀は御法度、それが意知の頭をよぎったのか。咄嗟に脇差の鞘で防いだが、尚斬りつけられて深手を負う。田沼屋敷に運ばれたものの手の施しようがなく、4月2日に世を去った。
享年36歳。幕府の中枢を担う若年寄として、これからという時だった。
意次「意知、目を開けろ。父の言うことが聞けんのか」「なぜだ、なぜ俺じゃないんだ」
我が子に先立たれるのは、この世でもっとも深い悲しみだ。田沼意次(渡辺謙)の慟哭。
その問いかけに答えるように、場面変わった江戸城西の丸で、治済(生田斗真)が語っていた。
「主殿(意次)は放っておいても老い先はそう長くない。嫡男を亡きものとすることこそ、田沼の勢いを真に削ぐこととなる」
治済の前でおいしそうにカステラを頬張る少年は、次期将軍・徳川家斉(とくがわいえなり/長尾翼)。治済の実子で、10代将軍・家治(眞島秀和)の養子として江戸城西の丸にいる。天明4年のこの年、11歳。
田沼への攻撃を一気に進めた理由は、家斉が順調に成長したことと、この前年に意知が若年寄という異例の出世を遂げたからなのか。近い将来に我が子が将軍の座に着いた後も、田沼が実権を握り続けることを防ぐ目的の陰謀だ。
腹立つなあ。口に運ぶカステラの一切れが大きいのさえ腹立つ。
たった一つの石つぶてで
治済の策略は、意知謀殺に止まらない。事件は厳粛であるべき葬送の場で起こった。
意知を乗せた棺に意次の籠が続き、菩提寺に向かう葬列。
蔦重(横浜流星)と歌麿(染谷将太)、大文字屋市兵衛(伊藤淳史)も見送っている。蔦重らの背後には、数々の落首が貼られている。
親子して己が田沼へ水をひき血汐流して佐野がじゃましろ
(田沼父子が我田引水で私腹を肥やしているのを、佐野政言が血を流して邪魔をした ※意知の官職・山城守/やましろのかみと『邪魔しろ』を掛けている)
七ツ星一つは佐野にきらわはれて田沼の星は四二星となる
(七ツ星※田沼の家紋、七曜の一つが佐野に斬られ6つの星…4と2で死に星となった)
意知の横死を揶揄するものばかりだ。そうした田沼父子を悪徳政治家だと憎む空気があるとはいえ、それでも葬列に対しては町衆は手を合わせ、死者を悼む姿勢を見せていた。
だが、たった一つの石つぶてで様相は一変する。
男「天罰だ!思い知れ!」
石を投げたのは、治済の間者・名のない男(矢野聖人)! またお前か! その石が火蓋を切り、民衆は葬列に罵声を浴びせ、石を投げ始めた。
群集心理とは恐ろしい。叩いてよいのだというきっかけを得ると、一気になだれ込んでゆく。意知の尊厳を守ろうと棺に取りすがり「やめておくんなんし」と叫ぶかをり(誰袖/福原遥)の姿が悲しい。
「仇を取っておくんなんし」というかをりの悲痛な訴えに考え込む蔦重。
佐野政言は切腹したのだ。死者を相手に、どう仇を取る?
名のない男は忙しい
マツ(伊藤かずえ)がタケ(ベッキー)とウメ(福田麻貴)に知ってるかい?と歌って聞かせた「いやさの善左で血はさんさ……」。これは江戸時代に流行した「さんさ節」の替え歌である。善左は佐野善左衛門政言。
「いやさ」は弥栄(いやさか)から転じたものか。さんさは囃子言葉である。佐野政言を讃える歌が広がっている。
それどころか、奇妙な現象が起きた。意知と政言の死の直後から米価格が下落したのだ。「米の値が下がったのは佐野様が田沼の息子を斬ったから」という噂が広がり、人々が政言を「佐野世直大明神(さのよなおしだいみょうじん)」と崇め始めたのである。
米の値が下がったのは幕府による緊急政策が一時的にでも功を奏し、それが偶然、2人の死とタイミングが重なっただけのことだ。田沼父子ら幕閣の奮闘の結果なのだが、民衆はそうは思わない。
蔦重は「斬られたほうが石投げられて、斬ったほうが拝まれるってなぁ。さすがについていけねえです」と、世間の暴力の肯定と善悪の判別に首を傾げる。
そんな蔦重に、農村で飢餓を経験したふく(小野花梨)は「私は拝んで米の値が下がるなら、いくらでも佐野って人を拝むよ」と世の人々に共感を示し、夫の新之助(井之脇海)も「それほどに苦しかった、ひもじかったと言うことだ」と言い添える。
余裕のある者にはない視点を得て、そうか、世間はそう考えているんですねと頷く蔦重が印象的だった。世の流れを見極める江戸一の利者は、常に柔軟な姿勢を保っている。
ふくと新之助の居宅から帰る途中の蔦重は、葬列に石を投げた男に気づいた。今度は侍の姿で何かを運んでいる。蔦重が後をつけてみると、男は佐野政言が葬られた徳本寺の山門前に『佐野世直し大明神墓所』の幟を挿し、立ち去った。
佐野様が田沼の息子を斬ったから……という噂の出所は、この男なのか。少なくとも、煽っているのは確実だ。
治済の間者である名のない男はえらく忙しい。ある時は平賀源内(安田顕)を陥れ、またある時は将軍鷹狩の供に紛れ込み。葬列に石を投げ、幟を運ぶ。この28話の別の場面で、平秩東作(木村了)を襲い善吉(ガリベンズ矢野)を殺したのも、恐らく同じ男だ。
治済の闇の配下は、究極の人手不足か。
いや、巨悪の駒は少ないほうがいい。できれば1人のほうが。なぜならば、目的を遂げた後その1人を消せば、全てを知る者はいなくなるのだから。
三浦の表情が気になる
名のない男の動向から、田沼父子が悪者に仕立て上げられていると勘づいた蔦重。
その閃きを与えたのが、16話(記事はこちら)での源内の絶筆──「七ツ星の龍と古き友なる源内軒の痛快なる仇討ち」物語の一節だというのが熱い展開である。
すぐに田沼屋敷を訪ねた蔦重は、心労で老け込んだ意次の姿に一瞬言葉を失う。気を取り直して「裏で糸を引いている人間がいる。それが真の仇だ」と意次に訴える。その上で、源内の死のいきさつをうやむやにせず、真実を追求していれば今日の事態は防げたのではないかと重ねた。
蔦重の話をじっと聞いていた意次は「仇は俺だ。俺が親でなければ意知が死ぬことはなかった。お前に仇が討てるのか!」と怒ったふりをして追い返した。真の仇の正体は、意次にはわかっている。しかし明らかにしようとすれば、蔦重も源内と同じ末路を辿るだろう。
意次は源内の死後にもそうしたように、蔦重を守ったのだった。
この場面で、三浦庄司(原田泰造)の表情がもう、気になって気になって。
前回のレビュー(記事はこちら)で、名のない男が佐野政言にもたらした情報があまりにも細かすぎるので、三浦が治済に通じているのではないか? と書いた。しかし、意知の遭難に際しての三浦の涙を見ると、やはりこの人は悪意のないオジサンなのでは……とも思う。
ただのオジサンならいい。が、もし治済と通じているのであれば、日本橋耕書堂──出版社の主である蔦重が黒幕の存在に気づいてしまったことが治済に漏れる。非常にまずい。
どっちなんだ、三浦。ただのオジサンか、悪のオジサンか。どうなの?
ケンワタナベーーーーー!!!!
その三浦が、後日意次からの手紙を携えて、蔦重を訪ねてきた。
手紙には「俺は仇を討つことにした」と、意次の決意が綴られていた。
意知の遺髪を懐にしまってからの江戸城での田沼意次の挙措は重厚そのもの。『べらぼう』中盤の名場面だろう。
10代将軍・家治と、お互いに突然我が子を奪われた者としての会話が泣かせる。意次を気遣い「何かしてやれることはないか」という台詞に、家治の人柄が窺えた。
意次「山城(意知)が生きていれば成し遂げたであろうことを成し遂げ、上様の御名とともに山城の名を後世に残し、永遠の命を授けとう存じます」
家治「かような卑劣な手で、奪い取れるものなぞ何ひとつないと?」
意次「目に物を見せてやりとう存じます」
家治と意次は治済の名を出さないまま陰謀の黒幕について語り、本心を述べている。
19話(記事はこちら)の、治済の子・豊千代を養子に迎えると決めたときもそうだった。
家治と意次は身分を超えた戦友のようだ。上様には長生きしてほしいと改めて願う。
この後の場面も素晴らしかった。
江戸城廊下で行く手に治済を見た時の意次の所作が、心の動きをそのまま表している。
息子の仇の姿を目にして、咄嗟に腰の脇差に手が伸びる。柄に手をかけ、目はまっすぐに治済を捉えたまま歩みを進める。ここまでは斬る気があった。が、歩きながら柄から手を離し、胸元──意知の遺髪が入った懐をポン、ポンと押さえて心を鎮める。愛息・意知の「父上」と呼びかける声を聴いているかのように。
意次が近づいてくるのを見て緊張の面持ちだった治済が、脇差から手を離した意次に安堵したのか声をかけた。「掌中の珠のような子息を喪い、さぞ」言葉でいたぶろうとする悪趣味ぶりに、観ているこちらが顔をしかめた正にそのとき。意次が切り返した。
「何も喪うてはございませぬ。あやつはここにおります。もう二度と毒にも、刃にも倒せぬ者になったのでございます。志という名のもとに」
「志は無敵にございます。己が体を失うても生き続ける。今は私の中に。私が体を失うても、誰かの中で生き続ける。もはや失いようがございませぬ」
ではこれにて……と笑顔で一礼した刹那、身を翻した意次が治済の三寸横に迫る。一気に放たれる殺気。脇差を治済の腹にも胸にも叩き込める間合いである。
「それがしには、やらねばならぬことが山のようにございますゆえ」
いつでも殺れるが殺らぬだけだ。言外に伝えて、踵を返し歩み去る意次。後に残された治済が思わず生唾を飲み込むほどの恐ろしさであった。
ケンワタナベーーーーー!!!! 田沼意次カッコイイ!!!!
上手すぎる生田斗真の悪役演技に、治済お前そろそろええ加減にせえよと拳を握りしめて観ていた気持ちが少し晴れた。人の命を弄んでいる治済が、恐らく生まれて初めて死の恐怖を味わっただけでも溜飲が下がる思いだ。
須原屋に相談
意次が政治家として仇討ちを果たすと決めた頃、蔦重も地本問屋主人として仇をどう討つべきか模索していた。
今回の刃傷沙汰を黄表紙にするのはどうかと、須原屋市兵衛(里見浩太朗)に相談してみる。
須原屋「そもそもな、御公儀(幕府)のことは本にしちゃ駄目なんだ」
4代将軍・徳川家綱の時代、寛文13年(延宝元年/1673年)に町奉行所から江戸市中に向けて触れが出された。御公儀のことなどを本にして出版する時は町奉行所に届け出て指示を受けること。これを始めとして、貞享元年(1684年)には現代の報道にあたる読売(瓦版)と、いわゆる時事ネタ、実際に起こった出来事についての書物の発行を禁止する触れなど、江戸中期はたびたび出版統制、言論統制が行われた。
それに出版業界はしたたかに抵抗。時事ネタを加工して出版したものは庶民の人気を得た。
有名なところでは、元禄14(1701年)年に起こった赤穂事件を題材にした人形浄瑠璃、歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』がある。演劇も幕府に関すること、時事ネタは禁止だったため、舞台を室町時代にした作品だ。登場人物の名は大石内蔵助を大星由良之助とするなど、うがち(隠された事実を踏まえること)で察せられるようになっている。
蔦重の「うまいことうがってもダメですかね」は、こうしたアレンジを指す。
黄表紙の悪役は佐野のほうにするという蔦重に、それじゃあ売れないと須原屋は断ずる。
須原屋「浅間山が火を噴くのも米の値が下がらないのも田沼様のせい。世の中はな、そういう筋書を立てたんだ」
現実の世界はそう単純ではない。しかし人は、悪者がいる筋書を好む。
生きることが苦しい社会では、よりそうなりやすい。悪者を成敗すれば暮らしはよくなると思いたいからだ。
世が思っている善玉悪玉を入れ替える、蔦重お得意の、世間の思い込みの逆をいく黄表紙本では駄目だとなると……どうすればいい?
黄表紙本では考える蔦重のもとを「つったじゅーうさーん」と山東京伝(古川雄大)が訪ねてきた。出たっ「手拭合(たぬぐいあわせ)」!
珍妙な手拭のデザインに「これならいけるかもしれねえ」とアイデアが降ってきた様子の蔦重。さあ、これからどう動く?
本筋とは関係ないが今週は、いや今週も、てい(橋本愛)が可愛かった。
新之助とふくの過去に関する話題に出てきた「足抜け」という言葉に対しての「真に好きあった客と女郎が、手に手を取り合い、駆け落ちすることですよねっ」
本で読んだので知ってます、という文学少女っぽい言い回しといい「お口巾着で」といい。
我らがおていちゃんは、ますます魅力的である。
次週予告。蔦重と戯作者のみんなで新作の案を練る。いいねえ、やっぱり『べらぼう』はこうでなくっちゃ。キーワードは「ひょんなことから」? 意次「一気に攻め込むぞ!」反撃の狼煙が上がるのか! あれっ。かをりがまた花魁姿に。山東京伝の鼻にご注目。一瞬、蔦重が女形みたいなフリをしてません? この場面は一体。成功するのか、本屋の仇討。
29話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、高橋克実、渡辺謙、染谷将太、橋本愛 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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