祖母、母、娘——女たちの歴史と未来を韓国の小説から考える
撮影・幸喜ひかり イラストレーション・松栄舞子 文・嶌 陽子
ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞により、世界中でますます注目を集める韓国文学。とりわけ女性作家の活躍が目覚ましく、日本でも話題の作品が次々と翻訳されている。
そこから見えてくる女性たちの過去・現在・未来とは。韓国文学翻訳者の古川綾子さんと、書評家の倉本さおりさんがおすすめの作品を紹介しながら語り合う。
古川綾子さん(以下、古川) 韓国で女性作家の台頭が目立つようになったのは10年くらい前から。決して男性作家から優れた作品が出ていないというわけではないんですが、以前は男性中心の文学界だったのが、社会の変化に伴って女性たちが自由に書ける環境になってきたという面は確かにあります。
倉本さおりさん(以下、倉本) ここ数年、主要な文学賞の受賞者もほとんどが30〜40代の女性ですね。
古川 2015年頃からフェミニズム運動が盛んになってきて、そうした動きに触発されて書いた作家も多いです。彼女たちの年代がちょうど30〜40代なんですよね。
倉本 韓国の女性作家は、日常生活などの細部を通じて背後にある社会状況や経済についても書く人が多い。日本の女性作家も明らかに影響を受けていて、日本でも衒いなく社会について書かれるようになってきた気がします。
古川 韓国文学においては、個人的なことと社会的なことがつながっているという感覚が強いように思いますね。
倉本 自分たちが歴史にコミットしているんだという意識を強く感じます。それは韓国が激動の近現代史を辿ってきたという理由もあるのでは。
古川 民主化したのが1987年。社会におけるさまざまなことが自由になってから、まだ50年も経っていないですから。
家父長制:人生を家族に捧げることが長い間美徳とされてきた
古川 もちろん今でも残っているものの、以前の韓国は家父長制がとても強い社会でした。そうした面に触れられるのが『母をお願い』(1)。2008年に韓国で出版され、180万部のベストセラーになった作品です。
この小説に出てくる母親は、教育を受けていないため文字が読めず、ひたすら家族を支える人生を送っている。実際、私の韓国人の友人にも「おばあちゃんが字を読めない」という人がいます。でも、それでいいとされる風潮があって、しかもそれが美徳とさえ思われていた。
倉本 読んでいていたたまれない気持ちになりました。お母さんが家族の業みたいなものを全て背負わされていて。
古川 出版当時の韓国では、そういう母親像が「大地のような母」と称賛されたんですよね。自分の母親や祖母を重ね合わせて、共感しながら読む人も多かったと思います。
倉本 今と受け止め方が違うのにびっくりします。今だったらフェミニズムの観点から読まれると思うんですが。でも、2000年代の作品だと思うと、そんなに昔のことではないんですよね。
古川 わりと最近まで、産婦人科で事前に性別を教えてはいけないという法律もありましたからね。韓国では結婚したら男子を産まなければならないというプレッシャーが強く、生まれてくるのが女の子だとわかると産まない選択をしてしまう女性が多かった。それで女子の出生率が下がってしまった結果、そんな法律ができたんです。
倉本 そうした家父長制への抵抗のようにも読み取れるのがノーベル賞作家、ハン・ガンの『菜食主義者』(2)。連作小説集なんですが、表題作はある日突然肉を食べなくなり、肉料理を作らなくなった妻に夫や家族が戸惑う話です。妻がかつて作っていたという肉料理の描写が本当においしそうなんですが、それが最後にはすごくまずそうに思えてくる。そう思わせる作者の筆致が素晴らしいです。
古川 家父長制をはじめとする韓国の社会背景をある程度理解していないと、わがままな妻、正気でなくなった女性の物語として片づけられてしまう可能性があるかもしれません。ただ、この作品に限らず、肉食は家父長制のイメージに使われることが多いんです。肉食を拒否することは、家父長制への拒絶につながるのかなと。これは『母をお願い』よりも前の2000年代前半に書かれたのですが。
倉本 その頃にこんな先鋭的なことを書いたというのはすさまじいですね。
駅で行方不明になった母。家族は当たり前のように母から注がれていた愛情と、自分の人生にかまけて母を二の次にしていたことに気づき、母の不在によって初めてその存在の大きさに思い至る。
ごく平凡な女性のはずだった妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく姿を見つめる夫を描いた表題作をはじめ、ヨンヘを取り巻く身近な3人の視点から語られる連作小説集。
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