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鴻巣友季子さんが今読みたい本 テーマ「小さな本の魅力」

本は私たちに何を与えてくれる?第一線で活躍する鴻巣友季子さんが「小さな本の魅力」をテーマに選書した必読の3冊をここに。

撮影・黒川ひろみ 文・鴻巣友季子 構成・堀越和幸

鴻巣友季子さん(翻訳家)|テーマ「小さな本の魅力」

鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)さん 翻訳家、文芸評論家。主な訳書にヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、マーガレット・アトウッド『誓願』、クレア・キーガン『ほんのささやかなこと』。著書に『謎とき「風と共に去りぬ」』『文学は予言する』など多数。長年にわたり大学で翻訳を教えている。
鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)さん 翻訳家、文芸評論家。主な訳書にヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、マーガレット・アトウッド『誓願』、クレア・キーガン『ほんのささやかなこと』。著書に『謎とき「風と共に去りぬ」』『文学は予言する』など多数。長年にわたり大学で翻訳を教えている。

今年の1月に大統領就任式を前にアメリカ東部のニューヨーク州とコネチカット州を訪れた。

どこの書店でもどーんと積まれているのは、『ハックルベリー・フィンの冒険』を黒人ジムの視点で語り直した『ジェイムズ』という話題作や、ポストモダンの旗手リチャード・パワーズの最新作『プレイグラウンド』など。

どちらもなかなか重厚な長編で、『ジェイムズ』はスピルバーグ制作で映画化も決まっており、前回のブッカー賞でも大本命と言われていた。ところがびっくり、栄冠をさらったのはわずか百三十六ページの『オービタル』というSF中編小説(ノヴェラ)だったのだ。

日本と違って欧米の文学界は基本的に長編中心。とはいえ、近年は大きな文学賞の候補にノヴェラがちらほら見られ、ノーベル文学賞でもノヴェラが存在感を強めている。アニー・エルノーしかり、ヨン・フォッセしかり、ハン・ガンしかり。

鴻巣友季子さんが今読みたい本 テーマ「小さな本の魅力」

『三部作(トリロギーエン)』(左端)は2023年にノーベル文学賞を受賞したノルウェーの作家ヨン・フォッセの美しい中編集。三作を収録。

物語には具体的な年代設定はないが、地名にビョルグヴィンという古称が使われていて、日本語版は中世初期をイメージして翻訳されている。

まず第一部には十七歳の恋人同士アリーダとアスレが登場。頼れる親のいない若いふたりは苦難の末に都会で部屋を借り、アリーダの出産にこぎつける。ここまでは健気な若い男女の物語だ。ところが、第二部から驚くべき展開を迎えるので、心して読まれたし。

第二部では、なぜかアスレはオーラヴに、アリーダはオスタという名前になっている。オーラヴは街に出かける途中で、前方をゆっくり歩く老人を見かけ、追い越したくないと感じる。しかしこの奇妙な老人は彼につきまとい、昔のことをしつこく訊いてくるのだった。オーラヴの過去になにがあったのか? 残酷な展開が待ち受ける。

最終部の第三部では、いまは亡き人たちも当たり前のように登場する。夢か現実か、生きているのか死んでいるのか。この作家の物語世界では、物理的な実体や身体的な死は絶対的な境ではないのだろう。

フォッセの美学と詩的なきらめきがぎゅっと結晶した一冊。

もう一冊幻想みのある作品をご紹介したい。

いま世界的にラテンアメリカ文学ブームが再来しているが、アルゼンチンのシュウェブリンはそのトップランナーと言えるだろう。

『救出の距離』(左から2冊目、最下部)は、優れた心理サスペンス・ホラー・ダークファンタジーに授与されるシャーリイ・ジャクスン賞中長編部門を受賞したスパニッシュホラーのノヴェラ。

舞台は大豆畑の広がるブエノスアイレス郊外の村。中年女性アマンダは瀕死の状態にあるらしく、その横で囁くように話をしているのは、彼女の友人の九歳の息子ダビだ。

ふたりの不思議な問答のようなものがつづくが、なにが現実でなにがせん妄による夢想なのか、なにがだれの言葉なのか、判然としがたい。

ダビは幼いころ川の水に毒され、身体が腫れあがって死にかけたという。ある治療師のような存在に頼って生き延びたが、そのため彼の魂の一部はべつなだれかの魂と入れ違ってしまったようだ。

アマンダは母親として、自分の娘の行く末が心配でならない。そもそもダビはなにに毒されたのか? ここに、アルゼンチンの環境破壊や農薬公害の問題が浮かびあがってくる。

「虫」があなたの中に入りこむ。その虫とは人間の中にある毒と弱さなのだ。

『とるに足りない細部』(右端)はノヴェラにしてブッカー賞、全米図書賞最終候補となったパレスチナ文学。ドイツのリベラトゥール賞受賞が決まるが、イスラエルのガザへの攻撃が激化するなか授賞式が一方的に取りやめられたという経緯がある。

二部構成の第一部はアラブ系遊牧民の少女を砂漠の駐屯地でレイプし殺したイスラエル軍将校、第二部はのちにその事件の真相を追うパレスチナの女性という二視点から語られる。

第一部で感じられるのは、将校の鬱屈と、うっすらした恐怖だ。毒虫に咬まれ、その傷がなにをやっても悪化し、膿み崩れていくと、彼は狂ったように虫を追いかける。この図は戦場での人間性の壊死と、支配側の内なる恐れを外在化したメタファーなのだろう。

第二部で、パレスチナ女性は調査のためにイスラエル領土に入る。しかし真相は捉えようとすれば逃げていく。

百五十ページほどの小さな本だが、人間の無力さ、わかりあえなさ、生の救いのなさが痛感される。しかしそれらを直視しない限り、和解や連帯にはたどり着けないのだろう。

『川のある街』(右から2冊目、最上部)は川のほとりに住む人たちを描いた三部の作品集。水に向ける視線にそれぞれの生き方が如実に表れる。

第一編であり表題作は、小学生の女の子の視点から語られ、最終編は八十代の老女の目を通して語られるが、この二編がみごとに響きあう。

最終編の主人公は30代半ばで日本からヨーロッパの国に移り住み、四十数年経つという元大学教師の女性。同性婚をしたパートナーを亡くして十年になる。仲良くしていた元恋人とその妻も他界し、いまは運河のめぐる街で独り暮らしだ。

認知症の始まりか、もの忘れがだいぶある。それでも、彼女は夜の街を自由に歩く喜びと尊厳をいまも享受している。今日もそこにいない幻の恋人に話しかけながら、自分で作った(はずの)肉じゃがを食べる。

水辺の人びとのなにげない日常のなかに命の尊厳を描いた作品集だ。

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