中央線は身の丈に合った財布で暮らせる街ですーー牧野伊三夫 × 稲垣えみ子 対談
撮影・黒川ひろみ 文・辻さゆり イラストレーション・牧野伊三夫
「俺たちの時代と暮らしは俺たちがつくる」という価値観
稲垣 私が今住んでいる地域にも、中央線にあるような個人店があります。それが商売として成り立っているのは、売る人がいるだけでなく、そこに価値を見出して買う人がいるからですよね。その関係性がすごく大事。私は今、家に物を抱えこまずに、街に頼って生活しているんですけど、それで分かったのは「銭湯に行く」「安い居酒屋に行く」ということは、結局は家の垣根を高くすることなく、家族を街の中につくっていることだと思うんです。一緒にご飯を食べる人、一緒にお風呂に入る人って家族なんですよ。
牧野 それはまさに中央線カルチャーだよね。稲垣さんは中央線沿線には住んでいないけれど、僕は稲垣さん自身が、中央線文化の“飛び地”だと思う。最初に稲垣さんのことを知ったのはテレビ。東日本大震災の後に電気を使わないで暮らしている人がいると知って、おもしろいなあ、と。
稲垣 福島の原発事故の後に暮らしを変えた時に、自分が中央線カルチャーになったということですかね。
牧野 中央線カルチャーがないところで、“一人中央線”をやっているって感じだよね。朝日新聞という大会社でキャリアを積んだ人が、それまでと真逆の脱電生活をして、人間が生きる上で最低限のものしか使わないと決めた。社会に対して自分の体をはったところが、中央線文化と似ている。例えば、まだ使える古い家具や、古本など、極端にいえば丸の内だったらゴミとして捨てられるものが、中央線だと小さな商売として成り立つんです。
稲垣 そうか、中央線カルチャーは、リサイクル文化でもあるんですね。
牧野 田舎から出てきて、ここは住める街だと思ったのは、そういう文化があって、お金儲けのためではなく「自分が好きだから始めた」店に共感した人が集まっていたから。身の丈に合った財布で暮らせる街であり、「俺たちの時代と暮らしは俺たちがつくる」というヒッピーのような価値観、純粋性が中央線にはあって、そこに居心地のよさを感じたんですね。
小さな商いが奇跡的に残る西荻窪と高円寺
稲垣 だけどそういう個人店は店主がみんな70代から80代。
牧野 そうなんだよ。国分寺の名曲喫茶『でんえん』も、店主の新井富美子さんが97歳。娘さんと店に立っているけど、体がついていかなくなったから、今は営業時間を短くしています。
稲垣 豆腐屋や銭湯といった昭和の時代に確立していた個人店が、今、すごい勢いでなくなってるんですね。それは客がいないからじゃなくて、跡継ぎがいないから。その跡継ぎにあたるのは私たちの世代で、人と人とのやりとりがある小さな商いの店がどんどん閉まっていくことに対して私は文句を言える立場ではない。だけど、中央線の街には奇跡的にまだ残っています。今日行った高円寺の『小杉湯』が典型ですが、跡を継ぐ人がいて、だけど継ぐだけでは成り立たないから、どう生き残っていくかを考えて、いろんな仕掛けをして街のハブ的な存在になろうと努力している。それは私たちバブル世代が放棄してきたことなんですね。だから、中央線カルチャーに共感するならば、そのカルチャーの真髄がどこにあって、どう工夫して残していくかを考えて、中央線の飛び地みたいな場所を頑張って確保していかないと、今に巨大スーパーやチェーン店ばかりの寂しい世の中になるんじゃないかなあ。
牧野 地価も問題なんですよ。吉祥寺なんか、地価が高いから家賃も上がって個人店が撤退に追い込まれる。今や中央線でもそういう店がたくさん残っているのは、西荻窪と高円寺くらい。
稲垣 街って、その街を本気で愛している人がいないと残らないですよね。西荻窪と高円寺には本気で愛している人がいるわけで、私はそこを尊敬する。
牧野 稲垣さんが住んでいるところにも、中央線のような小さな商いがあるって言ってたけれど、中央線に来ればもっと満たされると思うんだけどな。
稲垣 今ある中央線のコミュニティだって、誰かがつくってきたわけじゃないですか。私はそれを自分でつくって育てていくほうがおもしろいと思う。
牧野 あ、自分でね。それは昔、小学校の時にヒヤシンスとかチューリップを育てて、毎日観察日記をつけるといった、そういう喜びだね。
稲垣 どういう喜びですか(笑)。
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