『自殺帳』著者、春日武彦さんインタビュー。「生と死を隔てる境界について知るために」
撮影・石渡 朋 文・鳥澤 光
「生と死を隔てる境界について知るために」
精神科医として長く臨床に携わっている春日武彦さんは、「わからなさ」や「得体の知れなさ」に目を向け、エッセイ、小説、評論、医学書まで多くの著作を発表してきた。
人の心の揺れ動くさまや、心に居座る不安感を辛抱強く観察する。細部を切り捨てず、型にはめた安易な断定をしない。それらを表現する言葉を選びとる手つきは、どこまでも繊細で誠実だ。
そんな著者が、「生と死を隔てる壁にはときおり無防備に開けっ放しとなる門が設けられている」のではないか、と呆然とさせられる自殺という事象と、「究極の孤独とでも称すべき寂寥感と不安感とが付与されている」自殺という言葉に真っ向から取り組んだ。
「抽象的になってしまったり、理想論に走ったり、あるいは下世話な興味のもとに消費されてしまいがちな自殺について、リアルな感触を書き残したいという思いがありました。
ただね、個別の事例についての理由に達することはできないし、本人だってわかっていない可能性が高いんじゃないかな。人はなぜ自殺するのか? という問いには明確な結論なんて出せるはずがないんです」
考察の芽は、著者の記憶と 小説、随想、映画、そして実例。
定義も解明もできない事象に焦点をあわせ、様々な角度から光を当てる。
目次には「美学・哲学に殉じた自殺。」をはじめとする七つの型への分類に加え、井上靖の短編と串田孫一の随想を引いた「石鹼体験」、ダフネ・デュ・モーリアや貫井徳郎などのミステリ小説から謎に迫る「登場人物を自殺させる」、ドキュメンタリー映画や動画配信、患者の実例から死への親和性に接近する「漆黒のコアラ」など。
12章をとおして、「廃屋のざらざらの壁のような感触」を湛えた著者の実感を基底に、鮮やかな考察が展開されていく。
「個人レベルに還元すると不謹慎になってしまうけれど、人類史というマクロな視点から見れば、自殺を選んだ人たちの死は無意味なものではないと思うんです。
残された人の心は激しく揺さぶられる。それは内省を促し、生と死を真面目に考えるきっかけを与える。精神に新たな奥行きがもたらされれば世界の解像度も変化する。
人間とは何か、なぜ生きるのか、という問いは、やがて哲学や思想、芸術へも繋がっていくでしょう。
死への欲動というものは、生存本能と矛盾しながらも進化の途上で淘汰されてこなかった。そんな事実を考えあわせると、それこそが、自己崩壊しかねない危うさを人類に自覚させ、謙虚さを育ませるという、ある種の保険のような働きを持っているのかもしれないな、とも考えてみたくなります」
本書を読み終わる頃、生と死にまつわる命題は不可解なままであるかもしれない。だがその「わからなさ」と、見知っていたはずの言葉は手触りを変え、豊かに奥行きを増しているはず。明と暗が同居したエッセイが、人も言葉も一義的ではないのだと教えてくれる。
『クロワッサン』1107号より