捨てられないのはなぜ? 実家じまいを終わらせた松本明子さんと「断捨離」生みの親・やましたひでこさんが語り合う。
気づかず使わないままのそれらは、〝生活の残骸〟なのかも。いつか使うから、誰かに譲るから、もったいないから……!?
捨てる判断の先延ばしはそろそろやめにして、希望を詰め込める「空っぽの快適空間」を手に入れる方法を探りましょうか。
撮影・小川朋央 文・石飛カノ イラストレーション・100%オレンジ スタイリング・MANAMI TSUGE(松本さん) ヘア&メイク・NOB(松本さん)、天野誠吾(やましたさん)
自分とモノとの関係を再確認!「捨てる」意識を考え直そう。
「捨てる」と言葉で言うのは簡単。でも、いざ実行するのは至難の業。そもそも「捨てる」という行為の本質って一体なに? 「断捨離」の生みの親、やましたひでこさんと25年間維持し続けた実家の空き家を始末した松本明子さんに語り合ってもらいました。
松本明子さん(以下、松本) 5年前に実家じまいを終わらせました。ただ漠然と実家を維持して大赤字に。単純計算で1千万もかかってしまって。
やましたひでこさん(以下、やました) でも売却できたのですよね。よかったですね。
松本 はい、でもすぐに住みたいから3カ月で家を空っぽにしてくださいと言われて。それからが大変でした。総重量20トン、粗大ゴミの処理に2トン車7往復くらいしてもらって約100万円かかりました。
やました そうでしょう。本気で断捨離するときはゴミ袋換算では甘い。2トン車何台分で換算したほうがいいです。まして25年分のモノの量は凄まじいですからね。モノを取り入れたらその都度始末していくサイクルの中で暮らしていないとそうなります。
松本 本当にそう思いました。早くに親と一緒に片づけをしていればと大後悔でした。
やました 住まいの中にあるどう見てもガラクタなモノを私は「生活の残骸」と申し上げているのです。結局、全部捨てられたのですか?
松本 それが東京の家に持ち帰ったものもあって……。
やました 残骸だと申し上げたでしょう(苦笑)。
松本 母親の着物などは親戚に譲ったりしたんですけど、母が私の50年間の人生の思い出を残していたんです。子どもの頃に習っていたピアノのバイエルの譜面とか、小学生のときのリコーダーや彫刻刀、アイドル時代の雑誌の切り抜きやバラエティ番組のビデオ、全部持って帰ってきました。
やました 全部捨てろとは申し上げないけど選びましょうよ。
松本 選ぶ……。
やました 選べないのは判断するのが面倒となり、必要なのか必要じゃないのか、考えるのに疲れてしまうから。だから判断を保留してリスク回避で持っていたほうが楽、ということなのですよ。
松本 版画で使ってた彫刻刀……いらないですね。
やました 「判断の保留」のほかにもいらないと判断したものを捨てるという 「決断の保留」、それを実行する 「決行の保留」、この3ステップの保留があるからモノが捨てられないのです。
松本 3つのうちで一番難しいのはどれですか?
やました 最初の判断です。というのは大量にモノがあるから。食べ物と同じでメニューが3つしかなかったら選べるけど、数十となったら「おまかせで」となるでしょう?
松本 確かに〜。
やました 今まで目の前になかったもの、たとえばこれ(ペットボトル飲料を手にして)をもらいました。さっきまでなかったということは必要なかった。でもいざ目の前に来ると、いつか使うかな、誰かにあげるかな、と思考が始まる。こうやってモノがひとつ増えると私たちの思考は煩わされるのです。そういうとき、私は時間を戻します。これが来る前はどうだった? と。
松本 なるほど〜。
やました 私も以前プレゼントをいただいたとき、中身はともかく箱がビロード製の凝った作りで素晴らしかった。だから、私はいらないけどあの人なら何かに役立てることができるかも、と思って取っておいたんです。でも、「まてまて、あなたやましたひでこさんだよね」と自分に問いかけて捨てるのに2週間かかりました。
松本 先生でも2週間! 私は捨てられないや〜。
捨てられない人は住空間を侵略している。
松本 もともと私はモノが捨てられなくて。破れた服とか底が抜けたスニーカーとか。それで旦那が私が寝静まってからそーっと捨ててるみたいなんですけど、翌日ゴミ箱に捨ててあるものを見つけて私が元に戻すんです。
やました それ、夫婦関係を損ないますよ。ご主人は必死の思いで捨てているのに。私はかつてお姑さんにそれをされました。捨てたものを「もったいないから取っておくわね」とゴミ袋から出され、一瞬、殺意を覚えました(笑)。
松本 捨てるほうも必死なんですね。汲んであげなきゃいけないですね。
やました 捨てられたほうは「略奪」 されたと思いますが、溜め置かれるほうは「侵略」されているんです。略奪と侵略、モノを通した代理戦争です。
松本 代理戦争を何回かして、私が折れました。和平交渉成立しました(笑)。
やました ご自身がすでに乗車率200%だったんですから、ご実家からさらにモノを持ってきて300%になってしまったんです。ご主人はそんな電車に乗りたくないはず。
松本 あらららら〜。かえって自分の首を絞めて生活しづらい空間にしちゃってるんですね。でも捨てる捨てないで旦那と折り合いがついたときは気持ちよかったです。モノが見えなくなれば忘れちゃうし。
やました あるから煩う、なかったら煩わない。「判断の保留」が「放置」 になり「忘却」になっているだけです。
松本 そうか〜。モノへの執着ってあるようでないんですね。
やました 執着なんて立派なものじゃないんです。忘却なのだから捨てているのと一緒。ご実家のものをご自分の家に捨てているようなものです。
松本 本当にそう! 会ったことも見たこともない親戚の写真を持って帰ってきちゃいました〜!
やました それも放置しているでしょ。覚えていられるはずがないです。
モノと自分との関係を常に問いかけることが大事。
松本 あの先生、今の自宅も天井の屋根裏に物置きがあるんですけど、25年開けてないんです。昔のカセットテープや夏用、冬用の布団とかが入ってて。
やました 上に置いてあるものは生活や人生の重しになっていますね。それと床に積み上げてある荷物は「足枷」、廊下に積んでいるのは「障害」です。
松本 あちゃちゃちゃ〜廊下に障害物が溢れてます。
やました モノじゃなくて私とそのモノの関係を見るんです。今の私に必要なのか相応しいのか心地よいのか。「要・適・快」なのか「不要・不適・不快」なのかを問いかける。その繰り返しで思考や感覚、感性が磨かれます。
松本 (ペットボトルを指差して)この子に問いかけるんですね。
やました この子を通して自分に問いかけるのです。たとえば私が高校時代に着ていたセーラー服があったとして、当時は必要で相応しくて着てうれしかった。でも今、私がそれを着たら?
松本 いや〜(笑)。
やました でしょう? 時間の経過とともにモノと自分との関係が変わっていく。でも人はそれに気がつかない。だからお母さんは彫刻刀やリコーダーを残していたのです。
松本 そうか! だから常に問いかけるトレーニングが必要なんですね。今度は私が他界したとき、息子に私と同じ思いをさせちゃいけないなと思っているので、今からやらなきゃ。
やました それもありますけど、子どもより今の自分、これからの自分が大変。体力も認知機能も落ちてくるので50代で断捨離しておくとすごく楽になります。空っぽの空間には希望がたくさんありますが、ある一定を超えてモノが過剰になると不安になります。
松本 えっ、詰まってるほど不安に?
やました それは入れたら出すという流れがないから。モノが過剰な家は便秘になっているのと一緒。空っぽの空間ではあれを手に入れようという希望がありますが、手に入れすぎた時点で空間が塞がり、心が塞がるのです。
松本 う〜ん、空間か。先生だったら、この空間(最初の棚の画像を指して)にどうモノを配置しますか?
やました ひとつの棚を額縁に見立てて、どうストーリーを作るかとお絵描きをするイメージでモノを置きます。こう置いたらきれいに見えるし、取り出しやすいししまいやすい。
松本 私だったらモノを目いっぱい積み重ねて奥が空いてたらさらに入れてキッチキチにしちゃいます。
やました テトリスをしているわけね。
松本 まさにテトリス、テトリスです!
やました そうやって詰め込むとひとつ抜いたら全部崩れてゲームオーバー。常にゲームに負けて敗北感を味わってイライラすることになります。
松本 ハイ、いつも何かしら探して時間と手間に追われてます。服も捨てられないし食材も買いだめして結局無駄になってしまう。でも私たちもっとシンプルなんですね。3つくらいのものであれば判断できる。
やました それだとミニマリストになってしまいます。気分が変わることを楽しむハンドルの遊びは欲しいので、無駄買いもオーケーです。ただ流れを詰まらせないことが大事。
松本 新陳代謝ですね。
やました 住空間の新陳代謝を上げると体や意識の代謝も上がります。入れて出す。出ていくから入ってくる。
松本 流れが大事! 先生に脳をトレーニングされて捨てたくなりました!
衣装協力(松本さん)・Lily of Valley
『クロワッサン』1083号より