猫ロス状態のロバート・キャンベルさんが運命的に出会った、猫の夕吉ちゃんとの暮らし。
撮影・三東サイ 文・一澤ひらり
ロバートキャンベルさん
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夕吉ちゃん(6歳)
猫は、忠義に縛られない近代個人主義の象徴。 だから文学者たちは猫を愛したのでしょう。
夕吉(ゆうきち)くんとよく呼ばれるが、ブリティッシュショートヘアの女の子だ。
「彼女はディケンズの小説に出てくる19世紀の煤煙(ばいえん)に覆われた、ロンドンの夕霧みたいな毛色をしています。先輩猫が『朝之介(あさのすけ)』という白猫だったので、朝に対して夕にしたかったのと、吉は芸者の名前によく付けられますが、柳橋の芸者みたいに粋な女性をイメージして夕吉と名付けたんですよね」とロバート キャンベルさん。
15年暮らした先代猫の朝之介が旅立って7年ほど猫のいない生活を送っていたが、夕吉ちゃんとの運命の出会いが訪れた。
「6年前にNHKの番組で猫本を紹介することになって、2週間ぐらい読み耽りました。中でも内田百閒の『ノラや』は猫文学の白眉。ある老夫婦の家に居ついた子猫が姿を消してしまい、悲しみにくれる日々を描いています。
そんな猫本にどっぷり浸かった番組の収録が終わって帰宅したら、家には猫がいない。猫ロス状態の虚脱感に陥って、近くのペットショップにふらっと入ったところで、出会ったのが子猫の夕ちゃんでした。可愛かったですね」
しかしキャンベルさんが家に迎えたその猫は、意外にクールだった。
「ブリティッシュショートヘアは自立心が強くて1人でいることが好きだし、留守番がストレスにならないんです。だから夕ちゃんは膝に乗ってこないし、抱き上げられると苦しそうにするし、ふだんは静かでのんびりしています。ただ、甘えたい時は1日に2、3回、濃厚な接触を求めてきます。その心が読めないのもまた魅力ですね」
恩に着ないけれど、愛情が深い。そのシンプルな潔さが猫の魅力。
ノーキャット、ノーライフ。生活に猫がいなければ生きる意味がない。それほど猫を愛した文学者は近代以降少なくない、とキャンベルさんは言う。
「基本的に猫ってわからない生き物ですよね。犬のような忠誠心がなく、自由に自立的に生きている。そのあり方がとくに19世紀後半以降の文学者たちにとっては好ましかったのでしょう。人間の孤独や所在なさ、そういったものが猫に投影されているというのは、やっぱり明治以降じゃないかな。猫は人を思索に導いてくれるようなところがありますからね。好奇心が強かったり、わがままであったり、そういう部分が近代の知識人の自我意識とか、表現と親和性が高かったとも言えると思います」
夏目漱石をはじめとして、文豪と呼ばれる男性作家に愛猫家は多い。
「猫にある種の女性性、しなやかさや艶やかさなどの美しさを見出す男性の作家も多かったでしょうね。谷崎潤一郎も猫を溺愛しています」
夕吉ちゃんが書斎にいて、ちょっと離れたソファから自分を見るとはなしに見てくれている。その状態がキャンベルさんには最も心の均衡が保たれ、執筆に集中できる時だという。
「猫は絶対的な他者です。そこが潔くて好きだし、シンプルにミニマルに生きていて豊かな精神性を感じます。猫は恩に着ないけれど、愛情がすごく深い。猫から学ぶべきことは多いですね」
『クロワッサン』1056号より
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