小野田豆腐店の豆腐が美味しい理由を、白央篤司さんがルポ。
撮影・黒川ひろみ、小林キユウ、白央篤司(料理) 文・白央篤司
もうこれは、ひとつのおいしいスープだな。小野田さんの豆乳をいただいて、素直に出てきた思いである。
「あそこの豆腐は、うまいんだよ」と評判を聞き、保冷バッグを片手にやってきた。ひと通りを買って、「そうだ、豆乳もいただこう」と思い立ち、その場で飲んでしばし感慨にひたったんである。
おいしい大豆がなんときれいに、濃密に、すこやかに液体化されていることか。保冷バッグの中に入っている絹ごし、木綿、湯葉、厚揚げをいただくのが楽しみでならなくなってきた。店を後にし、嬉しくてしばし歩きたくなる。そうだ、生ワサビを奮発しよう。この豆乳なら間違いない……とワクワクした気持ちで、小滝橋(おたきばし)のあたりを歩いた。
ご店主の名は、小野田滋さん。東京は東中野にある小野田豆腐店の四代目で、今年53歳になる。創業は明治38年というから、116年続くお店だ。豆腐作りはすべて滋さんがひとりで行っている。「農家さんから大豆を仕入れたら、あとは加工して販売まで、すべてをひとりでやれる」のが性に合っている、とのこと。お店の中を縦横無尽に動き回り、無駄のない手さばきで、豆腐や湯葉をどんどん仕上げていく。
あえて雑味も残して 個性の豊かな豆腐を作る。
「大豆それぞれの個性に沿った豆腐づくりをしていきたい」
印象的だった滋さんの言葉。「うちのフラッグシップ」と語る『四代目 絹』(いわゆる絹ごし豆腐)は、北海道は音更町(おとふけちょう)産の「音更大袖振大豆」から作られる。豆の甘みが強く、香りも豊かな品種だ。
「作り方によってはもっと甘みを強くすることもできます。でも、それだと個性は消えてしまう。えぐみや雑味といったものも大豆の個性のうちと考えてるんです。そういう風味もあえて残しておきたくて」
家に戻って『四代目 絹』をまず何もつけずにいただいた。
口に含むと、大豆のふくよかな甘みが強く感じられ、そしてスーッと消えていく。消え方がいい。早すぎず、遅すぎず。無風の中を桜の花びらがひとつ落ちてくるような、あのぐらいの時間の流れ方。
消えきったあとに余韻を楽しむ。たしかに、甘みの中にほんのささやかな苦みも感じられる。それが豆腐全体の味わいに豊かな陰影をつけているように思われた。軽く塩して食べると、やはり甘みがより際立つ。
おろしたてのワサビと一緒に食べれば、大豆の香りがグンと強調された。醤油を数滴つければ、豆腐の味と同時に醤油そのものの質が如実に浮かび上がってくる。そんな食べ比べも楽しい。個人的な好みでいえば『四代目 絹』は塩とワサビ、木綿豆腐の『小滝(おたき)』は醤油ちょいでやるのが最高だった。
ちなみに滋さんは塩でしか食べないそうだが、「買った人それぞれの好みで食べてもらって、こっちは全然構いませんよ。おいしさは人それぞれだもん」とあっさり。お店にはチゲの素も置かれている。
「正直、そのままを味わってほしいとは思いませんか?」なんて尋ねれば、「全然」と妻の富美恵さんが即答される。「だって『四代目 絹』でチゲや麻婆豆腐を作っても負けませんしね。おいしいんですよ」と。この自由さと自信が、いいなあ。
小野田豆腐店
代々通う常連さんから新しく越してきた若者までファンの層は厚い。店は早稲田通りに面しており、最寄りは東京メトロ東西線落合駅。
東京都中野区東中野5・25・6
営業時間:11時~18時 日曜・祝日休
※通販なし