「ウィズコロナの社会とリスクに向き合う」。科学史家・神里達博さんが選ぶ、今読みたい本。
撮影・黒川ひろみ(本)文・澁川祐子
神里達博(かみさと・たつひろ)さん
科学史家。千葉大学教授。科学技術社会論、リスク社会論が専門。新著に『リスクの正体 不安の時代を生き抜くために』(岩波新書)。
未知の感染症の到来で明らかになったのは、同じ病を原因としながら、国によって示す反応はじつに様々であるということだ。さらにその反応をそれぞれが勝手に解釈し合い、混乱が生じている。そこで、広い視野に立つための本を一冊、この事態を受け止める日本社会を考える二冊を提示したい。
視野を広げるためにすすめたいのが、初めて病と人類の関係という視点に立って書かれた『疫病と世界史』だ。執筆時の1975年は、天然痘が撲滅されたと言われた時期。人類は初めて科学の力で感染症を克服した、という当時の楽観に対して疑問を呈した、非常に示唆的な本である。
今、私たちは「いったいいつになったらこの異常な事態から逃れられるのか」と考えがちだ。だが、この本を読むと、感染症と人類は腐れ縁みたいなものだということがよくわかる。コロナに適応した「新しい日常」を意味する「ニューノーマル」という言葉が喧伝されているが、長い歴史から見れば、ニューノーマルとは単にオールドノーマルにすぎない。1年前の生活をノーマルだととらえると、今の状況は悲惨に映る。しかし、100年前とくらべれば、ネットワークの発達などプラスの面も見えてくる。ウィズコロナの社会を生きる上で、ノーマルのベースラインを下げ、腹を括り直すことを後押ししてくれる一冊だ。
日本社会の不都合を直視する。
日本社会を読み解く本として、まず挙げたいのが『砂の器』だ。この小説は、突き詰めればハンセン病の話である。ハンセン病の父親を持つ人物が、生まれという本人にとってはどうしようもない宿命によって押し潰され、破滅していく。いかにも昭和の話であり、ハンセン病の差別に対しても私たちはあたかも過去の出来事のようにとらえている。しかし、今起きている「自粛警察」は、病を穢れとみなし、排除するという点で、この小説に描かれていることと本質的には同じである。今こそこの物語にどっぷり浸かり、日本社会の「暗部」に向き合うときだろう。
もう一冊は、日本社会と文化を「ヤンキー」の概念で論じた『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』。ヤンキー性とは、あれこれ考えるより、とにかく行動することを是とする精神構造だ。たしかに日本では「やるしかない」 「気合を入れればなんとかなる」などと、とにかく前向きに行動することが好意的に受けとめられ、その結果はあまり問われない。だが、アクションし続けることに重きをおくヤンキー性は、コロナと非常に相性が悪い。そこにリスクを見極めるという客観的な目線はなく、感染拡大をたやすく招いてしまうからだ。
日本社会が、リスクマネジメントを不得手としている一因に、リスクに対する日本独特のヤンキー的な発想がある。その点を踏まえた上で「さて、どうするか」と考えることを始めたい。
『クロワッサン』1025号より