神が宿った瞬間。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
私は中学三年生の時に転校した。思春期のあの頃の転校は、今までの人間関係をリセットし、新しい環境でまっさらな気持ちで人生を再スタートできる希望に満ち溢れていた。
それまでの私の人生は、中学入学から学力の急降下とともに、人間関係を蔑ろにするような自暴自棄な状況に陥っていた。自分でも「このままではいけない」と感じていて、転校によってリセットできる機会は、大きなチャンスだと思っていた。でも私は、友達はいつも少なく、積極的ではない。転校したところで、この性格を変えることは難しく、新しい場所での再スタートの成功を約束してくれる要素は何一つなかった。
それでも、転校先では不思議と以前よりも上手くいった。その不思議が元を辿れば、たった一瞬から始まったのだと、当時ハッキリと認識できた出来事がある。
私が新しい生活に向けて、お気に入りの布で靴の袋からお弁当袋まで作ってしまったことが、転校早々ソフトヤンキーの目に留まり、「同じ袋使ってやがる! きったねー!」と、からかわれることになる。そのままいくと、イジメの対象となる可能性もあった状況だったと記憶しているが、その時、何故か私の顔は、ソフトヤンキーに笑顔を送っていた。
あの状況からして笑顔になるのはとても変だと、直後に思っていたけれど、その笑顔に対するソフトヤンキーの反応がまた面白い展開になる。それまでの攻撃態勢がみるみる崩壊し、ドギマギし始めた。あの顔は今でも忘れない。
その後も私は相変わらず友達が少ない消極的な人間であることは変わらなかったが、同じクラスのソフトヤンキーたちとは、仲良くでき、彼らの純粋な面を楽しむことができた。クラスのムードを作っている彼らと仲良くなったことは、中学生の不安定な生活の脚を一つ固定してくれるものとなった。
あの唐突な笑顔は、その一瞬に神が宿った瞬間だったなぁ、と今もホッコリ思い出す。
束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/にて。
『クロワッサン』1017号より
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