漢字について、ゆっくり話そう。【宮崎美子さん×中村明久さん 対談】
日本の活版印刷の歴史を繙きながら、先人の残した知恵に、その真髄を学ぶ。
撮影・青木和義 スタイリング・坂能 翆 ヘア&メイク・岩出奈緒 文・一澤ひらり
時代を象徴する「令和」。「マのほうの令はないか?」問い合わせがよくきますね。(中村さん)
名刺に生きる活版の深い味わい。人脈を広げるきっかけにも。
宮崎 活版印刷はいま、どんな注文が多いんですか?
中村 名刺ですね。ホームページを作ったら、フリーランスの人や若い人たちが見て来てくれるようになって、口コミで広がっていった感じです。正直、驚きましたね。
宮崎 ツルツルの名刺と違って、活版の名刺はうっすらと凹凸のある独特の手触り、職人仕事ならではの温もりのある風合い、まるで文字が息づいているかのようです。この名刺だけで話がはずんだり、ご縁が生まれそうですね。
中村 まったくの予想外でしたが、活版の名刺がコミュニケーションツールになって仕事につながるみたいで、“人脈を生む名刺”とか“幸運の名刺”とかって言ってくれるんですよ。
宮崎 素敵なお話ですね。名刺っていろんな名前の方がいますよね。NHKの『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』に出演していますが、サイトウさんに驚いたことがあるんです。サイの字って斉、斎、齊、齋って4つぐらいは浮かびますけど、実は90種類ぐらいあるそうなんです。明治維新で名前の届け出をするときに書き間違えたり、毛筆で書くときのクセだとかがそのままで。でも代々書いていると愛着も湧くでしょうし、いまさら変えるわけにもいかないし。
中村 同じようでちょっとだけ違う人名漢字はけっこうありますよ。「直」の一番下の横棒を突き出すものとか、フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんの「舘」の字、舘と書きがちですが、実は「舎」と「官」の組み合わせなんです。
宮崎 微妙に違いますね。
中村 歌手の德永明さんの「德」は横棒が1本入っているんです。「」の字は艸かんむりって本来は横棒がつながっていない「艹」の形で4画、常用漢字・人名用漢字は横棒がつながった「艹」の形で3画となっています。人名に使用する漢字はこだわりが強いので、指定された字がないと作字といって活字を作ったりしますね。
宮崎 そういうこだわりって、きっと字画なんですね。画数で姓名判断の運勢が変わってしまうから。漢字って正字と略字があるし。最近話題になったのは令和の「令」ですよね。中がまっすぐなのかマなのか。これは書体の違いだからどちらでもよいけれど。
中村 うちにも「マのほうの令の字はありませんか?」って問い合わせがくるんです。明朝体はまっすぐだから。
宮崎 そう言えば、先ほどもお客さんが見えられていましたよね。
中村 「令」の字を買いに来られたんです。先代からお付き合いのある、家族経営の小さな印刷屋さんです。うちは活字そのものも作っていて、母型という活字の型を持っているんですよ。これがないと活字が作れません。
宮崎 まさに大本じゃないですか。責任重大ですね。でも活字が売り買いできるなんて、ちょっとびっくり。
中村 もう母型を作れる職人さんがほとんどいないから、ここにある母型を守っていかないと活版印刷のバトンをつなげなくなってしまうんです。だから火事でも大丈夫なように耐火仕様の金庫に保管しています。
宮崎 母型は活版印刷にとって、なくてはならない大切な財産なんですね。
中村 私は70歳になるけれど、この10年ぐらい活版印刷に携わる若い人たちが増えてきているんです。ここにある母型や活字はそういう人たちに託していけたらと思っています。
宮崎 いいものは残るんですよね。若者に未来をつないでいく。失くしてはならない日本の活字文化は、こうして守られていくんですね。
人名の漢字に見る細部の違い。
漢字検定1級は6000字。過去問やったら最初は7点!
中村 宮崎さんは漢字検定1級に合格されていますが、難しかったですか?
宮崎 それはもう大変でした。テレビ朝日の『Qさま!!』で漢字検定試験を受けることになって、準1級までは3000字でしたけど、1級になると6000字になって知らない漢字ばかりで、難しい旧字体も出てくる。試しに過去問題集をやってみたら、200点満点でたったの7点(笑)。
中村 相当勉強されたんですね。
宮崎 はい。50歳を過ぎてからの挑戦でしたし、もう必死で勉強しました。でも漢字って何かの形を表しているから、それをたどれば知らない字でも分解して理解することができるんです。
中村 漢字は象形文字のニュアンスがありますからね。
宮崎 そうなんです。絵画的というか、漢字は視覚的に理解できますよね。漢字の勉強をしていて気がついたのは、ものには全部名前があるということです。草花にも、目に見えない気持ちや思想にも、どんなものにも名前がついている。人間の営みってこういうことなんだなって思えるんです。それを支えてきたのが活字でもあるわけだから、一字一字の重みがありますよね。
中村 そう言ってもらえるとうれしいですね。先ほど好きな漢字、気になる漢字を書いてくださいと言われて「令和」を書きました。新しい時代がいい時代になるよう願いを込めています。
宮崎 私は挨拶の「挨」を書きました。漢字って読むのはなんとなくできても、書くのは難しいし、すぐ忘れちゃうんですよね。中学のときにもらった漢字練習帳の最初が挨拶だったんです。それからは時おり挨拶を書いて、書けたらひとまず安心、書けないと赤信号が点滅し始めちゃう(笑)。
中村 宮崎さんの活字や漢字への思いが深くて感心しました。それに活版印刷にも希望が湧いてきましたね。
宮崎 このお店にある活字で世界の森羅万象をすべて表すことができるんですもの。私たちはこの叡智の森を失ってはならないと思います。
宮崎さん・ニットベスト2万6000円、ワンピース3万円(共にピッチュン/ピー・エックス TEL.03-5784-1501) イヤリング4万4000円(mid.j/リズプレス TEL.03-6427-4471) リング25万円、ブローチ2万4000円(共にアズール・カリテス TEL.03-5250-0218) シューズ私物
『クロワッサン』1016号より