【堀本裕樹さん×向井 慧さん 対談】俳句のことを、ゆっくり話そう。
初顔合わせのふたりがその魅力に迫る。
撮影・天日恵美子 文・三浦天紗子
妥協せず自分に向き合うこと。俳句の世界は底が知れないですね。(向井さん)
堀本 〈君の耳ただ満月の照らす音〉。という句もすごくいいですよね。ぱっと出てきたんですか。
向井 お題は、本当に大きな満月の写真でした。その満月の印象がすごすぎて、こんなに明るく照らしているのなら音が聞こえてきそうだなぁと。〈満月の照らす音〉という言葉が瞬時に浮かんで、我ながら「これ、おしゃれじゃん」と。俳句を考えていると、確かにこんな言葉が自分の中から出たのが不思議と思う体験が何度もあるんです。
堀本 満月を見て、視覚からすっと聴覚に移っていく詩的な感覚の推移。うん、才能ありますよ。
向井 いやいやいや、やめてください(笑)。実はこの句を詠んだときが初登場だったんです。初登場でいきなり1位になってしまうって、プレバトあるあるらしいんですよね。ラッキーパンチみたいな。何にも縛られず素直に言葉にしてみたら、それが意外と人と違う発想だったというのは。ただそこから苦戦する人も多いみたいです。
堀本 それはプレバトあるあるじゃなくて、俳句あるあるなんです(笑)。僕も句会をいろいろやっていますが、初心者が来て、向井さんみたいにいきなり感覚の冴えた俳句を作って、特選を取ったりみんなに選ばれたりはわりとあることなんです。
向井 そうなんだ。僕もそのあと、逆にわからなくなっちゃったんですよね。2句めもああいうふうに作ればいいんだな、ところであの1句めはどうやって作ったんだっけとたどろうとして、逆に、俳句ってこういうものという自分の中のイメージに縛られちゃう。枠をはみ出ることができない。
堀本 芭蕉の言葉にも「俳諧は三尺の童にさせよ」というのがありますよ。初心を忘れず無邪気な心で言葉にするのがよいのだという意味ですね。
向井さんがテレビ番組で詠んだ句
【 中秋の名月 】
君の耳ただ満月の照らす音 慧
表現技法は照れずに使う。大切なのは、慣れること。
向井 それこそ僕は、無理に発想を飛ばそうとかびっくりさせるような句を作ってやろうとかはないというか、作れないんです。ただ、自分の実感を十七音で過不足なく、できればワザとかも一緒に詰められたらいいなと思う。
堀本 自分の内側にある思いや経験を誠実に見つめて、それをもとに季語を寄り添わせる。そういう堅実な作り方が向井さんに合っているんでしょう。
向井 まさに。いわゆる飛んだ句を自分がやるのは小っ恥ずかしいですよ。「コツコツ型のオレが発想飛ばす? 生意気言うなよ」ってなります。
堀本 ところで、向井さんが番組で作った句を見てみると、「や」「かな」「けり」という切字(きれじ)を使ったものが一つもないですよね。切字は、典型的な俳句の表現技法ですが、使ってみようとか意識したことありますか。
向井 さっきの話じゃないですけれど、「俳句をちゃんと勉強したこともないオマエごときの初心者が、何、切字とか使ってんだよ」と自分にツッコんじゃうんですよね(笑)。
堀本 それね、又吉さんと全く同じ発想(笑)。
向井 わはははは(笑)!
堀本 なんで恥ずかしいと感じてしまうかと言うと、僕たちはふだん「や」「かな」「けり」を口語では使わないからですよね。照れてしまう。でも向井さんがこの先も俳句を作っていこうと思うなら切字は一度使ってみたほうがいいですよ。とりあえず一生懸命考えて使ってみる。これ、けっこう慣れなんです。積み重ねていくごとに、切字の大切さを理解して、響き方、活用方法などが体感的にわかってくる。例えば芸人さんでも「僕モノボケ苦手や」って言ってる人いるでしょう? でもやらんといけないこともあるじゃないですか。
向井 確かに遠ざかれば遠ざかるほどどんどんできなくなってきます。
堀本 「や」「かな」「けり」も同じです。敬遠するほど遠いものになってしまう。反対に、自分から近づいていけば、意外と使えているなとか、面白い句ができたなと自分も変わっていきます。
向井 あー、ホントですね。
堀本 いつか、向井さんの切字を使った句を見てみたいですね。