『レモンケーキの独特なさびしさ』訳者・管 啓次郎さん|本を読んで、会いたくなって。
「さびしい」は、喪失とは別のところにある。
撮影・森山祐子
主人公・ローズの9歳の誕生日、母親が焼いてくれたレモンケーキ。ひとかけ口にした瞬間、母の感情が自分に流れ込んでくるのを感じた。家族への深すぎる愛情、それに伴う虚しさ……。それ以来、何を食べても、作り手の気持ちがわかってしまうようになったローズ。本来は喜びであるはずの食事が、彼女にとっては、周囲の人々の普段は隠された感情がむき出しになって自分に届くまでの乗り物に変わってしまった——。
「今回、原題にある〈sadness〉を〈さびしさ〉と訳したら、この本について対談した精神科医の方から、なぜ一般的な〈悲しさ〉という訳語ではないのか、と聞かれました。精神医療の分野では二つは明快な違いがある、と。でも僕からしたら、悲しさはしっくりこない。
悲しいという状態は、なにか対象があって、それを喪失した結果。さびしいは、もっと根本的に生の自分の存在がむき出しになっていて、それを受け入れるしかないことがさびしいんだと思います。侘び寂びの世界みたい? 一方、サガンの『悲しみよこんにちは』(英訳すると〈Hello sadness〉)では〈悲しみ〉じゃないとダメ。……まあ、考えだすと翻訳は進まないので、普段は直感的に即訳ですけど」
翻訳を担当した管啓次郎さんの文章は、言葉のリズムなど、通常の翻訳文体とはひと味違う魅力がある。しばしば「エイミー・ベンダー作品は彼の訳文あってこそ」と評されるほど。
「僕は、2010年から自作の詩を発表するようになりましたけれど、自分の作品を書く時、外国語を思い浮かべることが多くて。常に、英語やフランス語の単語が頭で反響している。その状態に近いものが、翻訳の時にも出てきているのかもしれませんね。混乱した言語で頭が一種の沸騰状態になってシュワシュワしてる感じでしょうか」
こんな集中状態に入ると、周囲がどれだけ騒がしくても、全然気にならない。なんと、翻訳はいつも近所のドーナツショップでするのだとか!
「ドーナツショップはアメリカ文学によく合います。ヘミングウェイの短編『A Clean,Well-Lighted Place(清潔で、明るい店)』では、おそらく戦争後遺症の主人公が、夜の暗闇を恐れ明るいカフェで毎晩閉店まで過ごします。ドーナツショップもどこも明るくて、店のインテリアもプラスチックで清潔な感じ。でも最近、行きつけの店が閉店してしまい〈悲しい〉状況なんです」
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