考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』48(最終)話「俺たちは屁だ!屁!屁!屁!屁!」(3回目)蔦重(横浜流星)逝かないで!愛おしいべらぼうたちと別れたくない
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
一橋治済と斎藤十郎兵衛
「死んだ後、こう言われてえのでごぜえます。
あいつは本を作り続けた。死の間際まで書を以て世を耕し続けたって」
蔦重(横浜流星)の願い通り、書を以て世を耕し続ける最終回だった。
「くらえ、エレキテル!」
平賀源内(安田顕)のそんな声が聞こえてきそうな落雷によって、阿波へ護送中の一橋治済(生田斗真)、絶命。
天から徳川家治(眞島秀和)と田沼意次(渡辺謙)がGOサインを出したのかもなと想像させるような悪党の死だ。
江戸。
治済の死の報せを受けた蔦重は、プロジェクト写楽を締めくくる。
斎藤十郎兵衛(生田斗真/二役)の存在を耕書堂に集った作家メンバーに明かす。
一橋治済として生きることを強いられ、その存在を消された男。
別人に入れ替わっても疑いをかけられることもなく、「私など、いてもいなくても変わらぬ者であったということだ」と自嘲気味に微笑んだ斎藤十郎兵衛。
蔦重の計らいとは、絵の心得のある彼に写楽絵の模写をさせ、写楽の正体を噂する世間に乗じて、斎藤十郎兵衛を後世の写楽説に加える仕掛けを施すことだった。
戯けた遊びだと盛り上がる耕書堂メンバーの中に栄松斎長喜(えいしょうさいちょうき/岡崎体育)がいる。
大田南畝(桐谷健太)が発案し、編纂を始めた浮世絵師の考証書『浮世絵類考』(寛政2年~/1790年~)は江戸の浮世絵師について知る上で重要な資料だ。山東京伝(古川雄大)が追考を書き加え、さらに文政年間、天保年間と式亭三馬、渓斎英泉、斎藤月岑など多くの人の手によって追記され、書き継がれていったその中に、
「写楽は阿波蜂須賀家に仕える斎藤十郎兵衛だと、栄松斎長喜じいさまが語った」
といった意味合いの文言がある。
この耕書堂の場面からン十年後、写楽のことを問われた栄松斎長喜が「そういえば……」と話す姿を想像すると可笑しい。
東洲斎写楽が政治的陰謀の一環として生まれ、蔦重発案の遊びによって幾重もベールをかけられて謎の絵師となったというドラマの仕立ては、実に面白かった。
本居宣長登場
蔦重は、一冊の本を偶然手に入れる。『玉くしげ』(天明6年/1786年成立)──天明6年、紀州藩主・徳川治貞(高橋英樹)が藩内に広く政治についての意見を求めた折、和学者・本居宣長(北村一輝)が献じた政治道徳論である。
幕府が政治理念の根幹とする儒学を「異国(中国大陸)からやってきた学問で、日本には合わない」と批判する意見に興味を持った蔦重は、伊勢・松坂(現在の三重県松阪市)の本居宣長宅を訪ねる。本居の和学の著作を、耕書堂で売らせてほしいと交渉するためだ。
本居「江戸なんかで売り広めたら、せっかく積み上げてきた学問が殺される」
本居はこの寛政7年(1795年)で65歳。
30年以上『古事記』『万葉集』など和学の研究に捧げてきたのだ。幕府のお膝元である江戸で儒学批判の書籍を出して、取り締まりを受けては台無しである。
蔦重は写楽プロジェクトは松平定信(井上祐貴)の発案であると打ち明け、定信に書いてもらった手紙を見せた。その内容に沿って蔦重、
「儒学は否とするものであっても和学は別。和学は田安が大事にしてきた学問であるからと」
定信の父である田安徳川宗武は、本居宣長の師、賀茂真淵に和学を学んだ。手紙を読み、態度を軟化させた本居を、蔦重は説き伏せる。
蔦重「儒学は政には都合のいい考えだ。でもそれは異国からのもので、もともと日本の考えは違った。この国はイザナミとイザナギが産んだ国」「私たちのご先祖の『もののあはれ』と、とびきりでけえ器。そのでけえ器を、わたしゃ江戸の皆に知ってほしいのでございます」
徐々に「わかってるやないか」という表情になってゆく本居宣長。
ここで蔦重が言う「もののあはれ」は、本居宣長が『源氏物語』研究をまとめた『紫文要領』(宝暦13年/1763年成立)などで提唱した日本古来の美意識、概念である。
この後の、吉原での狂歌会場面での、
りつ(安達祐実)「鳴く声はぬえに似たるか香やいかに浮かぶ湯船のあはれなりけり」
(その声は夜に鳴くという鵺に似ているでしょうか。香りはどうでしょう。お風呂で磨かれた体は、源氏物語の浮舟を思わせてしみじみと情緒を感じます)
次郎兵衛(中村蒼)「水責めに火責めのあとは半殺し目黒の餅はあはれなりけり」
(もち米を水に浸して炊いた後に、ほど良く搗く。目黒名物の餅はしみじみ美味い ※半殺しとは米を搗くことを指す)
なんでも「あはれなりけり」をつければ良いというものではないが、耕書堂が売り出した本居宣長の書物が「もののあはれ」の概念を江戸の庶民に定着させたことをコミカルに描いている。
影響はそれだけではなかった。
本居宣長の『古事記』の研究は日本古来の神々と天皇の繋がりを重視したもので、幕末、明治時代の尊皇思想に強い影響を与えた。蔦重による本居宣長著書の売り広めは、のちの世が変わるきっかけとなったのである。
あそこの女将が本好きのようでな
蔦重は、長谷川平蔵(中村隼人)からの手紙を受け取った。手紙で呼び出された先では蔦重も平蔵も旅姿。行き交う人も旅人が多いから、江戸近郊の宿場町だろうか。
駕籠(かご)かき人足が黄表紙を広げている駕籠屋の店先を指して平蔵、
「あそこの女将が本好きのようでな」「子にも恵まれ、幸せにしておるようだ」
誰とは明言しない。だが、蔦重には伝わるのだ。
蔦重と平蔵の青春。べらぼうにバカだったが、熱く輝いていた日々。
女将が出てきて、駕籠かき人足に握り飯を配っている。
その握り飯はきっと「しお」が利いているだろう。
長谷川平蔵宣以は、この寛政7年に50歳で世を去る。
磯八(山口祥行)と仙太(岩男海史)は「平蔵の兄ィ」の病状を慮って、初恋の人を探すため奔走したのか。
女将の顔は蔦重と平蔵にしか見えない。それでいい、それがいい。
粋な演出と、かつて愛した女・瀬川(小芝風花)の幸せな姿を見守るふたりの男の微笑みに涙した。
脚気に罹るとは
病が蔦重を襲う。
脚気(かっけ)──ビタミンB1不足が原因のこの病は、第二次世界大戦後に至るまで多くの人の命を奪った。
耕書堂の食事場面でたびたび描写されてきたように、元禄時代以降、江戸では副菜が殆どない白飯中心の食事が一般的だった。ビタミンB1を含んだ胚芽の部分を精米で削ぎ落とした白米を中心とした偏った食生活が、脚気を引き起こしたのである。
次郎兵衛が「江戸から国元に戻ったお武家さんが治っちまうこともあるって」と語るとおり、参勤交代で江戸にやってきた武士に足のしびれなど脚気の症状が出て、地元に戻ると治るという例があったのだそうだ。都市部とは違い地方では米に麦、雑穀、芋などを混ぜて炊くので、知らず知らずビタミン類を摂取できていたのだろう。
吉原時代には、安くてビタミンB1豊富な庶民の味方・蕎麦をしょっちゅうたぐっていた蔦重なのに、努力して日本橋に出て白飯を食べられるようになったら脚気に罹るとは皮肉なものだ。
てい(橋本愛)の「江戸の外に出てはどうか。食べ物や水が違うのでは」という主張が正解だったわけだが、根っからの江戸っ子である蔦重は療養のための引っ越しを渋る。
「もうすぐ死ぬという本屋が必死で作った本ならよく売れるんじゃないか、一儲けできると思う」という不謹慎な発想に、ていは妻として立腹するが、ついに折れる。
こういう男だものね、仕方中橋。
耕書堂で作家、絵師に自身の病気を打ち明けて作品を依頼、それぞれをプロデュースする場面は、グッと来るものがあった。
山東京伝、大田南畝、北尾重政(橋本淳)、朋誠堂喜三二(尾美としのり)……。みんな蔦重と一緒にバカやって、無茶ぶりを聞いて、生みの苦しみを味わって。笑ったり泣いたりしてきたなあ。
比較的出会いの新しい曲亭馬琴(津田健次郎)、十返舎一九(井上芳雄)、葛飾北斎(くっきー!)らとの場面は、江戸時代後期に花開く化政文化の到来を予感させワクワクする。蔦重が先達の作家、地本問屋らと耕した土壌に育ち、大活躍するクリエイターたちだ。文化は受け継がれてゆく。
合図は拍子木です
寛政9年(1797年)正月。
耕書堂に、御暇乞いの口上が貼り出された。
此度、冥土に急用ができましたのでこの世から御暇することになりました。
ご贔屓厚き皆様へ置き土産の本をご用意しましたので何卒お求めいただきたく存じます。
耕書堂主人・蔦屋重三郎
みの吉(中川翼)も「蔦屋重三郎、最期の商いに勤しんでおります!」と声を上げる。
重病をネタにして大々的に売りまくった。
「監督引退前の最後の映画」などとやる、あの手の宣伝の先駆者だ。
ガンガン作ってバリバリ売る。商いが張りとなったのか、冥土に急用ができたわりには生き永らえたが、その年の5月の夜。突然、蔦重の前に九郎助稲荷様(綾瀬はるか)が降臨なされた。
「今日の昼の九つ、午の刻に迎えに来ますので」「合図は拍子木です」。
1話のレビュー(記事はこちら)で九郎助稲荷様は可愛いだけではないのではと書いたが、死出の案内人として現れるとは思わなかった。
ヨロヨロの状態の蔦重がお会計を担当している時点で薄々感じてはいたのだが、お迎えに来ました宣言シーンからラストに向けて、おふざけ、たわけギアが一段ずつ上がってきていた気がする。
誰も来ねえなあ
病床でお別れの来客を待っている蔦重とてい。九郎助稲荷が宣告した午の刻が近づいてくる。
蔦重「……誰も来ねえなあ」
てい「もう、死ぬと思われていないのかもしれませんね」
死ぬ死ぬ詐欺だと思われているのか。それとも、夫婦の語らいの邪魔をせぬように、皆がそれぞれに配慮した結果か。
夫婦は店の今後を話し合う。二代目蔦屋重三郎はみの吉と決めた。そして、後を継いだ者が困らないようにと、ていが耕書堂の取引先リストを「既に作ってある」と蔦重に手渡す。リストには、作家、狂歌師、絵師の本名・住所などに加え、依頼する際の注意点などが細かく記載されている。
例えば、山東京伝は「諸国にその名を轟かせる。依頼料は安くはないが、板元を儲けさせる随一の作家。世間の評判を気に病む癖があるので、気遣いを要する」。
曲亭馬琴については「頑固で滑稽の才能が少なく、なんでも理詰め。学才豊かな文章を得意とする。尊大な振舞いがあり、とにかく融通が効かぬ御仁。好物は甘い物」。
そして喜多川歌麿(染谷将太)の項では、「男女風俗を描かせたら一流。義理に厚く仕事を引き受けてくれるが、その気持ちに乗ずるような真似をしてはならない。喜多川歌麿は蔦屋重三郎の一世一代、特別なものなのだから」
蔦重と歌麿、ふたりの男の情と業が生み出した作品を見届けたおていさんの記述だと思うと感慨深い。
他にも、通夜の手配。戒名の準備。墓碑銘は宿屋飯盛(又吉直樹)に依頼することなど、素晴らしいシゴデキぶりなのだが、この手のことを完璧にやりすぎるとちょっと面白くなってしまうのが困る。
自分が死ぬ準備を整えてもらった蔦重の「万端だねえ……」に吹き出してしまった。
そして夫婦のなれそめの話を始める蔦重。思い出したのは、ていのあの言葉で……、
本も本望。本屋も本懐。そうそう、24話(記事はこちら)だ。子供たちの教育に使ってくれと寺に本を寄附した、ていの「本が子らに文字や知恵を与え、その一生が豊かで喜びに満ちたものになれば」という言葉を聞いて、蔦重はていが自分と志を同じくする者だと知ったのだ。
25話(記事はこちら)で、求婚を受け入れてくれた時のことも思い出し、「陶朱公のように生きられなかった」とうつむく蔦重に、ていは「蔦重の作った本は日本全国の人の心を豊かにする富」だとして、
「その富は腹を満たすことはできません。けれど心を満たすことはできます。心が満たされれば、人は優しくなれましょう。次は己が、誰かの心を満たそうと思うかもしれません」「笑いという富を旦那様は日の本中に振舞ったのではないでしょうか」
「雨の日も風の日もたわけきられたこと。日の本一のべらぼうにございました」
優しく賛辞を贈る。そうか……と安堵する蔦重。
エンターテインメントは心を満たす富であるというこの台詞は、創作に携わる全ての人への贈り物だろう。
三たびの屁踊り!
その時が近づく。人事不省に陥る蔦重、部屋に飛び込んでくる仲間たち。
大切な人に死に別れ生き別れを繰り返した蔦重が、愛する人々に囲まれて旅立つのか。
いやだ蔦重、逝かないで!
「俺たちは屁だ!屁!屁!屁!屁!」
その瞬間、蔦重を呼び戻そうと大田南畝、三たびの屁踊り! なんということでしょう、最後の最後に下ネタ。みるみる広がる屁踊りの輪、大きくなる「屁!」のかけ声。
ここで夫を義兄・次郎兵衛に任せ、屁踊りに加わるおていさんがいい。
任された次郎兵衛兄さんが蔦重の髷をそっと撫でる姿に、涙が止まらない。
あれは7話(記事はこちら)だ。吉原細見作りに知恵を絞る義弟・蔦重を慈しみ、いい子いい子するように髷を撫でた次郎兵衛兄さん。ずっと蔦重の味方でいてくれた。
全身全霊「屁」の連呼で笑ってしまうのに泣けるなんて、感情ぐちゃぐちゃだ。この愛おしいべらぼうたちと別れたくない。
ふっと蔦重が目を覚ます。
蔦重「……拍子木……聞こえねえんだけど」
一同「へ??????」
周りがうるさいからね。ここで拍子木、
チョンチョーン。
宿屋飯盛が寄せた墓碑銘にある蔦屋重三郎最期の言葉、
場上未撃柝何其晩也
(芝居の幕切れ、人生の終わりを知らせる拍子木が鳴らない。遅いなあ)
これに沿った、バカバカしくも爽やかな幕切れだった。
1年間、ほんとうに楽しかった。ありがた山の寒烏だ。
昨年の『光る君へ』の紫式部、本作『べらぼう~蔦屋重三郎栄華夢噺~』の蔦屋重三郎と、文化人が主役の大河ドラマが2作続いた。
書物、物語を愛する人々によって受け継がれる文化を描いた連作は意義深い。
大きな戦がなくとも、疫病や自然災害、飢饉、失政によって悲劇は起きる。
どんな時代でも、人々は生きるため必死に戦ってきた。
虚実織り交ぜ、そうした歴史に向き合った二つの作品であったと思う。
来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の舞台は、蔦重の生きた時代から200年以上前の戦国時代。豊臣秀長(仲野太賀)と兄・豊臣秀吉(池松壮亮)が動乱の世を駆け上がる物語だ。
また1年間、読者の皆さんとご一緒に大河ドラマを楽しめたらと存じます。
2026年にお会いいたしましょう!
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、古川雄大、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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