「犬との不思議エピソード」集──獣医師による解説付き
文・黒田 創 イラストレーション・ニャンパッチ
そっくりな犬が訪ねてきた
私が子どものころ、1980年代ですが、白に茶色のブチの犬が住宅街の道に座っていて、近所の子どもたちに可愛がられていました。
当時はまだ野良犬が東京にもいた時代で、保健所に引き取られそうになったので、結局我が家が飼うことにし、ハリーと名づけました。当時すでに7カ月くらいでした。
何カ月か経ちハリーもすっかり家に慣れたころのこと。仕事から戻ってきた父が、家の近くの角をうろうろしているハリーを見かけました。「庭から出ちゃだめじゃないか」と言いながらハリーを家に連れ戻そうとしたところ、ちょっとサイズが小さいような気がしたそうです。
家に連れて帰ると、庭には本当のハリーがいて、父が連れて帰ってきたのはハリーにそっくりな雌犬だと気づきました。その犬はハリーと鼻を突き合わせていましたが、気づいた時にはもういなくなってしまったのでした。
おそらくハリーの母親かきょうだいだったのかも。「人間の家にもらわれたんだね」と話して、帰ったのでは、と我が家では解釈しています。
解説
去勢されていない野良犬が多かった時代は、そのきょうだいも同じ地域にたくさんいたと思うんです。その雌犬がハリーそっくりなら、きょうだいである可能性は高いですよね。鋭い嗅覚を使ってハリーのいる家まで道順を辿ってきたのかもしれません。(松原さん)
飼い主の誕生日に亡くなった
昨年末に亡くなったゴールデンレトリバー。闘病中もできる限り私が一緒にいて、「ずっと一緒だよ、ありがとう」と声をかけ続けました。最期まで力を振り絞り生き抜いてくれましたが、その力が尽きてしまったのは私の誕生日でした。先に逝くけどずっと一緒だよね、と言いたかったあの子の遺言だと思っています。
解説
犬は飼い主の感情の変化にとても敏感で、会話や態度の端々から「誕生日が特別な日」というのを感じ取って、その日までは頑張ったのかもしれません。特にゴールデンレトリバーは頭がいい犬種なので、その可能性はありますよね。動物病院でも、長期入院した末期症状の犬が、飼い主が病院に来た途端に亡くなるケースもあります。
可愛がってくれた人との今生の別れがわかっている
祖母の家と私の家は隣で、うちで飼っていた犬の“あられ”は、祖母にもとても可愛がられていました。
あられはほぼ鳴かない、ものすごく静かな犬だったのですが、祖母が亡くなり、葬儀屋さんの車に祖母が乗せられて行く時に、まるでお見送りをするかのようなタイミングで「わおーん」と鳴きました。
解説
これも周囲の人の感情の変化を犬が察知した可能性が高いです。葬儀ともなれば、大勢の人の気持ちが大きく揺らぎますからね。また、ずっと可愛がってくれた祖母のにおいが死によって大きく変わってしまったことや、ずっと嗅ぎ慣れていたにおいが次第に遠ざかっていくことで「置いて行かないで」という感情があふれ出たのかもしれません。
飼い主が引っ越す家を予見している
私が学生のころ、実家が今の場所に引っ越しました。その際、母と一緒に当時飼っていた犬を車に乗せて、いろんな家を見て回りました。
20軒くらいは見たと思うのですが、ある家を見た時だけ、突然車の中で犬がキューキューと騒ぎ出し、車のドアを開けた途端にその家に飛び込んでしまい、家の中で走り回ったのでした。(家を見る時は、中を見られるようにと不動産屋さんが事前にドアを開けてくれていた)
結局、その家を買うことになり、この子はどの家に住むべきかがわかっていたんだねと、家族で勝手に解釈しています。
解説
犬は飼い主に対して同情や同調、協調する気持ちが強いため、予見というよりも飼い主の仕草などから「この家がいいね」という感情の変化に気がついたのかもしれません。それだけ犬は人間に寄り添う動物なんですね。
夫婦喧嘩の仲裁をする
我が家で飼っている8歳7カ月の雌犬。飼い主である私たち夫婦の口論が始まると不安になるようで、一番気に入っているおもちゃを持ってきて「遊ぼう、遊ぼう!」と間に割って入ろうとします。
「ほら、おもちゃで遊んだら喧嘩よりも楽しいよ!」と言わんばかりの真面目な様子がおかしくて、つい笑ってしまいます。犬にとって一番安心できる家庭に不穏な空気が流れるのは嫌なようです。
解説
犬はもともと群れで生きる動物で、仲間内で争いが起こると誰かが仲裁に入ります。それは人に飼われるようになっても同様。先にも触れたとおり飼い主の感情の変化に敏感なので、夫婦間の険悪な雰囲気も感じ取るんです。
『クロワッサン』1140号より
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