考察『光る君へ』36話 運命の皇子誕生!『紫式部日記』にも記された貴族たちの無礼講「五十日儀」で、ついに赤染衛門(凰稀かなめ)に気づかれた?「左大臣様とあなたは、どういうお仲なの」
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
顔を上げた彰子
寛弘5年(1008年)。藤式部──まひろ(吉高由里子)による『源氏物語』の執筆は、ますます好調らしい。そして、中宮・彰子(見上愛)と敦康親王(渡邉櫂)もより親密に……ここで宮の宣旨(小林きな子)から香炉を差し出されて彰子が催す吐き気。「うっ」からの妊娠がわかるというのはドラマの定番だが、空薫物(そらたきもの)の香でつわりとなるのは、さすが平安大河という気がする。
「中宮様がご懐妊あそばされた」
道長(柄本佑)と倫子(黒木華)の左大臣夫婦は喜びに満たされる……主人夫婦の幸せを目にして赤染衛門(凰稀かなめ)も嬉しそうだ。中宮の指南役がまひろに移り、彼女は内裏から下がり、倫子の傍に戻ったらしい。もともと娘時代から倫子のご指南役だったものね。
中宮の懐妊祝いに標(しるし)の帯を賜るよう蔵人頭に命じる一条帝(塩野瑛久)の表情がどことなく憂いを含むのは、もし生まれるのが皇子だった場合、敦康親王が政治的に難しい立場に立たされる──帝である自分は、非常に厳しい判断を迫られるだろうという予想からか。
そうした帝の御心は知らず、名実ともに帝の后となった上に御子まで授かり、彰子の心は瑞々しく解き放たれる。漢学を学びたい、帝に内緒で学んで驚かせ申し上げたい。
「亡き皇后様(定子/高畑充希)は漢籍がお得意であったのであろう?」
今の彰子には、定子は重荷でもけっして越えられない競争相手でもなく、学ぶべき先達。うつむきがちだった彼女が顔を上げ、高みを目指す姿は美しい。指南役として、まひろも教え甲斐があるだろう。
居貞親王と敦明王
「中宮様が御生みになるのが皇子であったら」
これを考えるのは、当然一条帝だけではない。めでたいという斉信(金田哲)、皇子であったらややこしいことになると指摘する公任(町田啓太)、現東宮・居貞親王(木村達成)のあとは一条帝の第一皇子・敦康親王が東宮になるのが道理であるからややこしいことはない、道長がそれをひっくり返すはずはないと断言する行成(渡辺大知)。
それには答えない道長……帝の譲位の話をするのは不敬であることを示唆するが、本当にそれだけか……?
道綱(上地雄輔)が東宮・居貞親王に、花山院(本郷奏多)逝去を報告する。
花山院……東宮時代に漢籍教室の先生である為時(岸谷五朗)に蹴りをくらわす場面から始まり、足指で扇を操りながらの猥談、厳かな表情での緊縛プレイに忯子(井上咲楽)熱愛、寛和の変で騙し討ちされ長徳の変では弓矢で脅され……。色々ありましたね。鮮烈で自由で純粋。序盤から中盤までの、忘れられないキャラクターでした。お疲れ様でした。
花山院の弟である現東宮・居貞親王は、彰子が産む御子が皇子ならば、そして「我が子敦明が次の東宮にならねば、冷泉帝の皇統は途絶える」と憂慮する。ここまでの帝位は、
冷泉帝→円融帝(坂東巳之助/冷泉帝の弟)→花山帝(冷泉帝の皇子)→一条帝(円融帝の皇子)→東宮・居貞親王(冷泉帝の皇子・花山帝の弟)→?
という流れとなっている。居貞親王が帝となったら、そのあとの東宮は一条帝の皇子・敦康親王か、それとも彰子の産む皇子か。
現東宮・居貞親王は一条帝よりも4歳年上。母親は兼家(段田安則)の娘、一条帝の母・詮子(吉田羊)の同母姉であったので、一条帝が即位したときに兼家の後押しで東宮となった。しかしその後、祖父である兼家は死去、東宮妃・娍子(すけこ/朝倉あき)の父、大納言・藤原済時も長徳年間に大流行した疫病で亡くなってしまったので、現東宮である彼には強力な後ろ盾がない。なので、自分には息子がいるが、その子が東宮となる可能性は限りなく低い……「冷泉の皇統が絶える」とは、そういった意味の台詞だ。
そこに居貞親王の息子、敦明王(あつあきらのう※この時点ではまだ親王宣下を受けていないので『王』/阿佐辰美)登場。狩り好きで、手にした弓を道綱の肩に当てたり、所作にどこか荒々しさが垣間見える。そう、これぞ敦明王。
狩り好きをとがめる母親の娍子の言葉に、
敦明王「私は力が有り余っているのでございます。人にぶつけるより獣にぶつけるほうがマシでございましょう」
このドラマでどこまで描かれるかわからないが、たびたび暴力事件を起こして当時の貴族社会に波紋を呼んだ人物である。権力の壁の外側に置かれている、居貞親王と敦明王父子のこれからに注目したい。
敦康親王が不安を口にする。
敦康「中宮様に御子が生まれたら、もう遊べなくなるのでしょう? 私は中宮様の子ではありません。御子が生まれたら、その子のほうが愛おしくなるのは道理です」
彰子「親王様と私はここで一緒に生きてまいりました」「子が生まれても親王様の心を裏切るようなことはけっしてございませぬ」
彰子の言葉通り、ふたりは敦康親王がまだよちよち歩きの頃から、彰子が寂しい中宮であった頃から、藤壺で身を寄せ合うように生きてきた。彰子の言葉を聞いて安心するでもなく、少し寂し気に微笑む敦康親王の賢さが切ない。
「中宮様のお生みになるのが皇子であったら」
この一点を中心として、内裏の全ての人間がさまざまな思いを抱く──。
しばしばしばしば、ひそひそ
お産のために実家の土御門殿に宿下がりする中宮・彰子とともに、まひろたち中宮女房ズも土御門殿に移る。
33話(記事はこちら)で局では集中して書けない、よく眠れないと訴えたまひろの言葉を覚えていた道長は、ほかの女房たちとは離れた部屋を倫子に用意させる。そして、倫子からまひろに、中宮の母として感謝の言葉……。かつて「まひろさん」と呼んでいたのが「藤式部」に、語りかけるときは「いらしてくださいね」などだったのが「自分の家のように過ごしておくれ」。
そう。もう親しい友達ではない。ふたりは主従関係になっている。微笑んだ倫子が立ち去ったあと、まひろが気まずそうにしているのは、道長との関係を後ろめたく思うゆえか。
中宮の学びは土御門殿に里帰りしても続く。
まひろ「瑕(きず)とは大切な宝なのでございますよ。瑕こそ、その人をその人たらしめるものでございますれば」
29話(記事はこちら)で清少納言(ファーストサマーウイカ)に語った「人には光もあれば陰もある、それが複雑であればあるほど魅力を増す」というまひろの考えは一貫している。生きていれば人間には瑕ができる。すべって転んでしくじって、経験が作る瑕が人間性に陰影と深みを与えるのだと。
そこに、妍子(きよこ/倉沢杏菜)教通(のりみち/吉田隼)威子(たけこ/栢森舞輝)嬉子(よしこ/平尾瑛茉)が姉である中宮に挨拶に訪れる。未来の三后と東宮妃、関白太政大臣が勢ぞろいの場面だった。
左衛門の内侍(菅野莉央)が、藤式部の悪評工作を仲間内以外に広げ始めた。赤染衛門に「くやしくはございませんの?」と持ちかける。しかし笑顔で大人の対応をする赤染衛門……。これでは乗ってこないのかと、左衛門の内侍は藤式部と左大臣・道長の仲が怪しいと畳みかける。
左衛門の内侍「左大臣様は藤式部の局にしばしばしばしばお立ち寄りになるように」「毎度、ひそひそひそひそと」
しばしば×2と、ひそひそ×2は台詞で聞いて可笑しかったが、文字にしても面白いな。これにも素敵な笑顔で「大事なお話があったのでございましょう」とかわす赤染衛門先生! さすがです! しかし、内侍に背を向けた瞬間に厳しい表情に変わる。これは教え子・まひろを心配してか、それとも内裏で倫子の面目を潰すような噂を立てられていることを懸念してか。果たして。
そんな赤染衛門先生の気持ちをよそに、廊下で偶然出会ってわずかに微笑みあうまひろと道長。いや、あの……会社内ですれ違う時に目配せしあう不倫カップルみたいだから。そういうのは本人たちが思っている以上に、周りの人はしっかり見てるものだから、柱や御簾の陰からとか。もうちょっと気をつけてほしい、こっちがヒヤヒヤするし。
『源氏物語』を読みたがる清少納言
定子の第三子・媄子(よしこ)内親王逝去。定子が命懸けで産んだ子が、わずか9歳でこの世を去るという……なんとも言葉にし難い、この世のむごさを感じる。
内親王の弔問のため、伊周(三浦翔平)の邸宅を清少納言が訪れた。
定子の死後の清少納言の動向は『枕草子』を書き続けたということ以外、はっきりとはわかっていない。様々な説、伝説・逸話が残る。なので、ここから先に見るのはドラマオリジナルの清少納言だろう。
皇后・定子と共に内裏から辞し、その死後は竹三条宮で脩子(ながこ※定子の第一子)内親王に仕えて静かに暮らす清少納言は、彰子の懐妊と、帝が『源氏物語』を愛読していること、それを書いたのがまひろということを知らなかった。
かつてなんでも打ち明けられる友人であったまひろが、定子の仇である道長の政権を助ける物語を書いたことに衝撃を隠せない。そして、
「その物語を私も読みとうございます」
『源氏物語』を読み、このドラマの清少納言がどんな評価をするのか。不安と期待、両方がある。
道長が変わった?
中宮の出産を記録する公文書では、漢文による記録が通例であった。が、道長はまひろにも出産記録を依頼する。
そう。『紫式部日記』は中宮・彰子が宿下がりした土御門殿の描写から始まる。それは文学的でありながら詳細な記録である。書き手が、中宮のすぐ傍に侍ることができる、御簾や几帳の中にも入ることができる女性ゆえに、そして紫式部という作家だからこそ残されたものだ。
ところで、この場面で気になった台詞がある。道長が、
「中宮様の晴れの場。のちに続く娘たちにも役立つように残したいのだ」
サラッと言っているのだ。のちに続く娘たち……? もともと入内は女子を幸せにしないのだと、しかし彰子は穏やかな世のためのいけにえに捧げるのだという悲痛な覚悟で入内させた彼が、姸子ら他の娘たちも入内する前提で話しているのか。もちろん、現在権力の頂点に立つ左大臣で、くわえて后である娘が帝の子を産むとなれば、その権力は揺ぎないものになる。彰子の妹たちも入内するのは当然の流れだ。しかし、敦康親王の処遇について話を逸らしたことといい、この「のちに続く」がなんの躊躇もなく口から出たことといい。これまでの道長とは、徐々に変わってきていると思うのは考えすぎか。
后の妊娠出産はまさに国家事業
そして、吉高由里子のナレーションと共に始まる『紫式部日記』に描かれた場面の再現。
うとうとしていたまひろのすぐ隣にあった菊の花と真綿は、9月9日の重陽の節句の風習によるもの。前日の夜から菊の花の上に綿を置いて露を含ませ、節句の日にそれで顔を拭いて若返りの効果を狙うという。これについて『紫式部日記』には、倫子と紫式部の間のやり取りが記されているのだが、今回はそれはなかった。もしかしたら今後どこかで登場するかもしれないので、楽しみに待とう。
白で統一された調度の中で、こちらも白一色の装束で陣痛に襲われた彰子に付き添う母・倫子と宰相の君(瀬戸さおり)。土御門殿には既に数か月前から安産祈祷のために僧侶が集められていたが、更に都まわりの名のある全ての寺院から徳の高い僧侶を招き、加持祈祷を強める。陰陽師もいる限りの人数を集結させる。
御物怪うつりたる人々(略)験者あづかりあづかりののしりゐたり
(物の怪を憑依させた寄坐が、調伏担当の修験者を罵っている)
暴れる寄坐(よりまし)! 祈祷だけでなく物理的に押さえつける験者! 響く金切り声や物音!
鬼気迫る中、長時間に及ぶ祈り。左衛門の内侍の「もういやっ!」という言葉は不謹慎だが、ちょっとわかる。
おどろおどろしい雰囲気に「帰ろうかな」とおののく右大臣・顕光(宮川一朗太)の気持ちも、少しわかる。
怯えながらも読経に参加する道綱、本当にいい人だね……。
魔除けに弓の弦が引き鳴らされ、人々の上に散米(うちまき)が撒かれ……。『紫式部日記』にも「いと騒がし」とある通り、やかましいのなんの。
倫子が「うるさいわね」と微笑みながら娘を励ます。僧侶も陰陽師の閣僚も女房たちも、みんな集まってのお産。后の妊娠出産はまさに国家事業である。
23話(記事はこちら)で、中宮・定子が清少納言とふたりきりで迎えたお産。あの場面を観たときは、おそらく後に彰子との対比となるだろうと予想したが、いざこの36話を見ると、皆に守られているというよりは政治的に扱われ過ぎて彰子が少し気の毒になってしまうのだ。対して、静かに清少納言に「ありがとう」と心からの感謝を伝え、主従ふたりで笑い合えた定子は、かけがえのない時間を得られたのではないかと思う。
このときとばかりに、離れた邸宅から彰子とおなかの御子を呪詛する伊周……! 今まで同じ呪詛を道長にかけて全く効かなかったのだから、諦めるか呪詛の方法を変更するかしたほうがいいと思う。せめて呪文を変えるとか。「八剱(やつるぎ)や……」こっちが覚えちゃうくらい何回も聞いてるし。いや、呪いが成就しても嫌なんだけど。
皆の願いと祈りが通じたのか、呪詛が破られたのか。無事に生まれたのは皇子。
ホッとするまひろと女房ズ、威儀を正す廷臣たち。わぁっと喜ぶ道綱、一条帝の女御・元子(安田聖愛)の父として落胆する顕光、泣いちゃう百舌彦(本多力)。みな様々だが、とにかく母子の無事を喜ぼう。
その中で「皇子であったか……皇子……」と茫然とする道長……その顔の半分が濃い闇に覆われる。32話(記事はこちら)の「光が強ければ闇も濃くなる」という安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の台詞を思い出した。娘が帝の后となり皇子が生まれる。平安貴族にとって、これ以上はないであろう強い光だ。その光は道長の心に何をもたらすのだろう。
「このあたりに若紫はおいでかな?」
緊張感から解き放たれて、まひろの部屋を訪れる道長。まひろの和歌、
めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ
人々が祝宴で持つ盃と、望月をかけている。この歌は若宮の五日の祝宴で紫式部が詠んだ。
道長「よい歌だ。覚えておこう」
まひろに関することは本当にいつまでも覚えているからね、まひろと道長の人生の節目は、いつも月の光に包まれている。
一条帝の土御門殿への行幸。彰子が青い色を身に着けている!「私が好きな色は、青」。
ああ、本当に自分の心を表せるようになったんだね……喜ばしい。
そしてこの日は、敦成(あつひら)となづけられた親王の五十日儀(いかのぎ)と祝宴!!
これは歴史に刻まれたパーティーである。映像化されて、古典文学ファン・歴史ファンとして、嬉しくてたまらない。
貴族たちの無礼講。そう、この酔っ払った皆の様子も、事細かに『紫式部日記』に記されているのだ。
すみっこの柱のあたりで女房に下ネタの冗談を大声で言う隆家(竜星涼)。それを聞いてもとがめない道長の様子。泥酔して女房たちのいるあたりに乱入し、ひんしゅくを買う顕光。
贅沢禁止の勅令が守られているか、酔いながらも女房の衣の枚数を数える実資(秋山竜次)。そして、ついに! ついにその瞬間が!
酔っぱらった公任の
「このあたりに若紫はおいでかな?」
(このわたりに若紫やさぶらふ)
このレビュー5回(記事はこちら)で、公任の軽口が史実を我々に伝える重要なエピソードがあると書いた。この一言がまさにそれだ。
この声かけをしてくれたおかげで、そしてそれを紫式部が書き留めたおかげで『源氏物語』がこの寛弘5年9月の時点で少なくとも『若紫』まで書き進められており、更にそれが貴族……女性だけでなく男性の間でも読まれていたということの歴史的証明となった。それが映像で見られて、大興奮である。
この言葉、ドラマではまひろと赤染衛門という中年女性を前に「若紫のような姫……若い女はいないなぁ」というセクハラ台詞として扱われているが「このわたりに若紫やさぶらふ」は「君の作品を読んだよ。若紫のあたりは中国の物語『遊仙窟』をベースにしてるよね?」という問いかけにもなっている、という説がある。
それはともかく「ここには光源氏のような殿方がいないのだから、若紫だっているはずがない」は『紫式部日記』では心の中で思っただけであるが、まひろは直接言い返す!さすがまひろ! 言ったれ言ったれ!
……と、まひろと公任が向き合っているのを見た道長が軽い嫉妬からか、ついやらかしてしまう。「なんぞ歌を詠め」
いかにいかが数えやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば
(親王様の五十日──いか……から、どれだけ数えればよろしいでしょう。何千年も、永遠にも続くでありましょうご治世を)
すらすらと即興で詠むのに合わせ、まひろの隣に座った道長も詠む。
あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞえとりてむ
(私に鶴のように千年もの寿命があれば、千年先までご治世の年を数えるだろう)
皆が感嘆の声を漏らす中で、顔色が変わる女性陣……あのですね、殿方は皆したたかに酔っているけれども。おなごは全員シラフなんですわ。観察眼も思考力も鈍ってはいないのですわ。特にもともと聡い倫子が、まひろと道長の間に流れる呼吸を察せぬはずがない。赤染衛門の厳しい表情もそれを物語る。
まひろに合わせて巧く詠んだとばかりにフフッと軽く微笑んでいた道長も、席を立った倫子を見てさすがにまずいと気づき、後を追う。やっちまった……。
『紫式部日記』にも、実際に倫子が不機嫌になり祝宴の席を立つ様子が描かれる。ただし、酔った道長の「倫子の幸運は私のような男と結婚したこと」などの冗談に怒ったとある。超有名な公任の一言から道長の嫉妬へ、そこから有名な紫式部と道長の和歌につなぎ、更に倫子の不機嫌へと。史実と虚構の組み立てが面白い。
誰もいない廊下で、まひろに赤染衛門先生から、
「左大臣様とあなたは、どういうお仲なの」
ば、バレた……いやバレないほうがおかしい。でも赤染衛門先生のことを信じてる。変な怒られ方ではないはず!
次週予告。
紙を選んでる! 楽しい冊子作り。賢子(梨里花)が大きくなっている、そして反抗期を迎えて母娘の関係が更に難しくなっている。次の東宮でざわつく朝廷。清少納言の読書レビュー!『源氏物語』は三十三帖では終わりません。
37話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、見上愛、塩野瑛久、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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