京都在住の花房観音さんと一緒にたどる、京の旧跡が伝える9つの人間ドラマ。
京都在住の花房観音さんが語り下ろす、9の歴史物語。
撮影・吉村規子 イラストレーション・牛久保雅美 構成&文・堀越和幸
まだ見ぬ京の街でそこに生きた人に、思いを馳せる。
作家の花房観音さんは京都でバスガイドをしながら小説を執筆している。
「京都はリピートするのが楽しい街ですよね。でもせっかく行くんだったら、同じところばかりでなく、あまり観光化されてないところも押さえておくと楽しみがもっと広がると思います」
京都のすごいところは日常の街中に思いもよらない歴史や史跡が、当たり前のように共存していること。
「歴史には人間ドラマがあるわけで、人間の有りようというのは昔も今もそう変わらない。だから面白い。そんな背景を知っていると、お寺一つ訪れた時でもきっと感じ方が変わります」
今回、花房さんが案内をしてくれたえりぬきのスポットは9カ所。
「観光バスでは行かない京都です(笑)。自分の足で確かめてみてください」
紫式部|引接寺(いんじょうじ)(千本ゑんま堂)
京都市上京区千本通蘆山寺上ル
閻魔前町34番地
https://yenmado.blogspot.com/
紫式部は地獄に落ちたといわれています。
引接寺のご住職によれば、仏教には嘘をつくと火炎(かえん)地獄に落ちる戒律がある。式部は嘘こそつかないものの、源氏物語という多くの人々を惑わす虚構を作り上げて、その咎により最後は地獄に落ちたと。私はそのことを聞いて、作家冥利に尽きると思いました。
それだけ物語にはリアリティがあったということだから。引接寺には彼女の供養塔があります。隠れた源氏物語のスポットです。
桂昌院|今宮神社
京都市北区紫野今宮町21
http://www.imamiyajinja.org/
京の八百屋の娘だったお玉さんはある日、徳川三代将軍・家光に見染められます。そして側室になるばかりでなく、産んだ綱吉が五代将軍になりました。桂昌院(けいしょういん)とはそのお玉さんのこと。寄進などをして縁深いこの今宮神社は彼女の名前にちなみ“玉の輿神社”と呼ばれるようになりました。
参拝をして絵馬などを拝見すると、多くの女性の玉の輿願望が綴られています。女の欲望とは深いもの、と感心する反面、女の欲望は正直であるなぁ、としみじみ思うのです。
一休|酬恩庵(しゅうおんあん)
京都府京田辺市薪里ノ内102
https://www.ikkyuji.org/about/
とんちで有名な“一休さん”ですが、その実像はちょっと違っていたようです。若くから世を儚んで仏門に入ると、僧侶たちの欺瞞を暴くように、堂々と遊郭に出入りをし、男とも交わりました。晩年は、30代の盲目の女、森女(しんじょ)とこの酬恩庵に棲み、彼女とのまぐわいを赤裸々に歌う『狂雲集(きょううんしゅう)』という漢詩集を残しました。
ちなみに、一休禅師は後小松天皇の子どもともいわれています。欲望にまっすぐ。その生き方に、私は強い人間味と共感を感じます。
待賢門院|法金剛院(ほうこんごういん)
京都市右京区花園扇野町49
http://houkongouin.com/
こちらの蓮の花は本当に見事です。待賢門院(たいけんもんいん)は白河天皇に可愛がられ、その子を孫の鳥羽天皇の子として産みました。生まれた子どもは後の崇徳上皇。が、鳥羽天皇は息子(崇徳上皇)を“叔父子”として疎み、後に保元の乱と呼ばれる内部抗争に敗れた崇徳上皇はついに、讃岐に流されてしまいます。崇徳上皇(崇徳上皇)の哀れな生涯に母の待賢門院は何を思ったでしょう? 彼女の眠るこの法金剛院で、極楽浄土のように咲き乱れる蓮を見るたびにそのことを考えてしまいます。
檀林皇后|西福寺(さいふくじ)
京都市東山区松原通大和大路東入
二丁目轆轤町81
檀林皇后(だんりんこうごう)は嵯峨天皇の皇后で絶世の美女だったそうです。姿を見かけた僧侶は心惑わされて修行も手につかなくなるくらいに。そんな檀林皇后は、死んだら自分の死体を辻に捨て、朽ちていく様を人に見せつけよと言い残しました。
その様子を描いたのが九相図(くそうず)で、西福寺で限定公開されています(複製)。鳥、獣につつかれ最後は髑髏(どくろ)に化身する画は実におどろおどろしい。けれども彼女は、美貌など儚いもの、という思いを後世に伝えたかったのではないでしょうか。
親鸞|六角堂
京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/
世を儚んで比叡山に入った親鸞は、その後、山を下りて六角堂100日参籠(さんろう)を行います。その95日目に経を唱えていると、救世観音が現れ「行者が、これまでの因縁によって、たとい女犯(にょぼん)があっても、私(観音)が玉女(ぎょくにょ)の身となって肉体の交わりを受けよう」と告げました。
人間の色、欲について悩み抜いた親鸞はこれを機に妻をめとったそうです。私は大学で親鸞学を学びましたが、これを聞いていっそうの親しみを感じました。親鸞の真面目さに打たれたんだと思います。
楊貴妃|泉涌寺(せんにゅうじ)
京都市東山区泉涌寺山内町27
https://mitera.org/
中国は唐の時代。玄宗皇帝が愛した楊貴妃は絶世の美人としてつとに有名です。皇帝が彼女に夢中になるあまり、国は乱れてしまい、そのことを理由に彼女に自殺を命じます。
楊貴妃を失った皇帝は「長恨歌(ちょうごんか)」という歌で自らの悲しみを訴えますが、彼女を殺したのはほかの誰でもない、玄宗皇帝。そんな楊貴妃の観音像がなぜここにあるのか? その詳しいことはわかっていません。泉涌寺は江戸以降の天皇の墓が多くあるお寺。静かで広く、独特の雰囲気があります。
源融|旧五条楽園
京都市下京区
高瀬川が流れる旧五条楽園の入り口には源融(みなもとのとおる)のお屋敷跡があります。
跡といっても石碑と大きな榎が立っているだけですが、源融は源氏物語の光源氏のモデルともいわれていますね。そして、旧五条楽園は何が楽園なのかといえば、この一画は2011年まで色街だったのです。働いている女の子が友だちで昔案内をしてもらったのですが、それは風情のあるお部屋でした。
時間もお線香一本で計ったりして。源氏物語は男の欲望を描いたお話ですが、旧五条楽園の名前にその名残を感じます。
文覚上人&袈裟御前|戀塚寺
京都市伏見区下鳥羽城ノ越町132
https://koidukadera.hannnari.com/index.html
昔、遠藤盛遠(えんどうもりとお)という武士がいて、源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前(けさごぜん)に懸想をしました。俺の女にならねばお前の母を殺す。盛遠がそう脅すと、袈裟は「夫を殺してくれたら、あなたのものになる」と答えた。
約束どおりに、夜に屋敷に忍び込み、寝ている夫の首を切る。が、手にした首を月夜に晒してみれば、それは袈裟御前のものでした……。
以来、盛遠は出家して文覚上人となりました。戀塚寺には袈裟の供養塔がありますが、なぜか文覚上人(もんがくしょうにん)の墓のある方向を向いています。
『クロワッサン』1113号より
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