かつてのマンガ少女なら、必見の原画展。大和和紀×山岸凉子、巨匠ふたりの名作に会いに、いざ札幌。
文・クロワッサン オンライン編集部 ※会場内では許可を取って撮影しています。
マンガ家の大和和紀さんと山岸凉子さんは、ともに北海道出身で同学年。高校時代からの友人です。漫画家を目指して切磋琢磨した札幌で、ふたりの代表作でありマンガ史の金字塔である2作品の原画展が行われています。展示されているのは両作品のモノクロ原画83点、カラー原画45点。初日9日に行われたトークショーとその後に開かれた記者発表に行ってきました。
ホールを埋める800人の聴衆を前にしてのトークショー。でもおふたりはリラックスした表情で、時折り顔を合わせて笑う様子は女学生さながら。
今回の展覧会は、ふたりが発起人をつとめる<札幌マンガミュージアム構想>の活動のひとつ。北海道にゆかりのあるマンガ家は多く、東京・神奈川・大阪に続く全国4位だそう。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさん、『動物のお医者さん』の佐々木倫子さん、『ルパン三世』のモンキー・パンチさん、『ゴールデンカムイ』の野田サトルさん…。
「あるとき、自分の好きなマンガ家さんに北海道出身の人が多いなって気づいたんです。でも意外にも北海道の人たちもそれを知らなくて、もったいないなって。それで山岸さんに『自分に少し時間ができたらマンガミュージアムを作りたいと思う。マンガってこういう力があるんだよ、と伝えたいの』と持ちかけたら『いいじゃない!やりましょうよ!』って言ってくれて。山岸さんは普段あまりそういうことを言わないから、すごく勇気づけられて」(大和さん)
「私は軽く、いいんじゃな〜い?と答えただけのつもりだったんだけど(笑)」(山岸さん)
そうして大和さんが発起人代表、山岸さんが副代表になり、札幌市も協働してプロジェクトが動き出した。
ふたりの出会いは高校2年生のとき。学校でマンガを描いていた山岸さんに級友が「自分の知り合いにもそういうものを描いている人がいる」。それが級友の隣の家に住んでいた大和さんだったそう。
「人生で最初のマンガ友だちでした。当時はマンガを読むことすら悪と言われた時代で、まして描いている人なんて周りに誰もいなかった」(大和さん)
「大和さんのお父さまが当時経営されていた喫茶店で、ふたりで作品を見せあったり、2時間でも3時間でもマンガの話をしていました」(山岸さん)
ふたりにとっての大事件が起きたのは高3の冬、札幌雪まつりのとき。
「手塚治虫先生が『ジャングル大帝』の関係で雪まつりに来ると聞いて、『これは絶対原稿を見てもらいたい!』と。当時はデビューしたくて思い詰めていましたから、受験生なのに勉強そっちのけで山岸さんと一緒に待ち伏せしたんです。いつのタイミングで先生に声をかけるか、どうしたら先生に振り向いてもらえるか、それで頭がいっぱいで」(大和さん)
「大和さんが必死に先生に声をかけてくれました。1人ではチャンスを失っていたと思う」(山岸さん)
果たして作戦は成功し、ふたりはマンガの神様に作品を見てもらうことができたのだった。
「手塚先生は大和さんに『君はあと1年でデビューできるよ』っておっしゃいました。でも私には『あと数年かかるかな』。その1年後に大和さんは本当にデビューして東京に行ったので、さすが手塚先生、と思いましたね」(山岸さん)。
圧倒的な画力を誇るふたり。お互いの作品について、ここがすごい!と讃えあう場面も。
「『あさきゆめみし』は建物の構図も素晴らしいし、黒髪の表現がとても雄弁。カラー絵での人物の輪郭線を白にしている技術も」と山岸さんが言うと、
「髪は女性の情念が籠るところなので。植物や着物の柄はアシスタントに頼むことがあっても、髪はすべて自分で描いています」と大和さん。「輪郭を白で描くのは、黒で書くと着物の色が濁ってしまうから。下絵の線に後からホワイトを乗せています」。
対して山岸さんには「厩戸王子の足もとに絡みつく餓鬼の造形がすごいですね。また龍や蛇など、爬虫類の絵が上手い」。そして
「男性が脱いでいるところが多いけれど…好きなの?」
これに会場も大沸き。
「腐女子ですね(笑)」(大和さん)
展覧会は札幌でのそれぞれのデビューまでの道のりを辿るコーナーと、原画展示ブースの二部構成。原画に添えられたふたりのコメントも読みでがあります。先述のように札幌マンガミュージアム構想の活動の一環なので、他の都市への巡回予定は無いとのこと。まさに空前絶後の貴重な展覧会。かつてのマンガ少女であれば、海を渡って訪れる価値はじゅうぶんにあります。ゆかりの札幌マップも展示されているので、その聖地巡りも含め、ぜひ訪問プランを練ってみて。
【展示概要】
展示名:『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展 -大和和紀・山岸凉子 札幌同期二人展-
会期:令和6年(2024年)3月9日(土曜日)~3月24日(日曜日)
会場:東1丁目劇場(札幌市中央区大通東1丁目)
地下鉄大通駅27番出口より徒歩約5分
公式サイト:https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html
以下、トークショー後の記者会見の一問一答
――今回の2つの作品展について、お互いの作品で好きなキャラクターを教えて下さい。
大和 私は刀自古(とじこ)ですね。気が強くてカッコいい。それと毛人(えみし)の普通人としての物事の見かた、振り回されていく姿がいいなと思っています。
山岸 大和さんはその手腕で、光源氏をすごく善い男にしようとしていますが、女性から見るとこれはどうなの…?というところがいっぱいあります。それを読者のために正当化して頑張って描いて。すごい力技だなと思っております。一番好きなキャラクターは紫の上。亡くなる時の顔、正直泣きましたね。だって死んでいくのに、光源氏のことを心配してその瞳を見ながら死んでいく。源氏が悪いのに。いや、すごいな!と思って。
――連載中の読者からの反響で憶えていることはありますか?
大和 連載以降の読者さんは、これは『源氏物語』だということを意識して読んでくださるんですけど、最初に読んだ人たちはそうじゃないから。「紫の上を死なせないで下さい」とか「源氏が許せません」というのが多かったです。あとは「紫の上にも浮気させてください」って要望も(笑)
山岸 私は酷いことに、当時いただいていたファンレターは、褒めてくださろうが貶していようが一切読まずという姿勢で来たので、どういう状態になっていたのかよくわからないんです。なぜ読まないかというと、意識してしまって素直にストーリーを進められなくなるので…。一生懸命書いてくださった読者がいらしたとしたら、申し訳ないです。
――少女マンガとは、おふたりにとってどのような媒体でしょうか。
大和 少女マンガに限らずマンガという表現方法についてですが、素晴らしいものだと思っています。例えば映画を作るのであればスタッフや俳優、音声などがたくさんの人を必要としますよね。でもマンガはたったひとりでペンと鉛筆と紙さえあれば、自分のどんな荒唐無稽な世界であっても、王国であっても生じさせることができる。そこが素晴らしいんです。そして読む人に分かりやすく心に落とす。そういう力があります。少年少女に関わらず、マンガという表現形態は本当に素晴らしい」
山岸 「今はアニメとかテレビゲームとかが中心で、皆そちらの方に行きますけれども、元はマンガなんです。マンガに名作が出なければ、そのうちアニメもゲームも下がっていくだろうと私は思っています」
――構想中の札幌マンガミュージアムについて、こういう施設だといいなと思うイメージはありますか?
大和 まだはっきりと決まっていませんが、展示場所があって、保存場所があって、みんなが楽しめる遊びもできて、動きもあって…というものを考えています。
山岸 友達のマンガ家が東京の世田谷区にある古い洋館を修復して(編集部注・山下和美さんによる旧尾崎テオドラ邸保存活動 https://ozakitheodora.com/)そんなに多くはないけど、原画を飾って置いてあるんですよ。そういうのがすごくマンガ家さんたちも嬉しいのね。高橋留美子先生とかとても有名な先生方が集まって、みんながそういう場所を求めていたんだなって。発信地としても本当に小さなギャラリーなんだけど、それでも望んでるんだなっていう気がしました。
大和 どんな形でもね。
山岸 あったほうがいいわよね。私の理想のイメージは京都精華大の国際マンガミュージアム(https://kyotomm.jp/)。図書館部門があって、展示会もあってライブラリーもすごく充実してて、子どもたちがみんな芝生で転がってマンガを読んでいる。場所もいいんですよね。あれが本当は理想です。今インバウンドとか外国の方々とかも引き入れなきゃいけないので、条件はまた変わってくるのでしょうけれど。
――大和先生にお聞きします。今ちょうどNHKの大河ドラマで「源氏物語」がテーマになっていて、ちょっとした源氏ブームになっています。ドラマを見ておられるかということも含めて、この現象をどう思われますか?
大和 大河ドラマは源氏でなく紫式部の話ですが。「源氏物語」って不思議と、何年か周期でブームになるのね。それがあるから1000年も生き続けてきたんだと思うんです。今回のNHKの大河も見ております。突っ込みどころはいろいろありますが(笑)、ちょっと韓流ノリもあって、楽しめるものにはなっていると思う。藤原3兄弟の確執の話だから光源氏は出てきませんが…。でも、例えば外国人でも日本人でもそうなんだけれども、日本に王朝時代があったことをあまり知らない人も多い。侍の時代からしか知らない人が多いから、そういう風俗、文化を知ってもらうのはいいのかなと思います。
――山岸先生にお聞きします。2020年には宝塚歌劇で大和先生の『はいからさんが通る』が再演され、去年はモンキー・パンチ先生の『ルパン三世』が歌舞伎になりました。そのように近年、名作マンガのメディアミックスで質の高い舞台が実現されるようになってきています。『日出処の天子』についてはいかがでしょう。歌舞伎化されるなどの計画はありますか?
山岸 実は昔、松竹さんから具体的な俳優さんの名前を挙げてお話があったんですよ。でも私ったら(坂東)玉三郎さんの熱烈なファンなもので、玉さまでなければ…とお断りしてしまったんです。後から歌舞伎ファンの友人たちに、なんてもったいない!とものすごく怒られてしまいました。そのまま今この年になってしまって。
――今なら、玉三郎さんの愛弟子の中村七之助さんなどもおられます。
山岸 七之助さん、素敵ですよね。そうすると兄弟で、勘九郎さんで毛人ができますね。
――山岸先生は大和先生の作品をほとんど読んだことがなかったそうですが、それはなぜでしょうか。
山岸 単に講談社から本が送られてこなかったからです(笑)。マンガ家はお金を出してマンガを買わないので…。当時は講談社さんとお付き合いがなくて。実は私の担当編集が大和さんのファンで、私が締め切りで私が死にそうになっているときに「今回の大和さんの作品はこんなふうに面白かった」とか横で言ってくるんですよ。私は「何だそれは…」と思いながら苦しんで描いておりました。
大和 私も送られてくる集英社や小学館の本に載っているものは読んでいます。でも全部を読み通した作品ってあまりなくて。『日出処の天子』も対談することになって初めて全巻買って最後まで読みました。ああこういう結末だったのね、って。それが3、4年前ですね。山岸さんは多分いろんなものを見て影響を受けたくないというところがあるのではないでしょうか。
――トークショーを終えて、いまどのようなお気持ちですか?
大和 これが1回しかないというところが貴重なんじゃないでしょうか。この後もまたあると皆に飽きられると思います(笑)。でも幸せでした。この組み合わせでできたことがすごくて、私はそれだけで満足です。あまりお互いに作品を語り合うということはないんですけど、イベントなので仕方なく(笑)。普段話すときは本当に普通の話しかしないので。病気の話とかね」
山岸 今日は舞台の上だったので、お互いの作品をこんなふうに思っているんだ、こんなところに苦労しているんだというのが分かって、それがとても面白かったですね」