事件当時、村の人口は12人。いわゆる限界集落だ。本作は村の歴史も丹念に追う。かつて林業で栄えたこと、村の小学校には150人を超える子どもが通っていたこと。そのことにより、この村の普遍性が浮き彫りになる。都市への集中による村の少子化、高齢化、経済のシュリンク(縮小)はどこの地方にもあることだ。恐ろしい事件が起こる特殊な事情などない、日本のどこにでもある普通の村であること。それが暗渠(暗渠)のように事件に不穏さをもたらす。
村の生き字引とされる老人が、高橋さんに口を開く。〈事件が起きたのには、理由がある〉。〈それは簡単には話せんよ。(中略)すべての問題がそこからおこっちょるんよ。大きな問題ちゅうのがあるんよ〉。終盤明かされる真実に、読んでいて思わず声が上がる!
高橋さんがノンフィクションライターになったのは、15年前、趣味で通っていた裁判の傍聴のブログが評判を呼んだことから。
「ニュースが好きなんです。ミーハーなので」と目もとが笑う。
「でも、ある事件があって人が逮捕されて、という時にどこかの媒体が報道してくれればその後を追えるけど、そうでないことが多いのがずっと不満で」。報道される偶然を待っているより自分で傍聴に行ったほうが早いと気がついた。
現在も足繁く裁判所に通う。
「今は事件が起こるとすぐにネットでいろんな情報が出るけど、どの話が本当なんだろう?って。『犯人のフェイスブックを探しました!』と拡散する人もいるけど、名前が間違っていたり。常に真実を知りたいと思うんです」
実は本作は、最初から書籍化が決まっていたわけではない。また高橋さんは子育てをしながら取材と執筆に時間を割いている。プロの取材者として仕事と向きあう姿勢、家族への気づかい、働く女性として様々なこととの折り合いのつけ方。高橋さんが夫に批判されながら現地に通い続けたくだりもある。それがもう一つのノンフィクションとして作中に存在し、胸に迫る。