【前編】辰巳芳子さん「牛すじを食べるのは、上等ないのちのなだめ方」
撮影・小林康浩、岩本慶三、青木和義 文・越川典子
辰巳さんの自邸は、鎌倉の小高い谷戸にある。吹き抜ける風に、ふとイタリアとスペインで食べた生ハムを思った。ここなら、作れるかもしれない。
「15年間、やりました。巨大な豚のもも肉、何百本、塩をして、吊るしたかしれない」
でなければ、わからなかった。
「今、皆さんが食べているのは、肉の、いわば刺身の部分。きれいな切り身になっているものを、ちゃちゃっと料理しているだけ。それじゃ、肉とは何か、どんな栄養があり、どんな働きをしてくれるのか、まったく理解できませんよ。皮付きの豚肉でアイスバインを作ってみる。鶏なら、丸のまま炊いてみる。牛肉なら、すじ肉やテールまで食べてみなければ」
肉牛一頭に使われる穀類や水を考えれば、すみからすみまで食べることが環境への配慮にもなる、とも。
「日本の食肉売り場は小さくパックされたものばかり。異国の肉は『全体食』。私がイタリアとスペインで見てきたどの家庭でも、フォン・ド・ボーをとっていました。子牛の骨からスープを煮出すんです。メインディッシュのソースも、それを使う。野菜のスープにも加える。味の補いだけではない、体への補いです。疲れの残る日の夕食にこのすじ肉を食べ、翌日ピン、とした経験が私にもありました」
そういえば……辰巳さん、最近気になっていたことがあった。
「テレビで、やたらによく見るんです。ラーメン。また、ラーメン。この番組でもラーメン。なぜなのかしら?と思っていたけれど、今、わかった! あれって、現代人の〝体〟が欲しがっているんだ!」
たしかに。ラーメンには、鶏ガラ、豚骨、かつお節、あご、いりこ、昆布、椎茸、葱、生姜、にんにく、玉葱、人参……それぞれの店のブレンドで、ぐつぐつエキスを煮出し、凝縮されたスープでもある。
「自分ではできませんからね、スープを飲み干すことで栄養を補っていると思って間違いないわね。ただ、困ったことに、脂は多すぎる。私は、骨やすじを煮出したときに、必ず脂は取り去ります。なぜなら、摂りたくないものが、脂とともにあるからなんです」
自分の体を注意深く観察することも大事だ。何を食べると調子がいいか。不足してるものは何なのか。子どもが甘いものばかり欲しがるときも、よく見てほしい。もしかしたら、食に欠けるところがあるのかもしれない。
「すじ肉からとれるゼラチン質は、上等なタンパク質です。どんな料理の補いにもなります。日本は資源のない国です。食料も輸入頼み。あのトランプさんが一つだけいいこと言ったわね。それは、自分たちのことは自分たちでしろ、と。私はずっと言ってきました、食料自給率のことを。政府が気にしないのだもの。自分たちが気にしましょう。覚悟を決めて、食べるべく食べてゆかねばなりません」
牛すじ肉の下ごしらえ
材料(5〜6人分)牛すじ肉800g〜1㎏ A[葱1本生姜30g 昆布(15㎝角)1枚 干し椎茸6枚 梅干し2個 塩大匙1] レモンの輪切り2枚
作り方 ❶すじ肉をレモンの輪切りを入れた熱湯で湯引き、冷水に30分さらす。❷すじ肉を冷水から引き上げて鍋に入れ、Aとたっぷりの水を加えて、充分やわらかくなるまで煮る。葱、昆布は煮上がったら引き上げておく。※ここでは二重鍋を使い、やわらかくした。圧力鍋でもよい。温かいうちに肉と汁を分け、汁は漉す。冷蔵する場合は汁ごと保存するとよい。ゼラチン質なので、しばらくすると硬く固まる。小分けして冷凍保存し、鍋もの、味噌汁やカレーなどに加え、滋養の補いにするとよい。