平成とはいったい何だった? 本で30年を振り返ってみると。
撮影・青木和義 文・黒澤 彩
ふと気がつけば、今年は平成30年。来年には元号が変わり、平成という時代も終わる。昭和から平成になった頃といえば、まだバブル景気だったのだから、思えば遠くまで来たものだという感慨も……。バブルは1991年から崩壊し始めて「平成不況」となり、その後も「失われた20年」と呼ばれる経済の低迷期が続く。政治では、4度の政権交代があり、17人もの総理大臣が就任するという目まぐるしさ。また、’95年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と、大きな災害が社会に影響を及ぼしたことも忘れられない。事件としては、今再び注目されている地下鉄サリン事件などがある。
そんな30年間の世相を映してきた本、今あらためて当時を振り返りつつ読みたい本とは? 新聞社で文芸を担当してきた鵜飼哲夫さん、作家インタビューを多く手がけるライターの瀧井朝世さん、憲法を専門とする法学者の木村草太さんの3人に、本の平成史を語ってもらおう。
【鵜飼哲夫さん】女性作家なしには語れない、漂流する文学の時代。
平成は、「それまでのような文学史が不在の時代」だと鵜飼さん。
たとえば、高校教科書の文学史年表を見てみると、昭和時代はどの教科書も同じような作品が並んでいるが、平成となると出版社によってずいぶん異なる作品を載せている。
「昭和までは、無頼派、第三の新人などというふうに、作家のグループを一つの潮流として語ることができました。ところが平成には、世代ごとにグループ分けをしたり名前をつけることができなくなったのです」
国家の舵取りを指して“海図なき航海”などといわれた平成。文学の世界でも、時代と対峙する共通の指針を見つけることよりも、日々をどう生きるかという生活に根ざしたテーマが重要になり、個々の文学が漂流しているような状態に。
「そうした時代に頭角を現したのは、なんといっても女性作家です」
女性が芥川賞を受賞すること自体はすでに珍しくなかったが、1987年、初めて選考委員に女性(河野多惠子、大庭みな子の2名)が加わったタイミングは、ちょうど昭和から平成への時代の節目と重なる。歴代受賞作家を見ていくと、最年少は綿矢りさ(’04年に19歳で受賞)、最年長は黒田夏子(’13年に75歳で受賞)といずれも女性。今年も、若竹千佐子が63歳にして書いたデビュー作で受賞し、話題を呼んだ。
エンターテインメントと純文学の垣根を越える作家たち。
平成の女性作家の中でも、川上弘美、多和田葉子らは言葉のしなやかさが魅力で、文体に特徴がある。
「不思議な世界を奇妙なリアリティで描く川上弘美は、平仮名の使い方が秀逸。多和田葉子はドイツ在住で、ドイツ語で書いたものを日本語に訳した『ゴットハルト鉄道』のような作品もあります」
一方、小川洋子、角田光代などは物語を紡ぐ力を感じさせる作家。
「小川洋子は、『妊娠カレンダー』で芥川賞をとりましたが、『博士の愛した数式』で作風ががらりと変わりました。それは本人によれば、顕微鏡で覗いていたレンズを逆さにして望遠で見るようなことだったそうです。角田光代は『空中庭園』が転機となり、その後『対岸の彼女』で直木賞を受賞。今や、幅広いテーマを選べる作家になりました。彼女が『源氏物語』の現代語訳をしているのは興味深いですね」
また、性別などの属性を意識することなく、あくまでも“個”の物語として読める文学も平成ならでは。それをもっとも象徴しているのは村田沙耶香『コンビニ人間』だという。
「ちょっと普通ではない人をユーモアを持って描いているのですが、やがてそれが反転して、社会のほうがおかしく見えてくる。町田康の『くっすん大黒』も、一見めちゃくちゃな主人公にこそ独自の倫理観があり、社会の歪みに気づかされるというアクロバティックな作品です」
純文学とエンターテインメントの隔たりがなくなってきたことも、ここ20年ほどの傾向といえる。
「独特の文体で文学の新たな地平を開く純文学でありながら、読者をどんどん巻き込んでいくような物語を書く作家が増えました。奥泉光や、『悪人』『怒り』の吉田修一、『悪と仮面のルール』の中村文則などがそう。女性では、山田詠美、江國香織、井上荒野などが当てはまり、彼女たちは短編の名手でもあります」
エンタメ出身で純文学化した作家には、『レディ・ジョーカー』の高村薫、桐野夏生、小池真理子などが挙げられる。
「この名作さえ読んでおけば文学がわかるという、お仕着せの文学史がない時代。そもそも名作とは、ずっと読まれているから名作なのです。読み手が平成の名作を見出すのは、これからではないでしょうか」
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