『光炎の人 』木内昇さん|本を読んで、会いたくなって。
小説にしかできないことがあると信じて。
撮影・森山祐子
木内昇さんの小説にはいつも心の奥底に温かく響く独特な手触りがある。ところが今作。それはざらりと硬い痛みを伴って現れた。
明治の終わり、貧しい農家に生まれた少年・郷司音三郎は出稼ぎ先の工場で機械技術に出会い、発電所で電気が生み出される現場を目の当たりにする。——ごつい、とんでもなくごついものじゃ——。世の中を一変させる電気にとりつかれた少年は、持ち前の勤勉さと才覚で技術者としての道を切り開いていく。ひたすらに己の道を突っ走った男の人生を描ききった大作だ。
「技術者について書きたいとずっと思っていて。戦争によって技術が発展してきた歴史背景がありますが、ただ兵器という明確な目的ではなく、人の暮らしをよくするための技術もどんどん戦争というものにからめとられていきますよね。それは作った人たちにとってどうなのか。技術というものを真正面から、一技師を通じて考えてみたいというのが、物語の発端です」
書き始める前は、ひとりの少年の成功譚としての小説も視野に入れていたという木内さん。
「でもちょうど連載が始まる前に福島の原発事故が起こりました。あのとき、東京電力を悪者にして世間は落着していましたが、国も私たち自身も核について無知だった。まずはそこを掘り下げなくてはならなかったと思う。このたった5年で、原発反対の機運や節電意識も遠のいて。反省すべきときに反省しないからいつまでも戦争は起こるし、何も変わらない。国も人も最初は、世の中をよくしたいというような理念があるはず。でも組織に取り込まれてしまえば人間関係により集中してそれを忘れてしまう。一個の歯車になってしまう。そういうときにすごく危ういこと、理念から離れてしまうことが起きるんじゃないかと」
それは、自分の技術を世に知らしめたいと願うあまり他を顧みることができなくなっていく音三郎の人生にもあてはまる。
「だれにでも起こりうることです。だから彼を救うべきではないと思ったし、安易にいい話でまとめることはできませんでした」
読後に、音三郎を救えるポイントを探す思考は止めどない。それは我々自身の来し方を再考することと同義だからなのだろうか。
「社会を描く小説は読者に求めるものが大きいかもしれない。けれど私も小説に育てられてきたので、小説にしかできないことをやっていきたい。ちゃんと作ったものであれば届くと信じています」