『旅行屋さん 日本初の旅行会社・日本旅行と南新助』河治和香 著──初の団体旅行を敢行した旅行業創始者の物語
文・やすこーん
いにしえの頃から人々は旅をしていました。お伊勢参りへ何日もかけて歩いていく。そういう旅が主流だった明治5年(1872年)に、新橋―横浜間で鉄道が開通します。そこから全国へ鉄道網が広がり、ついに人は鉄道で日本を移動できるようになりました。
そして、豆腐屋さん、パーマ屋さん、と商売の名称で呼ばれる時代に「旅行屋さん」と呼ばれた南新助さんが登場します。現在の滋賀県草津市で、明治38年(1905年)に伊勢神宮参拝の団体旅行を催行し、後に「日本旅行会」(現在の日本旅行)という社名を付けて、旅行業を生業としました。昔もこの頃も、旅と言えば、寺社への参拝のことでした。
南新助さんがすごいのは、最初は商売としてではなく、義理人情で動いていたこと。親しくしているご老人を連れてお伊勢参りへ行くのに、切符や宿の手配、土地の名物を探して食べさせるなど、親切を尽くしていました。
その後、さらに周りの人にせがまれ、お伊勢参りに連れて行くことになったのですが、人数が百人にもなってしまいます。みんなが汽車に乗れるのか心配して草津駅長に相談すると、なんと臨時列車を出してくれることに。しかも、夜に出て早朝に到着し、一日お参りをして、夜にまた列車で戻って来るという、今で言う夜行列車、さらに貸切団体列車も、すでに敢行していました。これが日本初の団体旅行と言われているそうです。
その後、さらに大人数の団体旅行を数々成功させますが、戦争が始まり、一時、日本旅行会は解散。しかし戦後に復活し、再び旅行ができる世の中になります。今の世の中もそうですが、旅行が楽しめる、ということは平和の証なのだとしみじみ感じさせられます。
ところで、南新助さんが小さい頃、お父様は草津駅で駅弁屋「南洋軒」を創業しています。つまり「旅行屋」さんは「駅弁屋」さんが始めた……ということになるのか! と駅弁好きな私は思わず膝を打ちました。
駅弁の発祥は明治18年(1885年)、南洋軒創業はその4年後のこと。鉄道の歴史は駅弁の歴史、ということを再認識しました。
今も南洋軒は、草津で仕出し弁当や駅弁屋さんとして、繁盛しています。かつて南洋軒で売られていた、「お鉢弁当」という大変ユニークな駅弁を思い出しました。容器が信楽焼の植木鉢で、植木鉢に花が咲いているかのように見えるお弁当。さらにラディッシュの種も付いていて、食べ終わった後、そのまま土を入れれば育てられるようになっていました。こんな発想も、南新助さんの血を引く南洋軒だからこそ、生まれたのかもしれません。
さらに記述しておきたいのは、本のカバーや中のイラストを手掛けたのが、アニメ監督として有名な、杉井ギサブローさん。個人的に大好きな映画「銀河鉄道の夜」を手掛けた監督でもあります。
フィクションではありますが、史実を元に書かれており、大変勉強になりました。アイデアと行動力で時代に乗った、旅行業の黎明期のパワーを感じる一冊です。
『クロワッサン』1156号より
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