花あしらい、打ち水、丁寧な掃除。二百年続く旅館の美意識に学ぶ
撮影・福森クニヒロ 文・大和まこ
「来たる者、帰るが如し」。我が家に帰ったようなくつろぎを旅人に
古都・京都に育まれた美意識に身をゆだね、さりげないもてなしに心がすっとほどけてゆく。そんなひとときをもたらすのが『柊家(ひいらぎや)』。京都の歴史ある老舗旅館のひとつである。
創業は江戸時代末期の文政元(1818)年に遡る。以来二百余年、麸屋町御池の地で、七代にわたり数多くの旅人を迎えてきた。「旅の疲れをとっていただき、我が家に帰ってきたようにくつろいでいただく。玄関に掲げた『来者如帰(らいしゃにょき)』の言葉を大切に、お迎えすることを代々受け継いできました」と大女将の西村明美さん。初代が下鴨神社境内にある比良(ひいらぎ)木神社を深く信仰したことから名付けられた屋号も、当初は『柊屋』と記していたようだが、“我が家に帰られたように”という思いを込め、後に『柊家』と書くようになったといわれる。
『私は京阪のほかの宿で泊まった後でも柊家へ落ちつきにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。』川端康成
文豪が記した言葉に見る、変わらない老舗宿の姿
宿に滞在したのは幕末の志士に始まり、貴族や皇族、政治家、文人墨客、世界的俳優と錚々たる顔ぶれ。三島由紀夫やチャップリンもその名を連ねている。なかでも定宿として、こよなく愛したのが小説家の川端康成である。折に触れてこの宿で過ごし、その鋭い観察眼で綴られた寄稿文からは、『柊家』への深い愛情が伝わってくる。「父や母の姿を見て学ぶことも多くありました。それに加えて川端先生がいろいろなことを書き記してくださっています。格はあってもものものしくない、万事控えめ。我が家に帰ってきたようなくつろぎ。梅雨時の雨降る景色を楽しまれたり、槙(まき)の湯船を懐かしがられたエピソードなど。パンフレットにまとめたその言葉に偽りがないようにと心がけています」と西村さん。そう語る姿からは『柊家』が今なお、川端康成が愛した当時のままの空気をたたえていることがわかる。
打ち水が施され、しっとりした空気の漂う玄関から宿の中へ。そこは訪れる人に寄り添う、もてなしの精神が満ちる場所。ほの暗い廊下は光と影とを意識させ、浮かびあがるように生けられた花の美しさを際立たせている。「もてなすことは花からも学びます。お客様に心がなごみやすらいでいただけるように生けることが大切」とは七代目女将として、西村さんとともに宿を支える娘の舞さん。「もてなす手間を惜しまないことも旅館文化の大切な要素です」
風呂もまた『柊家』だけの心地よさを満喫できるもの。高野槙(こうやまき)の浴槽に井戸水の湯は長時間温かく、肌のあたりも柔らかい。チェックイン時に適温に用意するものの、時間が経って入浴した宿泊客に、温め直したのではと驚かれることもしばしばだという。
季節を五感で楽しむ京懐石。江戸時代から昭和にかけ整えられていった客間の意匠。街中にいることを忘れさせる庭の緑。それぞれが調和し凛とした存在感を放つ。
川端康成が愛した部屋は当時の趣を残す
『柊の模様は夜具やゆかたばかりではなく、座蒲団、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にも、みだれ箱や屑入れなどにも、ついているのだが、その柊は目立たない。』川端康成
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