話し方、聞き方に運気が表れる!おしゃべりで人生は好転する。
撮影・青木和義 イラストレーション・悟東あすか 文・小沢緑子 構成・堀越和幸幸
人の悪口は許されるか?
悟東 一番最初に、いいおしゃべりは“お腹の底から全部出せたとき”と言いましたが、文句やグチ、悪口を言ったときも同じことが当てはまります。
サク 仏教では悪口を言っても許されるんですか?
悟東 仏教では悪口は戒められていますが、悪口を言わなかったら、人間パンクしちゃいますから(笑)。それに文句やグチ、悪口というのは人間の心の中にたまるゴミのようなもので、いつの間にか発酵してガスがたまって大きく膨らんでしまいますから、私は言ってもいいと思っています。
サク 出し切ったほうがいいということですね。
悟東 そうです。それに仏さまの中には、文句やグチ、悪口といったよくない話も聞いてくださる方がいらっしゃるんですよ。「毒を吐かない人間なんていない。それはためてはいけないものだから」という慈愛の心で、孔雀明王(くじゃくみょうおう)さまという仏さまが、心の中にためこんでいた毒を出し切って差し出しても、ひとつ残らずきれいに浄化してくれます。
サク それはうれしいかも。
悟東 仏さまとだけでなく、誰かと話をするときもあまりよくないことでも、言いたいことがあるなら「こんなこと、言ってはダメ」と無理やり押し込めなくていいと思います。その人に対してモヤモヤした気持ちが残ってしまうと、いつの間にか心の中で化け物のように大きく膨らんでしまうこともありますから、言い方を工夫して伝えては?
スー 私、悪口って一緒にしゃべっていて「超楽しい!」(笑)と思える相手とそうでない相手がいます。同じことをしゃべっても相手によって後味が違ってくるし、すごく左右される。
サク わかる、わかる。悪口を言いたいときは相手選びが難しいよね。
スー 悪口もたとえると登山みたいなもので、登るペースが同じ相手で、かつ「今から悪口言うよ」「OK、わかった!」みたいにお互いにコンセンサスがとれる相手だと頂上に登り切ったときにすごく爽快な気持ちになるし、それが理想ですね。だけど、そうでない相手だと急勾配に差しかかったときにいきなりギョッとされて、「あれ? 今、私、悪人認定されている?」と思うときもあります。
サク 振り返ったら誰もいなかった、みたいな(笑)。そういうときはどうすればいいんですか?
悟東 悪口は一緒に言える人とそうでない人がいますものね。性格的に自分の中にまともに受け止めてしまうタイプだと難しいけれど、「うんうん、わかった」と受け止めてくれつつもスーッと流してくれる人、洗いざらい話せる関係性の人だとなおいいですね。
サク 同じ悪口を言うにしてもあんまりよくないなと思うのは、人に言わせるのが上手な人。そのときは気づかないけれど、帰り道に「あれ? 悪口を言っていたのは私だけ?」とモヤッとするときがあります。あとは、誰々さんが言っていたから私も言うけど、みたいな話し方をされたときとか。
スー 「私はそこまで思わないけれど、あの人のああいうところはちょっと信じられない」とか、エクスキューズするような言い方は私も気になりますね。悪口を言うならそれこそ自己責任で、自分をちゃんと悪人にして「あいつ、嫌い」「地獄に落ちて」くらいにストレートに言ったほうが潔くていいと私は思う。毒を喰らわば皿まで、じゃないですが。
悟東 スーさんの言葉はド直球だけど、その中に矢やトゲを意外に感じないんですよ。それはたぶん、自分の心にとても“正直”だから。
サク 私もそう思います。
悟東 言葉の中に“嘘”がないことはとても大切で、それは悪口を言うときでも一緒だと思います。ただ、悪口を言うときにひとつだけ注意してほしいのが、自分が言った言葉は最終的に自分に返ってくる「言霊」は存在するので、最後にひとつでもいいから相手のいいところを思い出してフォローしてあげることを忘れずに。「そういえばあのとき、何々をしてくれたな」と肯定してあげたり、万が一いいところがひとつも思い当たらなかったら「おかげさまで悪口を出し切ることができてスッキリしました。ありがとう!」(笑)でも何でもいいので。
サク 悪口でさえ、場の共有になる……。それがわかって何だかすごく楽しい気持ちになってきました(笑)。
喋り方、受け止め方に開運度が表れる。
サク 私はいろいろな人の話を聞く雑談の仕事をしていて、よく思うのが「私」という主語でしゃべれない人が意外に多いということ。「私はこうしたい」じゃなくて、「あの人がこう言っていた」「この人にどう思われるか」とか、自分以外の他人の話をずっとしている。“周囲の反応”で自分ができている感覚なのだと思います。
悟東 他人の視線を通してでしか自分を評価できない人は実はいます。「こんなことをしたらみんなに何て言われるのかな」「こんな行動をとったらどう見られてしまうのかな」と。それに気づかないままだと、いつか自分の「本体」を見失ってしまうことも。
サク 私もそう思います。それに人の話ばかりしていると「私ってこうしたいんだ」「こういうのがイヤなんだ」という自覚が生まれてこないから、いいことも起こらない気がします。
スー 自分から運を逃しているよね。
サク いいことにつながりそうなことが起きても気づかなかったり、自己否定ばかりしていると、いいことも悪いことが起きる前兆かもと警戒したり。
スー サクちゃんと私はよく「人生のどこにスポットライトを当てるか」という話をするんですが、自分以外の他人の話ばかりする人は、スポットライトを人生の主役である自分じゃなくて、他人の顔色のほうに当てて固定してしまっていると思う。
悟東 それはもったいないですよね。
サク でもスポットライトは一度固定しても自分で自由に動かせる。それに気づくことは大事だと思う。
スー 自分の照明係は自分だからね。
悟東 不運な出来事を「開運の卵」と考えてみてください。あまりよくないことが起こったときに「こんな卵があるから悪いことばかり起きるんだ!」と叩き潰すこともできますが、打ちのめされながらもめげずに卵を温めていたら、ある日、孵化して中からパーッと不死鳥が飛び立つことがあるんですよ。
サク それ完全にスーさんだ! 私は「また何かが起こるんじゃないか」と構えてしまうクセが残っているけれど、スーさんは「自分の主人は自分」という軸が揺らがないから。
スー 何かひどい目にあったとしても私は自分のことを信用しているので、そこからV字回復して「やったぜ!」と笑顔の自分にいつもスポットライトを当てている気がします。
悟東 そのほうが運も拓けます。
サク ほかにも雑談の仕事をしていると、「自分はこんなつらいと思っているのに、あの人は『そんなの気にしすぎだよ』って全然話を聞いてくれない」という悩み相談も多いです。
悟東 それもつらいでしょうね。
サク ただ、そのつらいと言っていた人が、同じ相手に今度は「すごく楽しい」という話をしたら「それって自慢なの?」と返されたとか。蓋を開けてみたら、つらい話も楽しい話もどちらも受け止めてくれない、という相談で、それこそスポットライトの当て方が違うんだな、と思いました。
スー たとえば、すごく希少価値のあるブドウが手に入ったとき、「そういえばあの人、ブドウが好きだって言っていたからお裾分けしよう」と思ってお土産にしたら「わあ、ありがとう!」と素直に喜んでくれる人がいる一方、「それってマウント? いいブドウが手に入ったことを自慢したいの!?」と受け取る人もいる。その人のそのときの心の状態がどうだったかが関係してくると思いますが、マウントだと捉えられたら人は二度とブドウをあげようとは思わなくなりますよね。
サク その反対に素直に受け取ってくれる相手には「じゃあまたあげようかな」と思うから、その人にはどんどんいいブドウが集まってくるよね。
悟東 開運でいうと、他人にいいことがあったら自分のことのように喜んであげられる心がけが大事ですし、それができるのがまさに“開運体質の人”。ただ、人間なので羨んだり妬んだりする気持ちのほうが強く出てしまうことだってあります。そんな自分に「ハッと気づけるいい機会をもらった」と思えばいいんですよ。
サク おしゃべりはお互いに見えているものを交換することだと思っているけれど、それを通してマイナスの気持ちでも“気づく”ことが大事ですね。
スー 同じものを見ても見え方は人によって全然違うしね。せっかく人としゃべるなら、その違いをとことん味わったほうが私もいいと思います。
『クロワッサン』1132号より
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