考察『光る君へ』39話 惟規(高杉真宙)の死がまひろ(吉高由里子)と賢子(南沙良)をつないだ。道長(柄本佑)は娘の件に気づいているのかいないのか
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
まるでコインの裏表
寛弘6年(1009年)。中宮・彰子(見上愛)の第二子、敦良(あつなが)親王誕生。
穆子(むつこ/石野真子)「年子の皇子様だなんて、すばらしいわ」
一条帝(塩野瑛久)のご寵愛深くてなにより……と寿ぎたいのと同時に、皇后・定子(高畑充希)のお産をどうしても考えてしまう。敦康親王を出産したのが長保元年(999年)11月、媄子(よしこ)内親王を産み、亡くなったのが長保2年(1000年)12月。年子出産直後の死だった。お産は命懸けであると改めて痛感するとともに、定子の悲運に思いを馳せずにいられない。
道長(柄本佑)家族の栄華と兄・道隆(井浦新)を中心とした中関白家の凋落は、まるでコインの裏表だ。
土御門殿には多くの廷臣が集まり、産養(うぶやしない)の儀が行われている。道長(柄本佑)が、
「皇子様の誕生を寿いで、よき目を出したいと存じます」
と、双六の盤上で賽を振る。『小右記』でも、寛弘5年(1008年)敦成(あつひら)親王の産養で攤打(だうち……サイコロを振って数で勝負を決める遊び)が行われたとある。
お祝いムードをよそに、まひろ(吉高由里子)が書き連ねる『源氏物語』の執筆メモ。
「魔訶毘廬舎那(まかびるしゃな)」の字が見える。そして「宿世」──。
35帖「若菜・下」に取り掛かろうとしている。新しい命の誕生に喜びが邸宅の隅々まで満ちているであろう土御門殿で、一人こんな話を練っているだなんて、さすがまひろ。まことに根がお暗い……褒めてますよ、念のため。「若菜・下」のあらすじは後述する。
為時は知らなかったのか
38話(記事はこちら)で約束した通り、まひろの娘・賢子(南沙良)の裳着の儀(女子の成人式)に、左大臣・道長からの祝いの品が届いた。その豪華さに、惟規(のぶのり/高杉真宙)が言う。
「やっぱり自分の子が可愛いんだな!」
まひろと乳母・いと(信川清順)が、さらっと流したその一言に……うん ?と一人だけ引っかかったまひろの父・為時(岸谷五朗)。「今なんと申した?」
あれっ父上、ご存じなかったんでしたっけと、惟規と同じく驚いた。そういえば、宣孝(佐々木蔵之介)とまひろの関係が冷えて通いが途絶えた時期も、復縁後に賢子が生まれた時も、為時は越前にいたのだ。
まひろといとが「ご存じだと思うけど…」「若様にだけはお話したような…」という反応であるところを見ると、為時に隠していたわけではなく完全に忘れていたらしい。
この家族らしいな! 肉親じゃないけど、いとも家族だからね!
為時「左大臣様はご存じなのか?」
まひろ「いいえ」
ここ数話観ていて、いまいちはっきり掴めない「道長は賢子が実子と知っているか」問題。35話(記事はこちら)でまひろは、不義は我が身に起きたことだと言ったものの、道長から「お前は不義の子を産んだのか」と問われて「ひとたび物語になってしまえば霧の彼方……まことのことかどうかもわからなくなってしまうのでございます」とかわした。
まひろは道長との不義──石山寺での一夜を『源氏物語』に組み込んだとはいえ、賢子が彼の子だとは明言していない。彼が気づいたかはともかく、まひろから見て道長は知らないはずだということか。
家族全員微妙な空気に包まれているところに、乙丸(矢部太郎)を供に賢子帰宅! 左大臣からの贈り物を一瞥、
「要りませぬ。そんなの」
賢子は自分が左大臣の子だと知っているのかという惟規の問いに、首を横に振るまひろ……。賢子からすれば、母を内裏に召し出して自分から引き離したのは左大臣だという思いがあるだろうから、不機嫌になるのも当然ではないか。
ドロッドロの「若菜・下」
明けて寛弘7年(1010年)子の日の宴。年が明けて初めての子の日に、帝が廷臣たちに賜る宴の雅やかなこと! 随所でこの時代の歌舞音曲が再現されるのが嬉しい。
『源氏物語』35帖「若菜・下」、執筆快調。
まひろのナレーション「それにしても、この宮をどう扱ったらいいものか……」
34帖「若菜・上」で、光源氏は兄・朱雀院から愛娘の女三宮を任せたいと懇願され、正妻として迎え入れることを承諾してしまった。自他ともに認める源氏の妻であった紫の上は衝撃を受けるが、それを押し隠して理解を示す──。
「若菜・下」は、その続き、光源氏41歳から47歳までの物語だ。
女三宮の幼さに失望した光源氏は、紫の上の素晴らしさに改めて愛情を深く覚える。しかし当の紫の上は、夫に裏切られた虚しさを抱えて日々を送っていた。そしてついに、出家したいと光源氏に打ち明ける。驚いて考え直すよう説得する光源氏だったが、紫の上は病に倒れてしまう。病状は重く、今の住まいである六条院から彼女が少女の頃──若紫時代を過ごした二条邸に移ることになり、源氏は付き添い看病することにした。
夫が身近にいない女三宮のもとに、かねてより彼女に恋焦がれていた貴公子・柏木が忍んで来て、強引に関係を持ってしまう。その結果、女三宮は不義の子を身籠る。
紫の上の病状が落ち着いた頃に光源氏は懐妊した女三宮を見舞うが、偶然、柏木の恋文を発見し、妻のお腹の子の父が誰なのか気づいたのだった。
「(女三宮の)いつもと違うご様子も、この密通のせいだったのだ。なんと情けない」
ドロッドロ展開である。このアイデアを中宮様がご出産でお宿下がりしている間にメモっていたの……? まひろさん、心に鬼を棲まわせているのでは? 創作の鬼を。
集中して書いていたから、道長がやってきていることにも気づかない。この場面、気づかれるまで庭を眺めて佇んでいる道長にも「……なにか御用でございましょうか(声くらいかけなさいよという口調)」と言うまひろにも笑う。
孫の実の父ショックを引きずっていたのか、子の日の宴を為時は早々に退出してしまった。実際、『紫式部日記』寛弘7年1月2日。酔っぱらった道長に父・為時の帰宅について、
「など、御てての、御前の御遊に召しつるに、候はで急ぎまかでにける(君のダディ、せっかく帝がいらっしゃる宴に招いたのにはやばやと帰っちゃったじゃん)」と責められたとある。このエピソードをドラマでこうやって使うのかと……酔っ払った上司に絡まれるのも、元カレが構ってほしげに絡んでくるのも、めんどくさっ。
帝とおなりあそばす御姿
四納言…公任(町田啓太)、斉信(金田哲)、行成(渡辺大知)、俊賢(本田大輔)と
道長の酒宴。
公任「順当に行ったら次の東宮は敦康様。その次は敦明様だろ。道長の御孫君が東宮となられるのは随分と先の話だな」
一条帝が現東宮・居貞親王(木村達成)に帝位を譲れば、次の東宮は一条帝の第一皇子で皇后・定子(高畑充希)の子、敦康親王。その次の東宮は、居貞親王の第一皇子・敦明王(阿佐辰美)だろう。という話……公任は道長の孫が東宮になるのは随分と先の話と言ったが、敦康親王、敦明王が帝となって彼らにそれぞれ皇子が生まれたら、その皇子が立太子し、道長の孫は東宮とならない可能性だって十分にある。
道長「俺の目の黒いうちに敦成様が帝とおなりあそばす御姿を見たいものだ」
一瞬、座の空気が固まり、篝火の爆ぜる音だけが響く。なんだろう……集まっているのは昔馴染みの男たちで、道長の口調、ぽいとツマミを口に運ぶ仕草はかつてのおっとりした彼のままなのに、この言葉が発する圧力は一体どうしたことだ。しかも東宮にではない「帝とおなりあそばす御姿」だという。
36話(記事はこちら)で彼らに「次の東宮のお話をするということは帝が御位をお降りになる話をするということだ」と制していた道長とは明らかに違う。俊賢が率先して「お力添えいたします」と言い切るように、周りがすぐに意に沿った行動を取る立場……道長はまっすぐな目をした男のまま、絶大な力を振るう人間になっているではないか。こわい。
あの世で栄華を
伊周(三浦翔平)が死の床にある。
「俺がなにをした……」
呪詛をした者にはその呪いが返ってくるとは言うが、連日連夜、憎しみを滾らせていれば心身に悪い影響しかないだろう。しかしこの「なにをした」は中関白家の凋落は俺ゆえではないのにということだ。
雪が白梅に薄く積もる。まるで定子が兄を優しく迎えに来ているようだ。皇子を産め! と迫り、荒れ狂った過去も、彼岸では洗い流されて仲の良い兄妹に戻れるのかもしれない。
隆家(竜星涼)「あの世で栄華を極めなさいませ」
伊周と定子の兄妹が輝いていた、雪の思い出の中に溶け込んでゆくような静かな旅立ち。
恨みと妄執からついに解き放たれた。伊周、お疲れ様でした。
伊周の死を行成から報告された直後に、一条帝を襲う体調不良。
「敦康が東宮になる道筋をつけてからこの世を去りたい」
「中宮の出産に紛れることなく敦康の元服を世に示せる」
前回38話で帝は、表向きは元服を先延ばしにしたいという敦康親王の願いを聞き届けてやったように見せて、実際には敦康親王が成人し、立太子できる立場だと公に知らしめるタイミングをはかっていたのだった。帝がそれほどに気を配らねばならないほど、道長の力は大きい。
喪中ゆえに触穢を考慮して、道長に庭から挨拶する隆家。敦康親王の後見宣言とともに、左大臣への忠誠を明言する。けして逆らわない、そのうえで政治家としての地位を確立してみせるという強い意志を感じる。父関白・道隆を亡くし、姉である皇后・定子も、兄・伊周もこの世を去った。中関白家を支える人間はもう自分一人である(※道隆には他にも息子がいるが、ドラマには登場していない)という覚悟を感じる。
隆家の挨拶を受ける、脩子(ながこ/海津雪乃)内親王。
道長と倫子の娘である彰子、倫子の姪である小少将の君(福井夏)の時も思ったが、血縁関係にある登場人物のキャスティングが毎回すごくないですか? 脩子内親王の「定子の娘」感、あとで登場する敦康親王との姉弟感。みんなほんのり似ている。
それはともかく、左大臣を恨み、悔し涙の清少納言(ファーストサマーウイカ)の
「あれほどお美しく尊かった方々が何故このような仕打ちを……!」
と吐く言葉が切な過ぎる。皇子を産め!と定子に迫っていた伊周の姿は記憶から薄れ、登華殿で雪遊びをしていた伊周のほうが強く心に残っているようだ。清少納言の思い出は常に光りに包まれ、美しい。
これはアカン
道長と倫子の次女・姸子(きよこ/倉沢杏菜)が東宮・居貞親王の后になる。居貞親王は姸子より18歳も年上で、親子ほどの年の差婚だ。
「スラ―ッとしていても年寄は年寄でございます」
容赦ない言葉だが15歳の少女にしてみれば、そうだろう。姸子が入内した先には居貞親王の嫡男・敦明王がいる……りりしく美しく、そして姸子と同い年。御簾越しに義理の息子の姿を見つめる彼女の目が輝いている。
敦明王は右大臣・顕光(宮川一朗太)の娘・延子(のぶこ/山田愛奈)と正式に結ばれたが、波乱の予感がする。
波乱の予感といえば、元服を迎える敦康親王(片岡千之助)だ。先週までの子役(渡邉櫂)の敦康親王と同じ髪型、同じ装束にする演出が「これはアカン! 一刻も早く元服させて、この美しい義母から離さねば!」と視聴者が焦る仕掛けになっている。
彰子はこれまで通り接するが、彼女の手を握る敦康親王の手に込められた力、まなざしが……これはアカン。
まひろの局で道長が言う
「敦康様はお前の物語にかぶれすぎておられる!」
敦康親王が彰子に惹かれているのは『源氏物語』にかぶれたからではなく、彼の心から生まれた思慕、愛だろう。まひろでなくとも「ハア?」てなるわ。影響を受けているのは道長本人だ。
この場面、フィクションと現実の区別がつかない読者って困るわぁという原作者の顔をしているまひろがよい。
惟規の死
惟規が従五位下に昇進! おめでとう! 五位が身にまとう赤い束帯を、すでに乳母・いとは準備してあるという。
いと「いつかこういう日がくると思ってご用意しておりました」
ずっと信じて見守ってきてくれた人の存在は、何ものにも代えがたい。更に為時が、越後守任官。父と息子が揃って赤い束帯で参内する誇らしさ……道長に惟規は、
「姉は気難しくて人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
まるで結婚披露宴での、新婦弟から新郎へのメッセージのようだ。
惟規の昇進、為時の越後守任官、賢子の裳着。まひろの実家はおめでたいこと続きである。
賢子の裳着の夜に、まひろと惟規姉弟の思い出語り……。
惟規「きっと……みんなうまくいくよ。よくわからないけどそんな気がする」
まひろ「調子のいいことばっかり言って」
まひろの過去の悲しみも痛みも知っている弟。いつもさりげなく慰め励ましてくれる弟だ。
そして悲劇は突然襲い掛かる。
越後に向かう為時に同行した惟規が病に倒れたことは『今昔物語集』などに記される。
惟規「左大臣様に賢子のことを」
苦しみの中でも家族のことが、姪の賢子の今後が気がかり……本当に優しい男だ。
辞世の歌を書きつけるとき、自分を抱く父を嬉しそうに見上げる惟規に泣いてしまう。
みやこにはこひしき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ
(都には恋しい人がたくさんいるから、なんとしても生きて帰りたいと思う)
息子に先立たれた為時の慟哭と、彼が愛した人々──家族の、いとの嗚咽が響く家の様子がつらい。唯一の救いは、泣き崩れるまひろをそっと支える賢子。「いつか必ずわかりあえる日がくる」と慰めてくれた惟規の死が、まひろと賢子をつなぐ。
いつも朗らかな惟規は、この作品を温かく照らしていました。あなたが去って悲しい……。
お疲れ様でした。
次週予告。一条帝に忍び寄る病魔、喜びを隠せない居貞親王。次の東宮は誰かで揺れる朝廷。「罪のない恋なぞつまりませんわ」和泉式部(泉里香)がトンチキ癒し枠になるとは予想してなかったです。謎の男が3週間ぶりに登場? 激高する彰子。サブタイトル「君を置きて」の「君」とは……!
40話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、見上愛、塩野瑛久、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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