考察『光る君へ』26話「中宮様が子をお産みになる月に彰子の入内をぶつけよう」愛娘をいけにえとして捧げる道長(柄本佑)に、権力者「藤原道長」を見た
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
宣孝の財力を感じる
日食と地震が同日に都を襲った。長徳4年10月のこの災害は藤原行成(ドラマでは渡辺大知)の日記『権記』に記されている。先に地震があり、そのあとに日食があったという。
被災したばかりの都の人々にとっては、欠けてゆく太陽、薄暗くなる空はさぞ恐ろしく、絶望感を募らせたことだろう。
地震で崩れたまひろ(吉高由里子)の屋敷に多くの職人たちが入って修理している。地震で壊れたのか、運び込まれる新しい調度品。プレゼントの鏡。パリッとした新しいまひろの着物。
先の筑前守であり現山城守である、宣孝(佐々木蔵之介)の財力を感じる。
衣食住になんの不安もない。妾となり男の庇護下に入るとはこういうことか……と、まざまざと思い知らされる場面だ。
彰子登場
洪水、地震、日食。続く厄災に「朕のせいなのか」と自らを責める一条帝(塩野瑛久)も対応に奔走する道長(柄本佑)も、目の下のクマがひどい。
ちなみに、25話(記事はこちら)で安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が予言した凶事は、これらに加えて疫病と火事、嵐があった。史実では疫病はすでに起こっている。洪水があった年の長徳4年(998年)5月頃から、都では疫病の「赤疱瘡(あかもがさ/症状から麻疹とされる)」が流行し、身分の上下なく多数の死者を出したと『日本紀略』にある。
同じく25話では女院・詮子(吉田羊)が重い病で、帝に鴨川の堤修復を進言できる状態ではないという場面があったが、実際、行成は蔵人頭として7月8日に女院の病気見舞いをし、12日に行成自身も倒れてしばらく病に苦しんだと『権記』にある。この頃、疫病が蔓延して内裏で仕事をする人が激減し、にっちもさっちもいかなくなったことが記録から察せられる。そして9月に鴨川の堤防が決壊、洪水が起こってしまった。
ドラマでは、一条帝が中宮・定子(高畑充希)のいる職御曹司に入り浸ったために堤防補修工事が行われなかったと描かれたが、実際には疫病により朝廷が機能不全に陥っていたというのが原因としてあるだろう。
道長に、どうすればこの天変地異が収まるのかと問われた安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が出した答えは道長の長女・彰子(見上愛)の入内……。
すでに入内している元子(安田聖愛)と義子(よしこ/未登場)の父がそれぞれ右大臣・顕光(宮川一朗太)と内大臣・公季(きんすえ/米村拓彰)であることを思えば、左大臣である道長が娘を入内させることには、なんの不思議もない。
が、一人の父親としての道長は、ひたすらに娘・彰子を案じる。そして、姉である女院・詮子(吉田羊)に相談した。25話(長徳4年7月)では病に臥せっていた女院だが、26話(同年10月?)ではすっかり回復している。あれが麻疹だったとすると、相当症状は重かっただろう。回復してよかった!
詮子からは、
「お前はいつもきれいなところにいるもの」
「私は失い尽くしながら生きてきた。道長もついに血を流すときが来たということよ」
と告げられる。道長が優しくおっとりとした三郎の部分を残していられる猶予は、もうないということか。
彰子が成長した姿(見上愛)で登場!「まだ子ども」と道長が言ったとおり、このときの彰子は11歳、現代でいえば小学校高学年。田鶴(小林篤弘)の活発さとは正反対の、おとなしそうな姫君……まだ性格はつかめないが、可愛い。とにかく可愛い。道長と親子という説得力ある外見、キャスティングが素晴らしいではないか。
中宮様はしたたかな御方
彰子の入内に母である倫子(黒木華)は大反対。左大臣の姫であった自分は入内せずに婿を取った。いま幸せなのだから、愛娘を権力闘争の真っただ中に放り込む気は毛頭ないのだ。
この場面で興味深いのが、倫子の「中宮様は出家してもなお、帝を思いのままに操られるしたたかな御方」という言葉。定子(高畑充希)は賢いし、本人がそのつもりで力をふるえば実際したたかだろうとは思うが、帝を操る悪女というイメージは、視聴者である我々にはない。一条帝の妻とその家を守れなかったという自責の念と、今度こそは必ず守るという執着が女に溺れ切っている暗愚な君主のように彼を見せ、定子を傾国の中宮、したたかな女という悪評を定着させてしまった。
それにしても、黒木華は見事……放送の序盤、3話(記事はこちら)での初登場時はサロンの姫君だったのに26話の今では頼もしい母だ。物語の中では永観2年(984年)から長保元年(999年)までの15年間の時間経過を、たった半年の放送期間に芝居で見せている。
「不承知にござります!」
父・雅信(益岡徹)譲りのNOの言い回しで、娘を朝廷とこの国の安寧のためのいけにえとすることを、その場では突っぱねた。
そして、その足で倫子は母・穆子(むつこ/石野真子)に相談にゆく。これまでもレビュー13回(記事はこちら)、19回(記事はこちら)で触れたが、倫子、左大臣家の強みはこの穆子が倫子の相談役であることである。
「ひょっこり中宮様が亡くなったりしたら?」
「中宮様は帝よりも4つもお年が上でしょ。そのうちお飽きになるんじゃない」
年の功というのか、穆子はこれまで見聞きした様々な女の人生と照らし合わせて語る。
定子は貞元元年(976年)生まれ、この時点で23歳。『紫式部日記』で紫式部が、
「いたうこれより老いほれてはた目暗うて経読まず……」
(今以上に老いぼれ、あるいは目が悪くなってお経も読めなくなり……)
と書いたのが40歳前の厄年──37歳頃かとされる。当時は、現代とは高齢者の基準がまるで違った。定子よりも10歳以上若い彰子にとって、時間が味方してくれるのではと穆子は指摘している。おっとりとした口調で言うことはえげつないが、頼もしい。
しかし父・道長に入内のことを切り出されても、いや何を言われても、
「仰せのままに」
としか応えない彰子を見ると、この姫が聡明で才気煥発な定子に太刀打ちできるとはとても思えないのだった。一条帝の定子の寵愛は、倫子の言う「色香」ゆえだけではないのだから。
権力者「藤原道長」へ
長保元年(999年)、安倍晴明より中宮・定子の懐妊……しかも生まれるのは皇子だと告げられ、絶句する道長への、
「呪詛いたしますか?」
ついでにやっときます? くらいの軽さで発せられる安倍晴明の問い。これに「父上(兼家/段田安則)のようなことはしたくない!」と即答する道長に、晴明と一緒に安心する。しかし、
「中宮様が子をお産みになる月に彰子の入内をぶつけよう」
ああ……11話(記事はこちら)で即位式前、玉座に置かれた子どもの生首を撤去し「穢れてなぞおらぬ」と言い切った男だ。呪術という見えない力よりも、目に見える形で帝と朝廷全体に「定子か彰子か。政治的後ろ盾を失った中宮か、現左大臣を父に持つ新女御か」選ばせるのか。
これはある意味、呪詛よりも恐ろしい力の振るい方である。だからこそ安倍晴明も一瞬たじろいだのだ。愛娘をいけにえとして捧げるのだから、全身全霊本気を出して女御・彰子を支えるのだという父としての気概。ついに道長が私たちがよく知る権力者「藤原道長」へと、己の殻を破った瞬間のように見えて、ゾクゾクした。
そして妻・倫子も、道長個人の権力のためではなくこの国のために、肝を据えた。
「内裏に彰子のあでやかな後宮を作りましょう。気弱なあの子が力強き后となれるよう、私も命を懸けます」
キャーッ倫子様かっこいい!! サロンを切りまわす女主人として磨き抜いてきたセンスと知恵を、娘のために注ぎ込む!! 倫子の作る「あでやかな後宮」が今から楽しみだ。
まさに「いけにえの姫」
バァーン!! と荘厳なパイプオルガンが鳴り響くなか行われる裳着の儀。
強大な力を得る駒を進める男と儀式。このBGMではいつも映画『ゴッドファーザー』を思い出す。
居並ぶ朝廷の重臣たち。身に着けている装束については、前回の特別編(記事はこちら)で書いた。
成人式であるのに、晴れやかな顔とはほど遠い彰子……まさに「いけにえの姫」だ。
そして、一条帝の寵愛を一身に浴び、自信に満ち溢れた中宮・定子。
伊周(三浦翔平)に、私の大切な中宮様に軽率なふるまいしたらゆるさんぜよと、ぴしりと釘を刺す清少納言(ファーストサマーウイカ)。
道長は勝負ではないと言ったが、そして倫子は命懸けで支えると言ったが、この華やかな中宮・定子と清少納言というタッグから、どう一条帝を引き剥がすのだ……と興味津々である。
実際にやらかしたらしい痴話喧嘩
熱い新婚時代を過ごしていた宣孝とまひろだが、価値観の相違が露になってきた。
被災した孤児たちに炊き出しをするまひろと、それを訝しげにとらえる宣孝。
「あの子たちには親がおりませぬ。食べ物を与えてやらねば間違いなく飢えて死にます」
「それもいたしかたない。子どもの命とはそういうものだ」
宣孝の言葉は冷酷に思えるが、数多く子が生まれ数多く死んだ時代である。当時としては平均的な感覚ではないだろうか。しかし、道長が直秀の死を背負ったまま政に向き合っているのと同じく、まひろは字を教えていた、たね(竹澤咲子)の死を負いながら、この世に自分が生きる意味を見出そうとしている。
そして物事の捉え方の決定的な違い、まひろの手紙を持ち歩き、他の女に見せていたという事件。これは紫式部の和歌の自薦集『紫式部集』に、
文散らしけりと聞きて「ありし文ども、取り集めてをこせずは返事書かじ」と言葉にてのみ言いやりければ「みな、をこす」とて、いみじく怨んじたりければ…
(手紙を他の人に見せてまわっていたと聞いて、私が送った手紙をお返しくださいませ。そうでなくば返事はもう書きませんと従者にことづけると、夫はすべて返しますと、ひどく恨みごとを言ってよこした)
と書かれた実際にやらかしたらしい痴話喧嘩である。ふたりの間ではこの件で諍いの和歌が交わされ、ドラマでは佐々木蔵之介のナレーションで表現された
「たいしたことのできない、人数にも入らない私はあなたに腹を立てたところで甲斐がありませんね」
(たけからぬ人かずなみはわきかへりみはらの池に立てどかひなし)
宣孝のこの和歌で締めくくられる。
自分の手紙と和歌が知らないところで誰かに読まれてしまったことに憤る紫式部だが『紫式部日記』では後年、彼女自身が他人の手紙を盗み読みしたエピソードが綴られているのだ。なので「あなたがそれを怒りますか」とは思うが、25話での清少納言の「(枕草子は)中宮様のためだけに書いたものでございます」という台詞を思い出すと、創作者にとっては「誰のために・なんのために」作品を生み出すかが大切であるということかもしれない。
これを機にしばらく来なくなった宣孝だが、まひろは弟・惟規(高杉真宙)から、夫の新しい女のことを聞かされる……。
「私より、ずっとずーっと若い女なの!?」
そりゃ確かにまひろは宣孝よりは20歳近く若いのだが、現在彼女は30歳前。当時としては結構なトシの女である。若い女の出現。中宮・定子にとっての彰子とのリンクだろうか。
ナレーションでは「許す、許さない。別れる、別れない。文のやり取りが交わされ」とあった。『紫式部集』では、
紫式部
入るかたはさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな
(ゆく方角ははっきりわかっている月を……他の女のところに行くのだとわかりきっているあなたを、それでも上の空で一晩待っておりました)
藤原宣孝
さして行く山の端もみなかき曇り心も空に帰りし月影
(目指す山の端が曇っているのが見えたかのように、あなたのご機嫌が悪いのが察せられたので足が向かなかったのです)
など、冷えていく夫婦関係が手に取るようにわかる歌のやり取りが残されている。
そしてドラマでは、自分よりも若い女にうつつを抜かす夫にキレて火鉢の灰をぶつける……。道長と秘密裡に交際していた時には抱いたことのない、どす黒い思い。まひろは嫉妬を知った。
とても苦しくつらいことだが、この先『源氏物語』で六条御息所も、髭黒右大将の北の方も書く作家となるのだなと思えた場面だった。
それにしても、段階を踏みながら愛が冷める男の表情。佐々木蔵之介が上手いったらありゃしない! 腹が立つのに、本当に見ごたえあるなあと拍手してしまう、悔しいけれども。
まひろが皆に提案する、石山寺参拝ツアー。
おお、石山寺! また何か『源氏物語』に繋がることが起こるのですか……? とワクワクして見守っていたら。深夜にひとり読経するまひろのもとに、キラキラした何かと共に現れた殿方……えっ。道長!? これは幻? 現実? そのキラキラは一体なに!?
次回予告。大喜びで訪れる宣孝「良い子を産めよ」まひろ「この子は私ひとりで育てます」ま、まひろ……妊娠? 一条帝と定子に皇子?「皇子かぁ」東宮・居貞親王がっかり。鳴弦の儀!『あさきゆめみし』で見たやつ! 黒白のハチワレ猫ちゃん。小麻呂じゃないね、この猫ちゃんはもしや……『小右記』と『枕草子』に登場したあの子? 赤染衛門先生、おひさしぶりです。まひろと道長抱き合っちゃった────サブタイトルは「宿縁の命」!
第27話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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