70歳から料理の道へ。シニア料理研究家として活躍中の小林まさるさんの「前へ、前へ」の人生。
人生の日々や経験を重ねて、さらに彩り豊かに進化する毎日とは。
撮影・黒川ひろみ 文・板倉みきこ
料理研究家の小林まさるさんが、今一番楽しんで臨んでいるのが、一昨年に始めた自身のYouTube番組『小林まさる88チャンネル』。
取材に訪れた日は、新年以降に配信する企画の撮影中で、トレードマークのバンダナはおめでたいダルマ柄を締め、鮮やかなオレンジのセーターを着こなすなど、晴れやかな衣装での演出効果もバッチリ。
「似合ってる? いやあ、それはうれしいねえ。洋服選びは、いつも家族がしてくれるの」と満面の笑み。
息子・史典さんの妻、まさみさんとは、“嫁舅コンビ”の料理研究家として、息の合った掛け合いを含めて幅広い世代に人気を博している。
シングルファーザーの期間も長く、もともと料理には馴染みのあったまさるさんだが、まさか料理でお金をもらえるようになるなんて、と今でも驚きを隠さない。
まさみさんのアシスタントを買って出たのが、この世界に足を踏み入れたきっかけ。70歳のときだった。
「息子と結婚後にまさみちゃんから料理研究家になりたいって聞いたときは、やりたいことには全力を注いでほしいから、応援したよ。
昼は働いて夜は調理師学校に通ったり、朝から晩まで本当に頑張っていたんだよね。その後、料理家として独立して、本を出すってことになったんだけど、家のこともやりながら夜中まで……。
アシスタントさんを雇う余裕もないって話を聞いて、俺が手伝おうかって言い出したんだ」
当初まさみさんは、背に腹は替えられないと一回きりのお願いのつもりだった。ところが、手際がよく、先を読んでどんどん動いてくれ、さらに周囲への気配りも怠らないまさるさんの名アシスタントぶりに感嘆。
結果、その後もアシスタントを頼み続け、現場スタッフがまさるさんの料理の腕を見出し、78歳のとき、シニア料理研究家として本を出すまでになったのだ。
「人には一生で、大きなチャンスが3回あると思うの。
俺の場合は、20代でドイツ駐在の話があったとき。2回目は料理を仕事にしてみるかって思った70歳。そして、本を出しませんか? って依頼があった78歳のとき。あとは88歳でYouTubeに挑戦したときかな。あれ、4回あるね。まあ、3、4回ってとこだな(笑)。
とにかく、同じチャンスは二度とこないから。やれることを一生懸命やろう、チャンスを掴んだら離さないぞって気持ちを持って生きることが大事だと思うね」
もう年だからできない、諦める、なんて考えが一番嫌いだとまさるさん。
「年齢にかこつけて行動しないのは、病気と一緒だと思うんだよ。だってさ、考えているうちに残り少ない時間なんて、どんどんなくなっちゃうでしょ。
若ければ迷う時間もあるけど、年だからもう後ろは向かない。ダメならダメで、次に進めばいいんだからさ。出たとこ勝負で前へ!前へ!だよ。俺は70歳からそうやって生きてきたよ」
もっといいものを作るために、日々模索。
笑顔で明るく生きる、がモットーのまさるさんの半生は波瀾万丈。樺太で生まれ、第二次大戦を体験し、生死を彷徨いながら12歳で終戦。15歳のときに北海道に引き上げてきた。20代でのドイツ駐在を経て、30代で結婚したが、病弱だった妻に代わって家事・育児にも奔走し、定年まで働き通しだった。
「だからね、定年後は自分の好きなことだけをやって悠々自適に暮らそうと思ってたの。でも、退屈が苦手なんだろうね。気づいたら、自分でも想像できなかった料理研究家になってて、毎日忙しくやらせてもらっているよ。料理が好きか? う〜ん、好きっていうか楽しいから続けてきたんだろうね」
料理の仕事もYouTubeも、やるからには面白くしたいとまさるさん。
「もっと面白くするにはどうするかっていつも考えるよ。でも人と同じことはしたくないから、ほかの人の料理本やYouTubeの番組を見ない。まさみちゃんのも見ない。だって真似したくないしね。そう、まさみちゃんとも仕事ではライバルだよ(笑)」
笑顔が絶えないまさるさんも、自称親譲りの短気な気性なんだそう。
「うまくいかないことだらけで、やけくそになったこともあるし、レジで待たされたときとか、ほんの些細なことでけっこうカッとなるの(笑)。でも、いつまでも嫌な気持ちを持っていても、自分が損するだけだよね。
布団の中でグーッて唸ったり、風呂に入ったり、自分なりの方法で流し去るようにしてるよ。家族と喧嘩しても10分で終わり。いつも明るくいたいんだよ。笑顔でね」
まさるさんの今後の夢は、定年後の男性向けの料理学校を作ること。
「自分で料理をするって自分の足で立つこと。料理は何もできないって人にぜひ教えたいんだよ。で、調理が終わったらそれをつまみにして、生徒と一緒に一杯……。楽しそうだよねえ」
『クロワッサン』1085号より
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