都心から離れた焼き菓子工房、店舗を持たないドーナツ店。ふたりの店主が選んだ独自の営業スタイル。
撮影・馬場わかな 文・松本昇子
山田 季節のフルーツを使ったメニューも多いですよね。
山中 はい。フルーツありきでケーキを考えているんです。おいしい果物を作る生産者さんと、これからもどんどんつながりを増やしたい。今は知り合いや、買って食べてみておいしかった果物の生産者さんに連絡して使わせてもらっています。
これからの時季はモンブランですが、今年から相模原の栗農家さんから採れたてを持ってきていただけることに。なるべく近い場所の素材を使えたらいいなと思っています。
山田 少し都心から離れた場所にお店を構えることのメリット、デメリットなど感じますか?
山中 私の場合は、初めからこの辺りを探していたわけではないんです。ただ近くに自宅もあったので、都心に店を出すイメージはありませんでした。家賃も高くて、ケーキ屋さんもたくさんあるなか、こんな独学の人間がやっていけるのかな、という引け目もありました。
その点、相模原は学生時代からの馴染みの土地だったので、安心感もありますし、個人店のケーキ屋さんが少ないので、おもしろいと思ってもらえています。やっぱり都心に比べたら、家賃が安いのもメリットですね。
山田 いい場所ですよね。
山中 そう思います。ここを目指してはるばる来てくれる方がそんなにいるのかなという不安はずっとありましたが、ありがたいことに今では「初めて橋本駅に降りました」と言って来てくださる方も多くて。
私がお世話になった方が「目的地になるような店にしたい」とよく言っていて、私も影響を受けているので、お客さんにそう言ってもらえるのはうれしいです。
山田 すてきですね。私の場合は、テイクアウト専門で、宅配も自分でおこなっているのですが、実際はもうひとり、作って配達してくれる方がいてくれたらうれしい。私と同じ作業を全部できる人が理想です。
オーダーの数が多いと朝の5時前からスタートし、その前に仕込みの時間もあるので、もちろん短時間だけ、宅配だけでも手伝ってくださる方がいたらうれしいです。
山中 すごく重労働ですね。もうひとりいたら少し負担も減りそうです。
山田 一個一個手で形成して、穴だけ型で抜いているから、どうしても時間がかかるし、大量生産ができないんですよ。配達も最初は近所の人に自転車で届けるイメージだったけれど、そこまで何軒も回れなくて。理想と現実のギャップはありました。
山中 でも、お店の内装と同じように、直接配達のスタイルは山田さんの世界観を作るものなので、オペレーションだけじゃない。大切なことですよね。
山田 はい、ただもっとやり方を考えないと……私の目標は、健康で楽しく生きていくことなので(笑)、それを実現できるようにこれからは柔軟に考えていきたいなと思っているんです。
山中 ほんとそうですよね、からだが資本ですから!
山田 頭の中も、少し空っぽになっている時のほうが、新しいアイディアは入ってくるじゃないですか。キャパシティを超えてパンパンになっちゃうと、しなやかに物事を考えられないので。いろいろと空にして余裕のある時間をキープすることが目下の課題ですね。
お菓子は食べる人、作る人の大切な時間に寄り添うもの。
山中 私は基本的には現場にいて、目の届く範囲だけでこれからもやっていきたいと思っています。自分のお店を持ちたいというスタッフも多いので、私が知っていることはすべて伝えて、全力で応援したいですね。
それから、使用する素材に関しては、もっと近い場所のものも使いたいという気持ちがあります。神奈川県のおいしいものや、信頼する生産者さんのものを使って、もっと広げていきたい。
あとは娘がまだ小さいので、育児をしながら店をどうしていくのか、課題であり、楽しみでもあります。今は保育園に預けて仕事の途中で迎えに行き、閉店作業に戻って帰宅という流れなので、数年先の自分の働き方についても考え中です。
山田 私は実店舗を持てたらいいなと思いつつも、本心は、できる範囲のドーナツを、元気で楽しく、わくわくした気持ちを忘れないで作り続けてお届けしたい。食べ物は作る人の体調や気持ちが乗ってしまうものだから、たくさん作れなくても、広がらなくても、自分が健やかでいることが一番だと思っています。
私は犬を飼っているのですが、夜の配達が終わって疲れていたとしても、必ず散歩に行くようにしているんです。そうすると犬もうれしそうだし、私も帰宅するとすごく満ち足りた気持ちになる。犬が私に教えてくれる幸福感というのがあるんです。
山中 大切なパートナーですね。
山田 ドーナツを始めたのも、外で勤務を始めると、犬が一匹でお留守番をすることになってしまうから。彼らの一生は短いので、限られた時間を預かっている身としては、彼を幸せにする責任もあります。
そうしたら自分に何ができるだろうと考えて、自宅を工房にしてドーナツを作ったら、一緒にいる時間も長くなり、犬もさみしくないんじゃないかと思ったんです。私の勝手な思い込みですけどね(笑)。
今も生活の中心は犬で、起きたらまずドーナツを作り始めたいけれど、散歩から始めます。そのルーティンを崩さない程度の仕事ができれば充分。あまり広げすぎないように、自分の健康と犬の幸せ、無理をしないでできることをやっていこうというのが目標です。もし縁があって、揚げたてのドーナツをすぐ提供できる場所が見つかったら、なおうれしいという感じでしょうか。
山中 すごく素敵ですね。
山田 やさしい人が作ったごはんはしょっぱすぎたり塩気が足りなかったりしても、安心感があっておいしく感じられる。私のドーナツも手作りででこぼこしていますが、人の手を感じるものを作りたいなと思います。
山中 特にお菓子って、食べなくても生きていけるというか、必ずなくてもいいけれど、心の栄養になるものですよね。コロナ禍でより実感しました。
山田 心の栄養は本当に大切です。日々の中、何か満たされない欲求があって、窮屈な思いをしている時に自分だけの特別なおやつとしてわざわざ買いにきてくださる方が多かったんですね。ご自宅でケーキを食べるという機会を、外食ができないからこそ増やしていて。思いのほか、おうち時間を楽しまれている。やる意味はあると思いました。これからも自分だけの大切な時間を満たす手助けができたならうれしいなと思います。
『クロワッサン』1080号より