“端くれ”とは言え、一応芸能人である筆者に、このお悩みをブツけてくる編集者を恨みつつ本題へ。
学生時代、あざらしさんをイジメていた相手が、芸能人になったとのこと。
しかも、TVや広告で“露出”があり、「幸せな私生活の様子が嫌でも耳に入ってくる」、「彼女の存在を避けがたいこの社会」とまで仰るのですから、かなりの“売れっ子”の方なのでしょう。
これは確かに、しんどい。
「辛い」「悲しい」「憎い」という心中、お察しします。
相談者は、そういう気持ちを「もう手放したい」とも仰っていますが、
「紆余曲折はあったが、“名門”大学から“一流”企業に進み、幸いにも家族や良い友人に恵まれ、それなりに満足といえる人生を送ってきた」
と綴らずにはいられない(嫌な言い方で申し訳ない)ところをみると、
「……私だって!」
と未だ彼女に対する想い(ハッキリ言えば恨み、でしょうが)は根深そうです。
いや、当然のこと。
(言葉によるものも含め)イジメは「暴行」、もっと明確に「犯罪である」と認識した方が良いと筆者は思っていますので、被害者である相談者には恨み続ける権利がある。
ただ一方で、義務はないと思うのです。
諸々端折って結論を言うと、忘れるのがベストかなと。
とかく、“忘れる”という選択は、「逃げ」とか「負け」とみなされがち(思いがち)ですが、そもそも、「人と比べてどうこう」という思考は、“イジメられた”とか“出し抜かれた”といった因縁のあるなしに関わず、大抵の場合人生の効率を悪くするように思うのです。
結局のところ、「自分のことに集中する!」という至極単純な姿勢が、“人生のコストパフォーマンス”を最大化出来る唯一の方法だと筆者は考えます。
何かに“囚われる”というのは、わき見運転と同じ。
危険です。
とは言え、腹の虫がおさまらぬ、ということもあるでしょう。
もし、どうしてもということであれば、メールの宛先を『クロワッサン』ではなく紀尾井町方面にある編集部へ変えるのも、アリかもしれません。
全くお勧めはしませんが。