【歌人・木下龍也の短歌組手】「好き」が短歌にマジックをかける。
〈読者の短歌〉
きみだけはじごくにおちれますようにさかさまで本を読む少年
(むすんで/女性/自由詠)
〈木下さんのコメント〉
上句(575の部分)の「きみだけは/じごくにおちれ/ますように」という祈りは不穏であり斬新。このフレーズだけでも読者を引き込む力があります。ただ、下句(77の部分)の「さかさまで本/を読む少年」については検討の余地がありそうです。おそらく少年が逆立ちをしていて、あるいは天井から吊り下がっていてさかさまなのだと思いますが、そこになぜ上句の祈りが発生しているのか見えないため受け取り手としてはなかなかこの一首の世界に没入できません。なぜ、を明確に書く必要はありませんが、そのヒントとなる道筋を見せるのもひとつのやり方かなと思います。例えば、
きみだけはじごくにおちれますように燃える聖書が照らす少年(改作例)
うーん、やりすぎか。
〈読者の短歌〉
(飼いたいな) 育てる自信は 昔いた
愛せなかった 子が食べている
(今坂 悠/テーマ「ペット」)
〈木下さんのコメント〉
食べられた、ではなく「食べている」というところが切なくなる短歌ですね。記憶の中の「愛せなかった子」は現在進行形であなたの「育てる自信」を「食べている」。いつまでも消えない後悔。その後悔をお持ちのあなたはきっと次に迎える子を愛せるような気がします。
〈読者の短歌〉
シャンプーを変える度舐めてる人が
「リンスは怖いから舐めない」と
(ラージライス/女性/自由詠)
〈木下さんのコメント〉
僕には「舐める/舐めない」について「飴/シャンプー・リンス」という(考えたこともなかったけれど)線引きがあり、だれかには「飴・シャンプー/リンス」という線引きがある。線をずらすだけで未知の世界だ。なんでも舐めるのであれば説得力もなく魅力的でもないだろう。「リンスは怖いから舐めない」。未知の世界の住人が経験や勘から編み出した独自のルールには謎の説得力があり妙に惹きつけられてしまう。たしかにシャンプーは水飴のようで舐めやすいかもしれない。それに比べてリンスはヨーグルトのようで舐めるというよりは食べるに近いからシャンプーよりハードルが高そうだ。あ、この短歌の場合「度」は「たび」とひらがなにひらいたほうが読みやすくなりますよ。
〈読者の短歌〉
底に塩ばかり残ったふりかけをいつまでゆかりと呼べるだろうか
ゆかりのふりかけが大好きなのですが、いつも最後に塩ばかり残ってしまうのが難点だなぁと思います。「ゆかり」というのが人名っぽいので、こいつはどの時点までゆかりで居られるのだろう?と哲学みたいなものを感じ、詠みました。
(平井まどか/女性/自由詠)
〈木下さんのコメント〉
「ゆかり」の終盤はたしかにほぼ「塩ふりかけ」になりますね。なんだか「砂山のパラドックス」に似ているなと思いましたが似ていませんでした。「ゆかり」は歯についている1粒まで「ゆかり」と呼べますからね。そういえば「ゆかり」という名称は『古今和歌集』に収録された短歌が由来のようです。詳しくはググってください。ところで、この短歌を
「○○○○○ばかり残った○○○○をいつまで○○と呼べるだろうか」
とテンプレート化すれば数種類の短歌をつくることができます。
例えば、
底に砂ばかり残った暗闇をいつまで井戸と呼べるだろうか
おじいさんばかり残ったショッカーをいつまで悪と呼べるだろうか
おばあさんばかり残った合コンをいつまで夢と呼べるだろうか
廃棄物ばかり残った青色をいつまで海と呼べるだろうか
思い出にばかり残った面影をいつまで恋と呼べるだろうか
などです。短歌を始めて間もない方は、上記の穴埋め問題のように短歌のリズムや発想力を身につけていくのもひとつの手です。
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