考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』41話「大事にしないと、そのうち本当に捨てられるよ」歌麿(染谷将太)を気遣うつよ(高岡早紀)「頼んだよ、重三郎」幼い日の真実が明かされた旅立ちの朝
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
須原屋市兵衛の引退
「知らねえってなあ、怖えことなんだよ。物事知らねえと知ってるやつにいいようにされちまうんだ」
41話は、書物問屋・須原屋市兵衛(里見浩太朗)の蔦重(横浜流星)への教示で始まった。
エキゾチックな絨毯、机と椅子、天体望遠鏡などがごっそり没収された須原屋。
たったひとつ残された地球儀を傍に置き、肩を落とす須原屋さんの姿がやりきれない。
一体なぜこんなことに。
須原屋は、林子平(はやししへい)の著作『三国通覧図説』(天明6年/1786年)を出版した咎を受けたのだ。林子平は、海に囲まれた我が国は海の防衛を強化するべきと説いた経世論家。幕府は『海国兵談』の出版も問題視した。
『三国通覧図説』には「国政を預かる者、軍事に携わる者は地理を知らねば危うい」として近隣諸国の地図、地理や、風俗習慣が書かれている。
『海国兵談』はオロシャ(ロシア)の脅威を訴え、近代的な海軍と沿岸砲台の必要性、江戸湾に侵入した軍艦から砲撃を受ける可能性を記した本だ。
いずれも国政批判、民の不安を煽るものとして老中首座・松平定信(井上祐貴)の出版統制令に抵触した。絶版となり、著者の林子平と須原屋は厳しい処罰を受けたのだ。
須原屋市兵衛は蔦重に、国の内外のことを民が知る意義を説く。そして「知らねえってなぁ怖えことなんだよ」と冒頭の言葉に続くわけだ。
「本屋ってのはな、正しい世の中のために良いことを知らせてやるって務めがあるんだよ」
出版に携わる人間の本分を語った上で、頼んだぜと蔦重に後を託す。
須原屋市兵衛の引退。蔦重は志を胸にしかと受け取った。
須原屋さん。我らが蔦重を支え導き続けてくださり、ありがとうございました!
おていさんしかいないんだ
蔦重は、目標に向かって走り出す。
まずは耕書堂の書物問屋部門で、自前の書物を出す企画を立ち上げた。
その企画を、妻のてい(橋本愛)に任せる。
てい「私に書物の案を出せと? 無理です。無理です無理です無理です(リピート)」
蔦重「頼むよ。うちで書物に通じているのは、おていさんしかいないんだ」
これまで出版してきたのは地本、大衆向け書籍。新しく出そうとしている書物は、学術書や仏教教典などの硬いジャンルだ。
漢籍を身に着けたていならばやれると、蔦重は見込んだのだ。
30本の案思(あんじ/作品の構想)という課題に頭を悩ませていたていだったが、きっちり仕上げて蔦重に提出した。「枯れ木も山の賑わいと申します。それくらいの心持でご覧いただけると」と謙遜するその案思を覗いてみると、
一、江戸書物一統之指南記。江戸の書物問屋と、それらの店が扱う書物を一冊にまとめて紹介するガイドブック。吉原細見を扱ってきた耕書堂ならではのものができるはず、という案。
一、江戸猫詣曼荼羅。近頃は猫好きが増えている。江戸の町を歩き、あちこちで飼われている猫を眺め、時に撫でて安らぎを得る趣向の書物はどうか。江戸名所と猫を愛でる、いわば「江戸猫歩き」。文面を読むと、おていさん自身かなり猫好きであるらしい。
おていさん、なかなかのアイディアマンだ。他の28本も見てみたい。
その中から、蔦重は「これだ!」と選んだ案思をさっそく形にするべく行動する。
蔦重は、和学者・加藤千蔭(中山秀征)にていを引き合わせた。
蔦重が「艶二郎の折にはお世話になりまして」と挨拶する。
山東京伝(古川雄大)作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明5年/1785年)の主人公・艶二郎。この登場人物は、京伝主催の手ぬぐいデザインコンテストの図案集『手拭合(たなぐいあわせ)』のひとつ、暖簾からひょっこり顔を出す男のデザインが元になっている。その手ぬぐい図案の作者が、加藤千蔭とされている。つまり艶二郎の生みの親。
書物問屋・蔦屋のお披露目となる第一作を、千蔭流の書家としても高名な加藤に依頼したのだ。女子(おなご)に受けそうな書の本をと聞いて「女子に?書物で、かい?」と驚く加藤。
発案者であるていが企画意図を述べる。
てい「美しい書は眺めるだけでも楽しいですし、世には趣あふれる書を書きたい女子は大勢おります」「本当は学問を成したい女子は数多おるのではないかと考えました」
できあがったのは『ゆきかひふり』(寛政4年/1792年刊行)。『源氏物語』の中から手紙の部分を抄出して、女性の手紙文の手本としたものだ。
昨年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公、紫式部──まひろ(吉高由里子)を思い浮かべた。文字の読める人を少しでも増やすことを志していたまひろが、自分の作品が700年以上の時を経て女子の学びに役立つことを知ったら、どんなに喜ぶだろう。
ていの後ろに、うんうんと頷くまひろが見えた。
雲母摺にするとどうなります?
その一方で、耕書堂・地本問屋部門で目玉となる出版物、喜多川歌麿(染谷将太)の錦絵『婦人相学十躰(ふじんそうがくじってい)』が完成一歩手前まで来ている。
『浮気之相』。肌もあらわな湯上りの女。少しほつれた洗い髪に色気が漂う。目線の先に恋人がいるのだろうなと思わせる蠱惑的な笑みである。
『面白キ相』。化粧中の女が、鉄漿(お歯黒)を手鏡で確かめている。歯をイーッとやって百面相。ウキウキと楽しげで、未婚の娘が既婚者の証である鉄漿を試してみたのかもと想像が膨らむ。
『浄キ相』。誰かに呼び止められたのか、何かを見つけたのか。ポッピンを吹く娘が振り返り、振袖の袂が大きく翻る。ポッピンの軽やかな音が聞こえてくるようで、無邪気な娘の瑞々しい一瞬を捉えている。
絵自体は素晴らしい出来。だが刷り上がったものを見た蔦重は「いまひとつ地味じゃねえか?」と辛い採点。
倹約令と出版統制で贅沢な出版物が出せないので、田沼時代の錦絵に比べると色数を少なくしている。奉行所に目をつけられないように全体の色調も淡く、控えめだ。
蔦重が、ふと思いついて摺師に意見する。
「これ、周りを雲母摺(きらずり)にするとどうなります?」
背景をキラキラさせれば、淡い色彩が引き立つのではないかというのだ。
材料の雲母は金銀ほど高価ではない、倹約令にもひっかかりにくいだろう。雲母摺自体は平安時代から和歌集などの書物に使われているし、耕書堂でも、出版統制令が出される前には狂歌絵本を雲母摺で飾っている。だが錦絵ではためしがない。
「錦絵で雲母摺だなんて聞いたことねえですよ!」と首を振る摺師。
「いいじゃねえか! 誰も見たことがねえもんになるってこった」
こうして、画期的な錦絵が生まれた。
蝋燭の揺らめく火に浮かぶ絵を見た歌麿が息をのむ。
「まるで浮き上がって見えるよ……!」
現在、これらの作品は美術館で見ることができる。しかしこの場面のように、絵を手に取り灯の元で動かして鑑賞することはできない。
画面を通して、当時の人々と同じ体験をする。まさに眼福という場面だった。
さて、こうして完成したどえらい作品を、どう売るか。
さらに蔦重の才覚が発揮される。
人相見とサイン会と
いま、江戸市中では人相見が大流行中。
人相見の行列に、一橋治済(生田斗真)がお忍び姿で並んでいるんですけど、いったい何? 暇つぶしに市中見物に来ているのか、それとも蔦重の動向を探るのが目的か。
とにかく、蔦重に関わらないでほしい。ろくなことにならないから!
人気に目を付けた蔦重は、人相見・大当開運(太田光)を耕書堂に招いた。
占いイベントの開催である。
集まった客は、人相見および相学に興味がある。その客に『婦人相学十躰』を売ろうという作戦は大当たりで、江戸っ子が我も我もと押し寄せる。
一層盛り上げようと蔦重は、歌麿を引っ張り出して即席のサイン会も始める勢い。
前回(40話/記事はこちら)の山東京伝サイン会を思い出す。京伝はモテのスコールを浴びるのが大好きだから気を良くしたが、繊細な歌麿はどうなんだろう。ハラハラしてしまう。
蔦重は歌麿に『婦人相学十躰』シリーズはこのまま続けるとして、並行して他の美人画シリーズも始めないかと打診する。
「まだ三躰しか出てねぇけど」と困惑する歌麿だが、評判の水茶屋や煎餅屋の看板娘たちを描けば店が繁盛して江戸全体が活気づく、江戸のためになるという蔦重の説得に、仕方中橋(しかたなかばし)と応じた。
ふたりを離れたところから見ていた蔦重の母・つよ(高岡早紀)。
つよは蔦重と歌麿の関係を気遣っていた。
歌麿を心配するつよ
「おぬし、男色ではないのか。もしくは両刀」
耕書堂手代・瑣吉(津田健次郎)が歌麿に直接、しかも蔦重の前で問うた。
しばしの沈黙あって、歌麿が答えた「俺は男も女も好きさ」に対して「やはりそうかぁ!」と喜ぶところを見ると、瑣吉は作家として、自身の観察眼と洞察力を確かめたかっただけのようだ。
だが、メガトン級の不躾、無遠慮、無礼には変わりない。
瑣吉はのちに大人気作家・曲亭馬琴となるが、性格に難があり、周囲との揉め事が絶えなかったと言われている。こうした場面を見ると「でしょうね」という感想になる。
歌麿が静かに切り返した。
歌麿「俺はそもそも男か女かで人を分けたりしないんだよ。好きな人と、それ以外で分けてるもんでさ」「世間様のものさしに当てりゃあ、両刀ってことになる。実は、瑣吉さんもそうってこたぁないのかい?」
そんな歌麿を、つよは痛ましそうに見やっている。
その晩、蔦重に瑣吉を店から追い出せと迫った。歌麿がこれ以上傷つくことのないよう、守りたいのだ。
「あんた、歌があれを平気で言ってたって思うのかい?」
「もっと歌を大事にしないと、そのうち本当に捨てられるよ」
蔦重を叱るつよ。
歌は俺の弟だと安心していると、つよの心配が的中しかねないよ、蔦重……。
気づいていたつよ
歌麿宅を訪問したつよは、瑣吉との一件を蔦重の代わりに詫びた。
その言葉から歌麿は、つよに蔦重への思いを気づかれていることを知る。そして、蝉の抜け殻になぞらえた。
「俺の今の望みは 綺麗な抜け殻だけが残ることさ」「抜け殻だけは残ってて……それは、とびきり綺麗だったり、面白かったりして誰かの心を癒す。ふたりでいい抜け殻だけを残せるなら、俺は今、それだけでいいんだ」
絵師として、本屋としての蔦重と素晴らしい作品を生み出し残すことが本望。切ないが、それを言葉にできたせいか歌麿の表情がスッと柔らかくなる。
「聞いてもらえるってなあ、心が軽くなるもんだな」。
誰にも言えなかった、行き場のなかった思い。
それらを吐き出させてやりたくて、つよは訪ねてきたのだ。「これからももっと来るよ」と心配するつよに、歌麿が「いいよ」と笑う。
つよ「遠慮してんじゃないよ。おっかさんの前で!」「あんたはあの子の義理の弟。あんたも私の息子さ」
実の母に恵まれなかった歌麿の心に、つよの言葉が慈雨のように沁み込んでゆく。零れそうになる涙を微笑みで抑えて歌麿、
「……じゃあ、よろしくたのむよ、おっかさん」
少しでも、歌麿の心が癒されてほしいと願う。
おっかさん
てい発案の、『ゆきかひふり』を全国に流通させるべく、尾張(現在の愛知県名古屋市)の書物問屋・永楽屋との交渉に出立する朝。つよが蔦重に髪を結い直したほうがよいと声をかける。
天明3年(1783年)に、つよが耕書堂に身を寄せてから10年近く。
つよに髷を結わせるのは初めてだという。蔦重が外の髪結床に行くのは「あそこに行けば世間が知れっから」。江戸の町の情報にアンテナを張っている蔦重らしいが、自分を捨てた母への反発もあって、髪を触らせなかったのではないだろうか。
髪を整えてもらいながら蔦重は、自分が駿河屋市右衛門(高橋克実)のもとで育った本当のいきさつを聞かされる。
両親はそれぞれ浮気をして逃げたのではなかった。捨てられたのではない、無事に育つよう駿河屋に引き取られた──。
つよ「柯理(からまる)」
子どもの頃、毎日耳にしていた温かな呼びかけ。蔦重の表情が幼子のそれになる。
つよは、続ける。
「あんたは強い子だよ」「ごめんね。あんたは強くなければ生きてこれなかったんだ」
「あんたは立派だよ。でもね、大抵の人はそんなに強くもなれなくて、強がるんだ。口では平気だって言っても、実のところ平気じゃなくてね」
歌麿のことを言っているのだろう。いやそれだけではない、蔦重の強さが周りの人を深く傷つけないように親として言っておかねばと、教えている。
親らしいことを言うつよに、息子らしく土産を買ってきてやると請け負う蔦重。
テレビを見ながら、首を振った。違う、そうじゃないんだ。息子としてなら、土産じゃなくて……ちゃんと言ってやるんだ、蔦重!
立ち上がった蔦重が振り返り、ためらい、咳払いし、ついに口にした。
「おっかさん」
蔦重がババア呼ばわりするたびに、ずーっと「おっかさん」と呼ぶのを見たら泣いてしまうだろうなと思っていた。だが泣くどころではない、爆泣きした。
つよが笑顔で応える。
「頼んだよ、重三郎」
つよもまた、店では「旦那様」プライベートでは「アンタ」としか呼んでいなかった。重三郎は大人になって駿河屋がつけた名だから、初めて呼んだだろう。
旅立つ息子の背中を見送って、長年の重荷を下ろしたように微笑むつよだった。
つよを悩ませていた頭痛、蔦重が呼んだ医者の見立ての場面はなかった。
診断結果は、つよも蔦重も聞いただろう。だからこそ、髷を結い直すという提案を素直に受け、昔の話を切り出したのではないだろうか。
頼むよ、おっかさん。せっかく誤解が解けたのだから、長生きしてよ。
オロシャの船がやってきた
江戸城では、37話(記事はこちら)の尊号一件が再燃していた。老中首座・松平定信は再び突っぱねるが、一橋治済は朝廷と繋がり、ことの流れを注視している。
ほっと一息と思いきや、女帝・エカテリーナ2世が統治するオロシャから船がやってきた。
次から次へと難題が降りかかる、定信の身がもたないぞ!
次回予告。ちょっと待って。皆さん、仏様に手を合わせてない? えーっ、つよさん?
ていさん、おめでた! 耕書堂年始のご挨拶。やっちまったなぁのお餅つきコンビがいますね。鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)の次男坊、万次郎(中村莟玉/かんぎょく)登場。蔦重と歌麿の間に生じる深い亀裂。
42話が怖いけど、楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、古川雄大、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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